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【2】青い瞳は花を見つめる ※モブユン

   ※このお話には全体的に「モブ→受け(ユンファ)への苛烈な陵辱表現(奴隷契約書の内容や、モブから受けへの陵辱描写等)」、および強姦描写がございます。過激なものはページ番号に「※」を表記しておりますが、全体的にそのニュアンスが含まれておりますので、そういった描写が苦手な方は飛ばしてお読みいただきますようお願い申しあげます。  また、お読みになられている最中にご気分が悪くなる等の心理的負担を感じられた場合は即座に中断し、ご自身のお体とお気持ちをいたわられてください。  それらが苦手ではない場合であっても、けっして読者様のご無理等がない形で作品に接していただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。※       ×××                 「名乗り遅れましたが…――私は、ソンジュと申します。どうぞよろしく」    此処はカフェ『KAWA's』――このうす暗い店内には、相変わらずBGMが流れていない。  そして先ほどと同じ、壁沿いに連なるグレーのソファ席、そこの角席に座っている――この金髪にサングラスの男性は、対面の椅子に座っている僕へと改めて向き直り、自分の名前を名乗りながらその、大きく綺麗な片手を僕に差し出してきた。   「はい、よろしくお願いいたします。…」    僕は彼の片手を取って、やわく握った。やはり彼の手はしっとりとしてあたたかい。  それにしても彼、何度見ても上品そうな風貌である。  そのホワイトブロンドの髪はオールバック、ベージュ色のトレンチコートを上品に身に纏い、下には黄色味がかったベストと白いワイシャツ、そして真紅のネクタイを締めている。――この上品そうな人が、さっきこのカフェを自分の勝手で閉店処理をしてくれ、なんて横暴な要求をしてきたとは…悪い意味で、人は見かけによらないものだ。    そしてこの男性は、今その血色の良い艶美な唇に微笑みを浮かべて――自分のことを、“ソンジュ”と名乗った。  おそらくは名字ではなく、ソンジュというのは彼の下の名前だ。――とはいえ、僕はさしてそれを気にも留めずに自分の口元に笑みを作って、…あ、と。   「…あ、僕は…ツキシタ・ヤガキ・ユンファと申します。……」    そういえば僕も、きちんと自分から名乗ってはいなかったと思い出したのだ。――彼…ソンジュさんは僕のことをほとんどはじめから、ユンファさん、と呼んでいたために、今になってそういえば、となった。    ちなみに、僕の正式な名前――月下(ツキシタ)夜伽(ヤガキ)曇華(ユンファ)は、この国の誰が聞いても、僕がオメガであることを察する名前である。    “ツキシタ”は、僕の両親の名字――いや、僕はその実ゼロ歳のときに、“オメガであること”を理由に実両親からは親子関係を解消され、ツキシタ家の養子に出されている。…そのため、僕が両親と思っている夫婦と、僕の間柄は書面上特別養子縁組となっているので、正確にいえば僕のツキシタという名字は、“養父母”の姓だ。    またもちろん、“ユンファ”というのが僕の下の名前だ。  あるいはこのユンファでも、僕がオメガ男性であることを察する人はいるかもしれない。――というのもオメガ男性は、基本的には中性的な容姿となることがほとんどであるから、その名前にしても、中性的な響きの名前を親につけられることが多いためだ。    ただ厳密にいえば、僕のユンファ、よりも確実に、僕がオメガ属であることを人に示す名前は――“ヤガキ”だ。  このミドルネームこそ、僕の名前を聞いて誰しもが僕の属性、僕がオメガ属であることを察する要素となっている。  正確にいえばミドルネームというよりか、このヤガキというのは称号に近いものだ。…人がオメガ属として生まれた時点で――その人をオメガだと分類するために――与えられる名前である。  ちなみに、この“ヤガキ”というオメガにだけ与えられる名前、漢字では夜伽(よとぎ)なんて書くために、どこかほの暗さを感じそうなものではあるが――これは今の時代になってから定められたものではなく、また、そもそも()()()差別用語であったわけでもない。  それどころか昔は、このヤガキという名前を持っているだけで“高貴な人物”とさえされていたそうである。  というのもこのヤガキという名前、昔は本当に称号の一つであった。  それというのは僕たちの国、大和日本国(やまとにほんこく)――通称“ヤマト”に、まだ王族という身分が存在していたころ、その王族であるアルファたちの夜伽相手に、オメガ属が抜擢されていたためである。  ヤマトのアルファは、今でも“ミコトアルファ”と呼ばれている。――この“ミコト”というのは、神様であることを示す神号、というやつだ。  つまり昔のアルファは――今でもしばしばそのように捉えている人はいるが――、神様(の子孫、一族)とされてきたのである。 (ちなみにアルファの神格化はヤマトのみならず、全世界にそのような傾向がある。)    そうした時代背景を踏まえ――すなわち昔のオメガは、神様(と認識されているアルファ)のもとへと嫁ぐ存在…“神様のもとへ嫁ぐ神子(みこ)”とされていた。  そして昔のオメガたちは、その神様の一番近くに居ることを許され、神様のお世話に従事し、また、もちろん神様の子供を生み育てることを特別に許されている存在、として重要視されてきた。    つまり歴史的にオメガはそもそも、そうした神聖で高貴な存在とされていたのである。  ちなみにその時代――西洋由来の名称であるオメガが広まる以前――のオメガは、“夜伽(ヤガキ)”あるいは“神子(みこ)”と呼ばれていた。…それはもともと、“神の一族”とされてきたアルファが親しみを込め、自分のもとに嫁いできたオメガのことを“神子”と呼んだのが始まりだそうで――そして、アルファのもとへと嫁いだオメガは、そのアルファのことを“大神(おおかみ)さま”と呼んで、慕い合っていたそうだ。    また余談ながら昔のオメガは、“神の子孫”とされてきた王族アルファの、夜眠る瞬間という無防備な時間にそばに居ることを許され、一番近くでアルファの世話をしたり、アルファの気持ちに誰よりも寄り添い、アルファと本音同士で会話し、癒やし…――そうして、その時代のオメガはアルファとの距離感が近かったためか、場合によっては側室ではなく、アルファの正妻となったオメガもいたそうである。    というか何より、そもそもその時代の夜伽自体、下品で淫蕩なものだと見なされていたわけではなく、むしろアルファとオメガの夜伽は“神聖な行為”ですらあったらしい。  それがなぜかといえば、“神の一族”と見なされてきたアルファ王族の夜伽相手…――つまり、神同然の、高貴なアルファの子供を生むという重要な役割を、オメガが担っていたためである。  そのため、その時代のオメガは――昔からオメガの絶対数が少なかったこともあってか――よほど今のオメガよりも貴重な存在とされ、重要視され、丁重に扱われてきた。    そういうわけで、夜伽(ヤガキ)という名前にはむしろ、もともとは侮蔑的な意味はなかった。  それどころか、その当時のオメガは今でいう“神職”に近い存在であり――オメガとして生まれただけでその称号を与えられる、生まれながらにして高貴な存在であるとさえされていたのだ。      

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