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第13話

羊が2998匹。羊が2999匹。羊が3000匹。 時計を見ると、夜中の一時半だった。明日も授業が四コマにラグビー部と忙しい。早く寝ないといけないのに目を閉じると、暗い病室で一人ぽつんとベッドに腰かけている水瀬の姿が浮かんだ。 水瀬は今夜、羊……いやマスカットを数えてくれているだろうか? 羊が4001匹。羊が4002匹……。 その夜、迅を眠りにあけ渡したのは羊ではなく、時計だった。 午前三時半。さすがに水瀬ももう眠りについただろうと思うと、迅の意識はやっとベッドに沈んでいった。 すっかりナースたちと顔見知りになった迅は、彼女らから水瀬が個室にいる理由を聞かされた。 水瀬は以前いた大部屋で、同室の男性患者から悪戯されそうになったのだった。それが原因で別の大部屋に移ったが、そこでもまた同じことが起きた。 三度目の部屋替えを余儀なくされたとき、見かねた病院側が入院費は大部屋と同じ金額で水瀬を個室に入れたのだった。けして病状が深刻だからではないと分かって安心したが、なんだか素直に喜べなかった。 男ばかりの病室で長い入院生活。欲求不満になるのも分かるが、この病院は若い女性のナースも多いのに。 けれど、水瀬のあの容姿だったら変な気を起こす男がいてもおかしくないかもしれない。まぁ、自分は間違ってもそんなことにはならないと思うが……。 男子校に通っていたとき、男同士で怪しい雰囲気になる生徒たちも稀にいたが、迅が同性に興味を持つことは一度たりともなかった。 自分はれっきとした異性愛者なのだと思う。 とは言っても、まだ本気で誰かを愛したことがあるわけではないのだが……。 病室の扉を開けて中に入ると、水瀬は迅を見てぱっと顔を輝かせた。 まるで主人を待っていた飼い犬のようで可愛い。クラスの生徒たちも迅に懐いてくれているが、水瀬が特別可愛く感じられるのは最初に手こずったせいだろうか?  生徒はみな平等に接するべきだと分かっているが教師も人間、心の内側を均等に生徒の数で割るのは難しい。 「先生、昨日はぶどう数えたら、十二時前に寝れたよ」 そんな可愛いことを言ってくるものだから、迅は目を細めて水瀬の頭を撫でた。 水瀬の髪は細くて柔らかく、真っ黒な迅の髪と違って色素の薄い色をしていた。 ――この子は髪の毛の一本まで綺麗だな。 迅を見上げる大きな瞳、華奢な顎、その下の病衣の隙間から白い肌が覗いていた。そこに、まるで桜の蕾のような二つの突起が見えた。 とっさに水瀬の頭から手を離した。そのままぎゅっと手を握りしめる。 今一瞬、自分の中に沸き起こったものを握りつぶすかのように強く。 「そういえば先生、僕すごくやりたいことが一つできたよ。それはね、先生の授業を教室で受けること」 なんだ、そんなこと、と言おうとして止めた。水瀬にとって学校に行くことは当たり前じゃないのだ。 英語嫌いでいやいや迅の授業を受けている生徒もいる中で、水瀬の言葉は迅を軽く感動させた。 ――どうしよう、この子が可愛くて仕方ない。 「なんなら、ここで特別授業をしてやろうか」 「え、それはいい」 水瀬は顔を歪めた。 「なんだよ、英語を勉強したいんだろ」 「違うよ。先生が黒板の前に立って、先生をやってるところが見たいんだ。きっとすごくかっこいいんだろうなって思って」 水瀬の潤んだような視線から迅は逃げた。この手の視線は女生徒から散々送られて慣れているはずなのに、水瀬のその大きな瞳は迅を落ち着かなくさせた。 「先生、女子からモテるでしょ」 「そこそこにな」 「嘘、絶対すっごいモテてるはず。やっぱ女子高生からモテると嬉しい?」 「馬鹿、嬉しくなんかないよ、俺は年上が」 タイプ、そう言おうとして口をつぐんだ。 「何? 先生年上が好きなの? 年下は興味ない? 嫌い?」 「おいおい、おまえは女子か」 水瀬はプイッと顔を背けると、迅に背を向けてベッドに横になった。 「先生、熟女が好きなんだ、なんかいやらしい」 ただの年上がいつの間にか熟女にすり替わっている。水瀬は完全に拗ねていた。その姿でさえも可愛らしかった。 「年下も好きだよ」 水瀬はくるりと迅に向き直った。 「本当?」 「ああ」 水瀬は顔いっぱいに花を咲かせた。 なんなんだ、この会話は。男子生徒とする会話じゃないだろ。それに自分はなぜここまでして水瀬のご機嫌取りをしているのだ?  しかし……自分は水瀬の笑顔に弱い。 殺風景な消毒液臭い病室で、少しでも多く水瀬の顔に花を咲かせてやりたかった。
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