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              「…それで…そういう、無理やり犯されたあとの期間は、もうその時点でほとんどノダガワ家の性奴隷兼家政夫のようになっていて、僕は、――でも、僕は今、思考停止するわけにはいかない。逃げ出すわけにはいかない。…そう思って、決心しました。――そう…性奴隷になると決めたんです。なぜなら…」    それは、あくまでも僕が()()()()()()働く期間が、それもケグリ氏の口でしかと、決められていたからだ。   『ケグリさん…貴方は、僕が借金返済のために働く期間は()()()と言いましたよね。』   『ああ、言ったとも。』   『…なら、もし僕が後者…その、――せ、…だから、その、あ、貴方の、っ性奴隷となることを選んだら、それも()()()ということでいいんですか』    僕はこの確認をしたとき、どうせまたケグリ氏はのらくらとかわして、“いや、そうじゃない”とでも言うかと思っていた。――しかし、意外にもケグリ氏はなにかニヤリと目を細め、『まあ、()()()()()()()そうなるね。契約書にもあるだろう?』とひと言、事もなげに答えたのだ。  いや、もちろん今は千日間となっているが、この契約は増える可能性のある(というより避妊薬を飲まないわけにもいかないため、確実に増額されてゆく)借金額に応じた期間となる――それはわかっていた。    それでも僕は――()()()()()()()より、()()()()()()()()のほうを選んだ。   「…ケグリ氏と結婚して、“一生生ぬるい性奴隷”となるか、または“期間限定でケグリ氏に好き勝手もてあそばれる性奴隷”となるかなら、――それならよっぽど、僕は“期限付きの性奴隷”となることのほうが、…よっぽどまだマシに思えたんです。」   「…………」   「…っだから、僕、…っ僕は、――」     『なら…、わかりました、――それなら僕は…あ、あなたの性奴隷になります、…千日間、ケグリさんの性奴隷になります…』    僕が出したこの結論に、ケグリ氏はとても不気味な笑みを浮かべ『いいのかね』と確かめてきた。僕はもう決めたことだと、先行きの不安に泣きそうになりながらもうつむき、『はい』と答えた。    すると、ケグリ氏は――途端に僕へ命令するような低い声で、この瞬間に僕がケグリ氏の奴隷であり、自分は僕のご主人様であると僕にわからせるように低く、冷徹な声で、こう言った。   『…なら、此処に正座して、()()()()()を読み上げたあと、土下座して私に頼み込みなさい。“僕をケグリ様の性奴隷にしてください”と、ほら、ユンファ』    僕は屈辱に汗ばかりかいていた。  目が回り、なぜかふわふわしていて、まるでこれが現実ではないような、悪い夢のような感覚がしていた。  だからか、このあとのことも、正直よく覚えていない。――ただ、たしかに僕はあの契約書を声に出して読み、ケグリ氏の足元に土下座して『僕をケグリ様の性奴隷にしてください』と言ったのだと思う。  なぜなら…感じたからだ。――僕の後ろ頭をケグリ氏の革靴の底で踏み付けられた感覚を覚え、僕は声をあげて泣いた記憶があったからだ。     「――それで…僕は土下座してケグリ氏の、…いえ、――ノダガワ家の皆さんの、性奴隷にしてくださいと頼みました、そう、なりました。でももちろん、期間限定ですが、…っ」   「……ファさん…、ユンファさん、…」   「………、…」    あ…あれ、――と、僕は、今更気が付いた。  というのも、…ソンジュさんが僕の隣に立って、僕の肩を揺すっていたらしいのだ。――僕は話をしている間中、彼が何も言わないと思っていたが、…もしかするとソンジュさんは、ずっと僕に話しかけていたのかもしれない。    このソファの角席が――()()()と同じ席であったからかもしれない。僕は周りが一切見えないほど、夢中で話し続けてしまったのだろう。   「ユンファさん! もう、…っもういいですから。」   「……ぁ…、…」    悲痛な表情を浮かべているソンジュさんは、いつの間にか僕の側に立っていた。  彼は、椅子に座る僕の隣に立っていたのだ。――そして僕の肩に手を添え、僕の顔を覗き込んでいる。   「……あれ…、そん、ジュさん…?」   「…………」    ソンジュさんは、サングラスを外していた。  それどころか、目を開いていた。――その切れ長のまぶたは、目尻が少しだけ垂れている。  その瞳は――透き通った淡い水色をして、うっすらと涙目になり、そして僕を心配そうに()()()()。    想像していたよりももっと彼、凄い美形だった。   「…もういいです。…申し訳なかった、私が軽率に聞いてしまったせいですね。…本当にごめんなさい。」   「………、…」    あ、あれ…?  もしかしてソンジュさん、僕が話している間にも、僕に話しかけていた――のだろうか?  あ、違う、だから、多分…そうだ。僕はさっきも同じことを思ったじゃないか。   「ごめんなさい…、僕、何も聞こえてい…」    僕の言葉のさなかにも、ソンジュさんは僕のことを――そっと、抱き締めてくれた。…ふわりと甘く、香水の良い匂いがする。   「いいのです。いいんですよ、ユンファさん…――もういいんです。…もう…大丈夫。」   「…………」    僕の耳元で優しく響く、低くも少し震えた声。  あたたかくて優しいその腕に、まぶたが重たくなる。    僕の伏せたまぶたから、涙が、こぼれてゆく。    そしてソンジュさんは、僕の後ろ頭を優しく撫でてくれる。――そのまま彼は、やわらかい声でこう言ったのだ。   「…帰りましょう…?」   「……、…え…?」    帰る…?   「――私と一緒に、家に帰りましょう、ユンファさん…」   「……ぃ、いえ、駄目です、それは、――家族のことがありますから……」    駄目だ、だって――だって僕、…僕が働かないと、父さんと母さんが生活に困ってしまう。  もしかしたら僕の稼ぎで暮らしているかもしれない、というか僕が働かないと、ケグリ氏に借りている借金を返済しないと、――僕がぐるぐるとそう考えている間にも、僕を抱き締め、頭を撫でながらソンジュさんは…固く、低い声でこう言った。         「…大丈夫ですよ、ユンファさん。…()が全部、何とかしてあげる…――。」             つづく

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