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第135話 海の楽しみ
俺は子供の頃以来の海に、心が浮き立つのを感じた。海特有の潮の匂いと、身体に響く様な波の音は、普段山にばかりいる自分にはとても非日常的だった。
「あんまり人が居ないですね。」
俺は沖合の光る波間を眺めながら、砂浜を眺めた。白い砂浜が広がって美しいこの海に、夏前とはいえ週末なのにもっとひと気があっても良い気がした。
「梅雨の晴れ間というのもあるし、そもそもここはプライベートビーチだからね。そのせいかな。」
そう言って微笑む灰原さんの向こうに、いかにも高級そうなリゾートホテルが建っていた。相変わらずいかにもな灰原さん仕様に、俺は思わずクスッと笑って言った。
「本当に灰原さんて、こっちの予想を裏切らないっていうか。灰原さんが慌てふためく事とか、全然想像できないな。」
すると灰原さんは海風で乱れた長めの茶髪を撫でつけて言った。
「…あるよ。私でも動揺する事。岳君と知り合ってから、結構動揺してばかりなんだけど、気づいて無かった?今日もずっと余裕見せようと必死なんだけど。上手くいったみたいだね。」
そう言って沖合を眺めていた顔を、俺に向けた。その眼差しは熱くて、俺は妙に胸がザワついた。するとふっと笑って俺の手を取ってホテルの方へ歩き出しながら言った。
「せっかくだから、ここのプールを楽しもう。結構人気があるんだ。私も何度か来たけれど、中々のものだよ。」
そう言って歩き出す灰原さんの大きな手を感じながら、俺は考えていた。明らかに世慣れた灰原さんは、きっと俺にとって良いアルファのサンプルをくれるだろう。それと同時に、きっとここにも別の誰かと楽しみに来たに違いないって気づいてしまった。
勝手だと思うけど、その事に何だか妙に引っ掛かっている自分がいる。我ながら自分勝手な気がして、俺は苦笑してしまった。そんな俺を不思議そうな顔で見つめた灰原さんは、ぐいと繋いだ手を引き寄せて言った。
「もっと隣に。…私はオメガにここまで気持ちを持っていかれたのは初めてで、自分でもこれから先どうなるのか分からない。だから、岳君が私をサンプルに選んでくれて本当に嬉しかった。自分でもハッキリしないこの気持ちを確認できるチャンスを貰ったんだから。
さぁ、あまり難しいことは考えずに楽しもう。ね?」
ああ、それは俺も一緒だ。お互いにお試しに来てるんだから。俺はちょっと心が軽くなって灰原さんに笑いかけた。
「ええ、楽しみです。まずはプール行きましょ。三年は水泳の授業が無くて、プールって聞いた時に泳ぐの楽しみだったんです。あ、でも水着ないですけど。」
灰原さんはウインクして悪戯っぽく言った。
「任せて。凄いの選んであげるから。」
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