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                 ――こんな早い時間に、…閉店処理?     「…は、なんですと、…」   「……、…」    な、なんてことを言うんだ、彼。横暴だ。  ケグリ氏のみならず、僕も驚いて目を瞠る。    それこそこの男性は、このカフェ『KAWA's』の一番客だったのだ。  それもこの店の開店時間は午前十時で、その時間ぴったりくらいに此処へ訪れた彼だ。――つまり、そうともなれば今はせいぜい午前十一時くらいがいいところであり、となると閉店時間の午後六時まではまだ七時間もある。    こんな早い時間から閉店してしまったら、ほとんど今日一日休業するようなものではないか。    そりゃあケグリ氏だって、慌てる。   「いや、いやぁさすがに困りますよ、こっちだって遊びでやってるわけじゃ、…」   「…もちろんその分の営業利益は、私が多目にお出ししますよ。――過去で一番売り上げたときの利益を後ほど、私が帰るときにでも教えてください。…あぁただし、…」    顎を引いたままで男性は、顎に添えていたその手をおもむろに、ベージュのトレンチコートの懐へと差し込みながら、やけに落ち着き払って更に続ける。   「…“スペシャルメニュー”のほうの売り上げ分も、ごまかさずに教えてくださいね。…それもまた、立派に売り上げへ貢献しているはずでしょうから。…」   「…………」   「…………」    呆然としている僕と、ぎょっとした顔のケグリ氏は、今あんぐりと口を開けて固まっている。――しかしこの男性は、不敵に笑う。   「ふっ…、いやむしろ…このカフェのメイン利益は、()()()なのかな…――いえ、結構なことですよ。…それもまた一つの営業戦略として、()()なんじゃないでしょうかね。畑違いのことですから、正直よく知りませんけれど。」   「………、…」   「……、…」    やはり僕とケグリ氏はあんぐり口を開け、目をしばたたかせた。…そして二人とも、何も言えなかった。    “スペシャルメニュー”のことを、彼、――それなら話が違ってくるだろう。…いやわからない、彼が本当に、超人的な聴力や触覚を持っていることは確かなような気もするのだ。  なぜならこの男性は、先ほどのケグリ氏の口パク――声もなく、唇をその言葉の形に動かしただけ――の言葉を、一言一句間違えず聞き取っていた。…ましてや、僕のナカに入っているバイブは日によって違うものになるので、毎日必ずしもピストン機能、回転機能付きというわけでもないのだ。――あと彼は…僕のオメガ排卵期の周期もほとんど、僕の手の感触で言い当てている。    そうならばやはり、この男性は本当にそれらの音を聞き分け、そして、(僕の手を)触るという行為でそれらを見抜いた、ということだとは思う。    ただ、そもそも彼はホットコーヒーを頼むときにもメニューを見ず(目が見えないならば当然だろうが)、「ブレンドを、ホットで」というように、口頭ですぐさま注文していたのだ。  なぜブレンドがあることを知っているのか、というのはまあ、カフェには大概“ブレンド(ホットコーヒー)”があるものだから、と僕は納得していたものの――しかし、こうなったら話が変わってくる。    つまりこの男性は、このカフェ『KAWA's』のことを事前に知っていてこの店へと今日訪れた。――いや、もしかするならば店のみならず、僕のことも知っていて、ということかもしれない。  それに、ここまでの彼らの様子から察するに、この男性とケグリ氏は面識があるような気もする。    そしてメニューブックはもちろん、それの背表紙に隠された“スペシャルメニュー”のメニュー表を見たわけではない彼が、それの存在を知っている、ということは――そのことを事前に知った上でこの紳士は、このカフェ『KAWA's』に訪れたと考えるほかにないだろう。    となればおそらく、彼ははじめから僕が()()()であることも、また、奴隷である僕の()()()()がケグリ氏であることを知った上で、ああしたなじるような(ある意味で悪質な)質問攻めをしてきていたということである。   「……、…、…」    とにかく凄い人であることには間違いないが、なんの、ためにかまではわからない――ものの、あるいは彼本当に、探偵なのかもしれない。…なにかしらの事情があって、彼は仕事として此処へ来たのかもしれないのだ。    そして男性は、僕たちが言葉を失っているさなかにも、あくまでも涼やかにこう続ける。   「…ということですので…“スペシャルメニュー”を含めた過去一番の営業利益に、迷惑損害料をプラスして、――それと、()()()はおいくらがよろしいでしょうか。」   「…は、はい…っ?」    僕も同様だが、理解が追い付かないというようなケグリ氏は、テーブルとテーブルの間に挟まったまま薄眉を盛り上げて眉間にシワを寄せ、彼は目を見開いたままで男性を見ている。    ただそれも見えていない男性は動じることもなく――いや、この人はたとえ見えていたとしても動じるようなことはなさそうだが――、ふところから取り出した黒いクレジットカード――ブラックカードだ、初めて見た…――を人差し指と中指の間に挟み、ピッとケグリ氏のほうへそれを差し向けた。   「…ですから、()()()です。…もちろんこのカフェのマスターであり、ユンファさんのご主人様でいらっしゃる貴方が全てお受け取りくださっても構いませんし、あるいは…――まあ、そのように考える人でもなさそうですが、…その分は彼の取り分としても、どのようになさっても構いませんよ。…私は、そのあたりに関与するつもりはありませんので。」   「…い、あ、は? しゅ、取材と申しますと…?」   「…いえ、お恥ずかしながら、がぜん興が乗ってきてしまったのです。――ユンファさんのお話を、もっとじっくり聞きたくなりました。…ですので、他の客の邪魔が入らないように、閉店処理をお願いいたします。」    そう涼やかに淡々と説明したこの男性は、このカフェの営業利益にプラスした金額を、払うことができる人、のようだ。…いや、ブラックカードなんてごく少数のお金持ちにしか持てないクレジットカードを持っているのだから――しかもスッとそれを、惜しげもなく簡単に差し出している――、そりゃあそうなのだろう。   「………、…」    うーん…いや、それにしても我儘というか傲慢というか、自分勝手というか、…はじめからただ者ではなさそうだとは踏んでいたにしろ、逆らいたくとも逆らえないというようなケグリ氏の反応からしても、この男性はかなり権威のあるお金持ちらしい。    本当に彼、何者なのだろう。――ていうか、ん、ということは…つまり。   「……、…」    彼はさらに、僕の話を聞きたいということか。  しかも、言ってみればそのためだけにこのカフェ『KAWA's』を閉店させ、さらに言って、過去一の営業利益(“スペシャルメニュー”込み)と迷惑損害料、プラス(どうせケグリ氏の懐に収まるのだろうが)僕への取材料…を、払うと。   「……、…、…?」    めまいがしてきた。…いや、どういうことだ?  そんな凄い人が、なぜ僕なんかの話をさらにじっくり聞きたいというんだ――?        

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