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第124話 灰原さんの誘惑

 話を終えた俺は、先生たちにお礼を言うと灰原さんに家まで送ってもらう事になった。いつも気さくな灰原さんが、なぜか黙りこくっているのが気になったけれど、かと言って俺が何か言って追い詰められたくはなくて、結局何も言わなかった。  沈黙が支配した車中で口火を切ったのは灰原さんだった。灰原さんはクスクス笑うと、俺の方をチラッと見て言った。 「まったく、心理戦でも岳君に軍配が上がったね。君は一体どういう人間なんだろう。私の知っている人で、君の様な掴みどころの無い人間に、心当たりがないよ。」  そう言いながら、声は楽しげだったので俺に文句を言っている訳ではなさそうだった。俺は沈黙の勝者然として、肩をすくめて言った。 「俺はそもそもオメガの前に山伏ですからね。普段から余計なことは言いません。俺がオメガになったのは事故みたいなもので、まぁ動揺はしましたけど、最適解を見つけるためなら合理的にもなりますよ。」  俺がそう言うと、灰原さんはニヤリと口元を緩めて呟いた。  「そんな岳君を蕩けさせたら、どんなに楽しいだろうね。岳君は無意識にアルファの一番理性の効かない闘争本能をくすぐるんだ。それって、私たちに人参をぶら下げるようなものだよ。」  急に車中の空気が重く感じた俺は、はっと灰原さんを見た。 「さっき岳君言っただろう?私といるとゾクゾクしてくるって。それって私にもチャンスをくれるってことかな?是非私もサンプルになりたいけど、どうかな?」  いつの間にか空き地に停まっていた車の中で、俺はドキドキする様な灰原さんの上位アルファのオーラに包まれていた。俺は息をゆっくり吐いて落ち着こうとしたけれど、その甘い香りをもっと吸い込みたくて灰原さんに手を伸ばした。 「灰原さんは狡いですね…。俺の本能にそんな凄いのぶつけてきたら、欲しくて堪らなくなるって知ってるでしょ。」  だからと言って、灰原さんは僕に指一本差し伸べるわけでもなかった。あくまでも俺から手を出すのをじっと待っているんだ。本当にずるい。大人はこれだから…。  俺が灰原さんに抱きついて甘やかに唇を押し当てて、その隙間から感じる蜜の様な味を掬い取ろうと舌を伸ばした。待っていたかの様に柔らかく受け止める灰原さんの口の中で蠢く大きな舌は、俺を怖がらせない様に従順に従っていた。  俺は顔を引き剥がして、ズキズキする身体を持て余しながら、灰原さんの街灯を反射して光る瞳を見つめて笑った。 「…ほんと狡い。俺を油断させて、灰原さんを貪りたくなる様に仕向けるんだから…。」

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