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そうして、今でもオメガ属に割り振られるこのヤガキという名前は、その昔に王族の夜伽相手であったオメガへ与えられていた称号の名残りである。
とはいえ、もちろん今の時代のオメガが、アルファの夜伽の役目を背負っているというわけではない(そもそも、もうアルファ王族自体この国にはいない)。
ただそれにしても、そうしてオメガ属に生まれただけで、昔のオメガは国から高貴な称号を与えられたのである。――歴史の授業なんかで昔のオメガの重宝されぶりを聞いたら、現代に生きる僕らオメガは正直、羨ましくなるほどだ。
その時代、家庭にオメガの子が生まれたなら「うちに神子 が生まれた!」と大慌てで国に報告し、これで一家繁栄を約束された――実際オメガを娶った王族アルファのほとんどは、そのオメガの一〜二親等までの親族の面倒もみていた。つまりこの子 のおかげで、もう食うに困ることはない――と、親類共々、それどころか村中みんなで、たいそう喜ぶほどのことだったそうだ。…オメガが生まれたというだけで誰しもが喜んでくれるとは、今とは大違いである。
ちなみに、そのオメガがオメガ排卵期を迎えるまで――およそ十五歳程度まで――は“神様に嫁ぐ子”として村で大切に育てられ(村中で万が一そのオメガが犯されないようにと監視しあう意味もあった)、そうして成長したオメガがオメガ排卵期を迎えると、六日間にわたる“嫁入りの儀”が執り行われたそうだ(なお、オメガ男性であっても嫁 入 り であったそうだ)。
その“嫁入りの儀”というのは、国が派遣した医師による健康調査、それと、神様とされているアルファに嫁ぐということもあってか、そのオメガは禊 の儀式――滝に打たれるだ、海や川で沐浴をするだ、精進料理のみを食べるだ、そうした神職が受けるような儀式――を三日間こなした。
そしてそのあとは、そのオメガに誰も寄り付けないよう、ぐるりと炎に囲われた木製小屋に隔離され――嫁入り前のオメガはそこで三日三晩、母親と下女に“体を玉のように磨かれる”――“玉磨きの儀”を受ける。
その“玉磨きの儀”というのは――体中のアカを念入りに落とされたあと、髪を含めた全身に聖油とされていた椿油を塗られて、入念にマッサージされるというものである。
それによって髪や肌のつやを良く、かつ体や肌を柔らかくなるようにほぐされたそうなのだ。…これには、神様の前に出ても恥ずかしくない体にする、という目的があったそうで、しかも、その三日間のうちにオメガが口にできたものは、清流からの綺麗な水と、そして多産を願うザクロや桃などの果物だけであったそうだ。
しかし、中でしていることはともかく、かなり危険といえばそのような行為ではある。
なぜならばその小屋は、木製である。その上でその小屋をぐるり、炎が取り囲んでいる状況だ。――しかもその炎が消えないようにと、たびたび見張りの者が油など可燃材を継ぎ足し、火が消えているところがあれば、きちんと円状に燃えるよう、火を追加したとのことである。
そうともなればもちろん、あわや、その小屋の周りに放たれた火が小屋に移ったなら、まず火事になることは避けられない。…中にいるオメガを始めとした人々の、その命の危険性もある危ない状況である――ましてやオメガは、体に油まで塗られている――が、この行為にはオメガを隔離し、操を守る以外の意味もあったそうだ。
というのは――そのオメガが本当に、神様に認められた神聖な存在であるかどうかを、それで試していたというのだ。
つまり、そのオメガと一家が神様に、神子とその選ばれし家族として認められているのならば――そうして炎に囲まれた小屋の中であっても、無事に三日三晩を過ごすことができるはず、というお試しであったというわけである。
それにしても、小屋の中はかなり暑かっただろうな。
まあ、ある意味ではサウナのようにダラダラ汗をかいて、確かに肌は綺麗になったのかもしれないが。――いや、命懸けのサウナって…今よりも尊重されていたとはいえ、昔のオメガもなかなか大変そうである。
さて、そうした六日間の“嫁入りの儀”を終えたオメガは、いよいよ(男女関係なく)白無垢をまとい、薄化粧をほどこされて“神様のもとへと嫁ぐ”。――その際には、村をあげての祝祭が行われたそうだ。…そしてその祭りの最後に、オメガは村中に見送られながら、国が迎えとしてよこしたお神輿 に乗って、王族アルファのもとへと嫁いでいったそうだ。
またそうして、神とされるアルファ王族のもとへと嫁いでいったオメガは、豪華なお城に住み――王族の家族、仲間として大切に扱われ、大変重宝され、王族同然の暮らしを送っていた。
きっと昔のオメガは、自分がオメガ属として生まれたことを幸福に思い、とても誇りに思っていたことだろう。
そうしてオメガはその昔、とても丁重に、特別な存在として扱われてきた――という歴史は、確かにあるのだ。
が…ただ、そのアルファとオメガの歴史は、現代の人々にとっては神 聖 な も の で は な い らしい。――むしろ、その時代のオメガのことを“アルファの寄生虫”と捉えている人が、今の時代には多いのだ。
我が国ヤマトでは、戦後に身分制度が廃止された。――そのため王族制度もなくなり、それと同時にオメガの“ヤガキ”という称号も、称号ではなくなった。
つまり、“ヤガキ”はただの、オメガがオメガであると分類するだけの記 号 となったのだ。
すると、これまでは国のシステムだからと従っていたベータの人々が、オメガが自分たちと同じ地位に下りてきた途端――オメガへの不満をもらし始めた。
お前たちオメガは、オメガ属に生まれただけで高貴な存在とされ、王族同然の暮らしを約束されていたが、アルファのように“全知全能”の能力があったわけでもないくせに、アルファ の子供を生むというその役割だけで、なぜ王族同然の贅沢な暮らしを与えられ、なぜオメガというだけでアルファ に寵愛されていたのか。所詮愛人のようなものであったくせに、どうせ子供を生むしか国に貢献できなかったくせに、と。
お前たちがかろうじて役立ってきたのはせいぜいがセックス、つまりお前らの価値なんて、所詮その体 だ け じゃないか。――…これは、なんとなくベータの嫉妬のようにも思える意見だが、僕らオメガを“アルファの寄生虫”と呼ぶ人々はそのつもりがなく、あくまでも正当なものとして、このような意見を口にしている。
そして、そのせいで現代では、この“ヤガキ”という分類名そのものまでオメガへの侮蔑表現、差別用語になりつつあるのだ。
ちなみに、現代において差別用語となってきているこのヤガキに対して国は、あくまでもオメガ差別を食い止めるために、という名目で――「ヤガキとは、かつて神聖で高貴な人という意味のある称号だった。オメガの人々は、過去も今も我々の国を支えてくれている重要な存在だ」という旨を広めてゆくことによって対処する…とは言っていたが、その実その政策が功を奏しているかといえば、正直疑問である。
事実国は、ヤガキのくせに、と口にする人々を、たとえば法律で罰するでもない。ましてやその人らの、その嫉妬とも取れるような意見をちゃんと聞いていれば、自ずとわかるはずだ。…そんなことを言ってしまうのは、むしろ火に油を注ぐようなものだ、と。
ただ上の立場の人間が漫然と、オメガ差別は駄目ですよ、と言っているだけでは、もはや差別を食いとめる抑制力ともなっていないのが、僕らの現実なのである。
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