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                「…なるほど。――()()()()という肩書きはつまり…()()()()、という意味でもあると…、ねえマスター…?」    まるで僕はこの男性にもてあそばれたようだったろうが、とにかく彼は確かめたかっただけなのだろう。…息を切らしている僕の存在に触れることはなく、男性はまた冷ややかにケグリ氏への追求に戻った。――ただその小さな顔は、なんとなし僕のほうへ向いているままだ。   「…はぁ…、そうですよ。コイツは()()()()()です。」    するとケグリ氏は、何か不満げな低い声で、やっと()()を言った。――僕がふるえながら恐る恐る顔を上げて見たケグリ氏は不機嫌そうに顔をしかめており、ギロリと僕を見おろして睨んでくる。   「ご、ごめんなさいご主人様、…お許しください、…」    これはきっと、あとで僕は手酷く“お仕置き”をされるのだろう、――そう思うと腹の底からこみ上げてくる震えが止まらなくなり、僕は今にも泣きそうになる。  ケグリ氏はそんな僕を「ふんっ」と鼻息で威圧したのち、ぐるりとそのギョロ目の黒い瞳を動かすと、今度は僕の対面に座る男性へと迷惑そうな目線を向ける。   「…でもねえ、勘違いしないでくださいよ。――コイツは、このユンファは、()()()()()()、私の性奴隷になったんですからね。それが明記された()()()だってありますよ。」   「…へえ…そうなんですか。」   「そうです。なあユンファ…そうだな。」    僕を睨み下げてくるケグリ氏に若干怯みながらも、僕は「はい」と答えた。――正直、それは()()なのである。  すると男性は、僕の方へその小さな顔を向けた。  これではまるで、彼が僕に興味を持って視線を向けたかのようだが――もちろん彼の目元にはサングラスがあり、またその下では目を瞑っているために、それは気持ちばかり僕のことを見ているようなポーズ、というべきかもしれない。   「ご自分でね。…それはなぜです」   「……え…、あ、あの、それは……」    ただ、また始まったその真実追求にどう返答をしてよいものかわからず、僕は恐る恐るご主人様であるケグリ氏をすがるように見上げた。――すると彼はぐるりと呆れたように目玉を回し、口パクで「自分が淫乱だからと言え、頼み込んで飼ってもらってると」と不機嫌そうに指示してきた。  なので僕は、また目の前の男性に顔を戻して。   「…僕が淫乱だからです…。僕が頼み込んで、わざわざ飼っていただいているんです、マスターに…」    そう、僕はケグリ氏に従ったのだが――男性は僕のその返答にふっと小馬鹿にしたような笑みを鼻から洩らすと、「本当ですか?」と笑いながら反問し、それから彼は、隣に立っているケグリ氏へと顔を向ける。   「…ところで申し訳ないが、マスター。…口を挟まないでくれ。――私は、ユンファさんに聞いているのです。…正直貴方の言葉になど、まるで興味がありませんので。」   「…い、いえぇ、今の言葉は、コイツが勝手に自分で、…」   「失礼、地獄耳なもので、聞こえていました。――“自分が淫乱だからと言え、頼み込んで飼ってもらってると”…? ふ…性奴隷とはいえ、彼は貴方の操り人形ではないのですよ…、ユンファさんはあくまでも、()()()()()()です。」   「……、…」    え…? 今、この人――なんて言った…?  全部、全部をわかっていてか、僕がケグリ氏の性奴隷であるとわかっていて――僕を、()()()()()()、だと言ったのか…?  その人の整った横顔は、真顔だ。サングラスの横から見えているその目は、やはりすっと閉じている。――しかし、僕にはどこか、神聖な微笑みを纏っているようにすら見える。   「…ですので、そういった真似はご遠慮ください。正直迷惑ですし、何より気分も良くない。――ありていに言えば、不愉快です。」   「……っ」    飄々としているこの美しい男性に、はっきりと迷惑だ不愉快だと伝えられたケグリ氏はムッとしながらも、その真横に伸びた口をヤケになったよう、ぎゅっと合わせてつぐんだ。  そうなると男性は僕のほうへまた顔を戻し、「目が見えない分、地獄耳になってしまったのですよ」と冗談っぽく、しかしその口元には笑みを浮かべないで付け足した。   「…はあ…、…」   「…さて、…」    そして男性は、自分の前に置かれたコーヒーカップをソーサーごと、ケグリ氏のほうへ…――つまり横へスーッと音もなく移動させ、軽くその顔を伏せ気味に、その顎に片手の指を添え、そして、淡々とケグリ氏へこう告げたのだ。   「…これはもう結構です、どうぞ下げてください。悪いが不味くてこれ以上、こんなものとても飲めません。――いえ、何度か試してはみましたが…しかし、やはり無理だ。…このブレンド、やけにギトギト脂っこくて…まるでガマの油を浮かべた、おぞましいコーヒーのようでした。」   「……っ」    ケグリ氏はいよいよ、そのヒキガエルのような顔に不機嫌を濃くあらわにして、男性を忌々しそうに遠慮なく睨み付けている。――しかし、それを知ってか知らずか、澄まし顔の男性は。 「…失礼。おかげさまで、胸焼けが。う。…ということで、ご馳走様。――この店で次に注文をするとすれば、せいぜいが胃薬ですね。あります?」   「…いっ、胃薬はございません。申し訳ないがね、…」   「…………」    というか目が見えないというのに、それでいてこの男性は、やはり何もかもが()()()()()のではないだろうか。――ガマの油だなどと、まるでケグリ氏のカエル顔を見て知っている上で言ったような皮肉である。  そうして明らかに不機嫌そうなケグリ氏だが、しかし、彼はなぜかこの男性には逆らえないらしく――横へと避けられたそのコーヒーカップを、ソーサーから持ち上げて取ると、横ばいに歩いてテーブルとテーブルの間を抜け出ようとしている。    そんなケグリ氏を男性は、「あぁマスター、それと」と軽快に呼び止めた。…彼に逆らえないらしいケグリ氏はまだ何かあるのか、とうんざりした顔をしつつも、テーブルの狭間で立ち止まった。――すると男性は、顎に人差し指の側面を添えたまま軽く、その顎を引いた小さな顔を傾けたのである。       「――この店の閉店処理を、お願いいたします。」          

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