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「――私には、恋人も配偶者もいませんが。…そう勝手に想定されても困ります。」
「…ふっ…」
ソンジュさんは何か、ひやりと冷たくなった低い声でそう言った。――だからといって僕には期待する気持ちなんかなく、むしろ僕の鼻先からはひどく小馬鹿にしたような笑みがまたこぼれた。
そんなの嘘だろ。嘘に決まっている。
「…じゃあなんですか…? まさか、僕を口説いてるおつもりなんですか。――はは…ソンジュさんってきっと、かなり勘違いされやす…」
「そうだと言ったら?」
「……は…、…」
は、と僕は言葉を失った。
あまつさえ――あまりにも真摯な響きの言葉だった。
「…ユンファさんには、私が軽率に、誰にでもこのようなことを言う男に見えているのですね。――それは全く、残念なことです。…」
「……、…」
ただ、それで嬉しいと思ったわけではない僕は、また彼に対しての強い警戒心を覚えている。――うつむいたままで体も心も強ばり、いよいよこの顔を上げることができないでいる。
「…勘違いなさらないでください。――私はユンファさんのことを、正真正銘口 説 い て い る のですよ。」
「……は…?」
さすがに、それはおかしくないか。
今さっき会ったような性奴隷の僕を、いったい何が目的で、この上品そうな紳士が口説いている、というんだ?
いや…多分冗談だろう。…意味のわからない、困るような、そんな笑えない冗談だが。
「…私は正直言いますと、このままユンファさんを自分の家に連れて帰りたいのです。――貴方のように、気高くお綺麗な男性は、こ ん な 地 獄 には相応しくありませんから。…ふふ…ユンファさんのこと、本当にさらってしまいたいな…」
「……、…」
やけに甘ったるい、ふんわりとした笑みが含まれているそのセリフは――むしろ、だからこそ怖い。
なぜか僕は、このソンジュさんに口説かれているらしい、マジで――本当に、なぜか。…いや、まさか。
「…どうですか…? 私の家にこのまま、着いて来てくださいます…?」
「………、…」
いやいや、さすがに冗談だろ…?
そう冗談めいたことを甘ったるく言うソンジュさんが、何を考えているのかまるで僕にはわからない。――まさか本気ではないだろうが…いや、あるいはこれもまた取材の一つの…何というか、僕は、これで彼に試されているのかもしれない。
「こ、困ります…、ご冗談だとしても、さすがに……」
「……、つまり、私の家には来られないと?」
「…ええ。僕、実は借金があるんですよ…――。」
これは体よく逃げたふうだが――その実、事実である。
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