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それにしても――よりにもよって、どうして僕なんだろうか。
「…………」
また顔を伏せた僕は、考えている。
そもそもなのだが、オメガの性奴隷なんてそれこそ本当に、この国には探せばそれなりにいる存在だ(まあオメガ自体の絶多数が少ないため、ごろごろいるとまでは言いがたいが)。
正直、特別僕でなければならない理由もないだろうし、なんなら、僕よりも苦境を強いられているオメガだって、この国にはいることだろう。――そうしたオメガのほうがよっぽど、小説だとかのネタにはなるんじゃないだろうか。
その実、たとえばたまたま出会ったオメガが僕であり、たまたまその僕が性奴隷であったから取材を申し込んだ――というわけではなさそうだと、僕は考えている。
直感的な推測には近いが、少なくともソンジュさんはこのカフェ『KAWA's』の裏メニュー――すなわち、僕が性奴隷としてお客様に性的な奉仕をする、あの“スペシャルメニュー”の存在を知ったうえで此処に訪れているのだ。
ということはソンジュさん、僕が自分の作品題材にピッタリなオメガの性奴隷である、と、ある程度は目星をつけて、このカフェに訪れたんじゃないだろうか。
「…ユンファさんは今、なぜ自分が、とお考えですか」
「……え、あ、…はい、正直…」
また見透かされた。
もはやソンジュさんには、僕の心まで見られているようだ。――もう僕が何も言わずとも、彼にはすべて伝わってしまうような気さえする。…はっきり言って超次元的なテレパシストというか、これはもう神通力の域だ。
「…ふ、その理由はいくつかありますが…――ここはユンファさんにご安心いただくためにも、一つお教えしておきましょうか。…」
そう不敵な笑みを口元に浮かべているソンジュさんに、僕が「ええ」と答えると、彼はこう言葉を継いだ。
「それは…ユンファさんの手が、誰よりも特別にお美しかったからですよ。」
「……?」
いや、申し訳ないが、――それでも意味がわからない。
確かめるように顔を伏せた、その先にある――自分の大きく、白い両手の甲を見てみる。
青ざめ、生白いばかりにテーブルの下で陰っている僕の両手の甲は、ほとんど淡い灰色という感じだ。
それに今…特別、誰よりも?美しい手だなどとは言われたものの、だ。――見た目にしても、この手の甲に浮いているのは太く青っぽい血管、骨ばって筋の浮いたこの手の爪は日頃のストレスのせいかガサガサ、それに何より、奉仕のために短く切りすぎて深爪気味、不格好な爪である。
指だって男なりに太く節が目立って、普遍的なオメガ男性のようにいわば白魚の手、なんて評されるようではない。――僕の手は、とてもじゃないがどう見たって綺麗な手ではないのだ。
そうして見た目ばかりか、あるいは内面的な話をされていたとしても――ソンジュさんは目が見えないため、まあ例えるなら働き者の手、お母さんの手、というような意味合いで言った“綺麗”なのかもしれないが――とはいえ、先ほど彼は、僕のこの手が男性器を握り慣れていると見抜いていたわけである。
そんな手は美しいどころか、よっぽどうす汚れた不潔な手、というほうがふさわしいに違いないのだが。
本当に、はなはだ疑問だ。
「…僕の、手が…ですか」
いやまさか…というように訝しんだ僕の態度にも、しかしソンジュさんは「そうです。」と、きっぱりと即答したのだ。
「…この店に来たときにも思いましたが…――ユンファさんは目の見えない私を気遣って、優しく手を取ってくださいましたよね。」
「…あ、ええ…まあ…」
手を取った…ああ、確かに。
「…あのとき私は――この人の手は、なんて美しい手なのだろう、と思ったのですよ」
「……は、はあ…、…」
いや、まあ、まあ確かに。
そういえば、そうだった。
ソンジュさんがこの店に訪れたとき――。
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