28 / 689

3

          そうして現代社会では差別化してしまった背景により、この“ヤガキ”というミドルネームを名乗りにくいと感じているオメガも多くいる。  そのため、あえて姓名のみ名乗るオメガもいるそうだが――僕は、もはや此処では言わずと知れた“オメガの性奴隷”である。  何より目の前に居るソンジュさんには、すでに僕がオメガであることを知られているために、もはや今更とフルネームを名乗ったのだ。    そうして自分の名前…ツキシタ・ヤガキ・ユンファを名乗った僕の手を軽く握り、それからするりと穏やかに手を引いていったソンジュさんに、僕もまた手を引いて自分の太ももに乗せる。   「…月の下、艶やかに咲く…()()()()、ですか。はは…」   「あ、はは……」    そうやわらかい声で言ったソンジュさんは、ヤガキと聞いても特段の差別的な態度を見せることはしなかった。――が、…()()()()。  その口元に柔らかい笑みを浮かべている彼、少し顔をくいと傾けて。   「…ユンファさん…実は、先ほどから密かにずっと気になっていたのですが、――もしやユンファの()は、曇るに花のどちらか、ではないですか。」   「…あ、…ぁー…、…」    それは、…そうなのだが。――困惑してしまった僕に、ソンジュさんはすぐさま「…あぁ失礼、」と口にして、その凛々しい濃茶の眉をたわめ。   「…まさか、私などに言えるわけがありませんね。しかし職業柄、私は花の名前なんかにわりと詳しいものですから、つい…ええ、ともかく、とても素敵なお名前です。」   「…あぁはは、…ありがとうございます…、…」  花の名前に詳しいとは、正直どういう職業なのかは知らないが、…まさか自分の名前を、“素敵な名前”なんて褒められるとは思っていなかった僕だ。――もちろん褒められたのだから、と愛想笑いをこぼした僕は、このユンファという名前を、その実あまり良くは思っていない。  というのも、僕の両親――養父母――が付けてくれた名前ならばともかく、この“ユンファ”という名前は、オメガ属で生まれたからという理由だけで僕を捨てた、僕の実両親が付けた名前だからである。    ただ、自分の名前がソンジュさんの言うとおり、“月下美人”という花に基づいているものだとは養父母から聞いたのだ。  が――なぜ僕を捨てた実の両親が、僕に月下美人という花の名を“ホンファ読み”で付けたのかなんてのは、それこそその二人にしかわからないことだろう。   「………、…」    オメガなんか愛せないと捨てたくせに、名前だけは付けて…そうなら僕は、“僕の両親”に名付けてほしかった。  別に女性的な響きの、中性的な名前というのはオメガ男性にありがちであるし、その点はさして気にも留めてはいないのだが――僕を愛していない実両親に付けられた名前、というところがどうも、僕は今の今まで引っかかっているのだ。   「…すみません…ユンファさんのお名前は、おそらく月下美人の、()()()()()()でしょう。…そう密かに推測していたものですから、…本当に他意はなかったのです。」   「……あぁいえ、いいんです、気にしてませんから。…」    僕が今嫌な顔をしていたのはその実、僕の実両親のことを考えていたからだ。――ソンジュさんは、目は見えていないが鋭い洞察力を持っている人だ。…そのため、僕の不機嫌なオーラを感じ取ったかそう更なるフォローをしてきたが、…僕は本当に、それ自体は気にしていない。  ちなみに――今の時代の僕らはほとんど、自分の名前をカタカナで表記する。  というのも、僕たちの国“大和日本国(やまとにほんこく)――通称“ヤマト”――は、お隣の国の“蘭韓国(なんはんこく)――通称“ナンハン”――や、はたまた紅華国(こうがこく)――通称“ホンファ”――といった国々との関係性が深いために、漢字の()()がたくさんあるのだ。    ナンハンやホンファもまた、言語に漢字をよく使う文化の国々で、特にホンファは漢字の起源国でもあるのだが…その国々との密接な文化交流や移民の影響で、今のヤマトでは“ヤマト読み”、“ナンハン読み”、“ホンファ読み”、と…――一つの漢字にたくさんの()()が存在する。  そのため、漢字だけでは正確な読み方が推測できないのだ。…文章なんかなら前後の文脈から読みも推測できるが、名前にはそんな文脈などないために、それができない。    そういった事情から、僕らは基本的に、自分の名前をカタカナで表記するのである。――そして、だから今ソンジュさんは、僕の曇華(ユンファ)の漢字を聞いてきたのだ。      

ともだちにシェアしよう!