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第14話

迅のスマホが暗がりでピロリンと発光した。 ――今夜もぶどうを数えて寝る! 帰り際、水瀬にねだられてメッセージアプリの連絡先を交換させられた。教師と生徒間でのそれは正直グレーゾーンで、迅はなかなか首を縦に振らなかった。 水瀬が女生徒だったらはっきり断っただろう。けど、水瀬は男だ。最終的に迅が落ちたのは水瀬がつぶやいた一言だった。 『夜、眠れなかったらすることないし』 水瀬は漫画もゲームも持っているものはすべてやり尽くしたらしく、家が経済的に余裕がないこともあり、新しいものも簡単にねだれないようだった。 迅が『おやすみ』と返すと、すぐに返事が来た。 ――おやすみ、先生。 『先生』 迅はその二文字をしみじみと眺めた。 自分は水瀬をかまいすぎていやしないだろうかと思った。けど、あの子は他の生徒と違って、いろいろと辛いことも多い。母親もあんなふうだし、水瀬が頼れる大人は自分しかいないのだ。 それに、これくらいであれば高校生のときの自分と宗方先生だって、同じくらいの距離感だった気がする。 脳裏に病衣の隙間から見えた二つの蕾がかすめ、迅は慌ててそれらを頭の外に追い出した。 その夜、なんの夢を見たのか迅は覚えていなかったが、次の朝、学生のとき以来の夢精をしていた。 スマホを確認すると、水瀬からの新しいメッセージは来ていなかった。 昨夜もちゃんと眠れたのだろうとほっとしたと同時に、下着の内側の冷たさが妙に後ろめたく感じた。 母の日のカーネーション以外で花を買うのは初めてだった。 先週、園芸部の生徒にもらった花をそのまま水瀬に持っていったら、水瀬は驚くほど喜んでくれた。 それから一週間、枯れかかった花を捨てずにいつまでも生けているのを見かねた迅は、花屋の前で足を止めたのだった。 水瀬は最初のときと同じように、見舞いの花を喜んでくれた。 それから、迅はマスカットだけでなく、水瀬に花も持って行くようになった。 ある日、花屋の店主からこんなことを言われた。 「いつもありがとうございます。プロポーズされるときは言ってくださいね、サービスしますから」 店主はさらに続けた。 「長年花屋をやっていますとね、花を選ぶときのお客様の表情で、贈る相手が誰だか分かるようになるもんなんですよ」 花をこの店で買うのが今日限りだったら、そういうことにしておいただろう。しかし、この先のことを考え、見舞いの花だと訂正すると、店主はさっと笑顔を曇らせた。 「お相手の方、早く快くなるといいですね」 何を言っても誤解が解けないような気がしたので、もう黙ることにした。 水瀬は迅が持ってきたモンシロチョウみたいな花を、大事そうに抱きしめた。 「水瀬がそんなに花好きだったとはな」 「別に花が好きなわけじゃないよ、先生が持って来てくれるものはなんでも嬉しい」 迅は花瓶を掴むと、水瀬から花を奪い取るようにして病室を出た。 給湯室のシンクで蛇口をひねると、静かな水音が響いた。 花瓶を支える手が震え、ぎゅっとシャツの胸元を握りしめる。 自分は水瀬の言葉に何をそんなに反応しているのだ。あれは、飼い犬が主人が与えるものを何でも喜ぶのと一緒だ。だから……。 ――だから、鎮まれこの心臓! いったい何だっていうんだ。 『お客様の表情で贈る相手が分かるんですよ』 花屋の店主の言葉が脳裏に蘇った。 手のひらに水をすくうと、そのまま顔を洗った。 何度も、何度もしつこく洗った。自分の顔に現れているその兆しを洗い流したかった。 一緒にその源ごと自分から追い出してしまいたかった。
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