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「…ところでユンファさん、袖…通さないんですか」
「……ぁ…」
チラ、と僕の胸元を一瞥したソンジュさんは、少し心配そうに僕の目を見てくる。――僕のワイシャツはボロボロに破け、ほとんど僕の胸板の中央や腹は見えているし、また乳首にはそれの生地が被さって隠れているが、いや…隠れてはいない。――そもそも薄い生地であるために、やはり乳首もそこについたシルバーリングのニップルピアスも、透けて見えている。
そしてその状態の僕を心配し、自分のトレンチコートを貸してくださったソンジュさんだが――僕はまだ、それを肩から掛けているだけなのだ。
そういえばそうだった。…僕は袖を通そうかと、ソンジュさんのトレンチコートの襟を指で掴んだ。――が、…それ以上、動けない。
「…………」
僕は、どうしても…――どうしても、…動けない。
これは僕のお仕置きだ。僕の自業自得だ。このトレンチコートを汚してしまう。――どうしても、これ以上は体が、指が強ばってしまって、…動けない。
「……家に着いたら、まずは着替えましょうか。」
「……、ご、ごめんなさい…」
そんな僕を見ていたソンジュさんが、そう優しく言ってくれた。――僕は申し訳なくて、俯き謝る。
「大丈夫ですよ。…車の中はご覧の通り、カーテンが閉め切られています。――モグスさんにすら見えません。…」
そう微笑みを含ませて言ってくださるソンジュさんは、僕の太ももにある片手を、そっとその象牙の大きな手で包み込んでくる。
「…それに…車から出ても、私が。…ユンファさんの体が見えないように、隠してあげますから。…ね…」
「………、…」
本当に、優しい人だ。
でも、彼、そうして僕に優しくしてくださるが、――僕と結びたい契約は、…“性奴隷契約”なんだろう。
私も と言っていたくらいなのだから、およそ僕がケグリ氏と結んでいるような、ソンジュさんは僕に、あ あ い う 契 約 書 にサインさせようというのだろう。
「…ぁ…ありがとうございます…、…」
むしろ…そう思うと、この優しさは、つらい。
いっそノダガワ家の人々のように、端から下等な性奴隷として扱ってくれたほうがまだ、マシだ。――僕のことは、思い上がるなよ、お前は奴隷なんだからと扱わないと、…これから一週間の僕らの関係性的にも、妙な感じじゃないか。
それに、もし仮にこれからの一週間、こんなVIP待遇を受けるとしても――その一週間後、あるいは数日後に、またケグリ氏たちの元に戻らなければならない僕は、…それこそ、こんな大切に扱われたあとじゃその落差に、…正直、正気でらいられないことだろう。
そもそも、僕はソンジュさんに、この優 し さ の 見 返 り を何かしら求められているはずなのだ。
しかし、正直僕がソンジュさんにお返しできるものなんて、たかが知れている。――僕のオメガ属の体…、いわく強い快感を与えられるという僕の性器だとか、あとはこれまでに得てきたテクニックを駆使する性的なご奉仕だとか。別に体をもてあそばれても僕は、それをソンジュさんに見返りとして求められるというのなら、それはそれで構わない。むしろそのほうか安心する。――あるいは他に可能性があるとして、家政夫的に家事や炊事をする、だとか。
正直、僕がせめてソンジュさんに返せるとしたら、残念ながらそれくらいだ。…金があるわけでもない、際立った能力があるわけでもない、…せいぜいが僕のこのオメガ属の体と、雑事ばかりだ。――いや、そもそも万能とされるアルファ属のソンジュさんが、僕にそうした特別な能力を求める…というのは考えにくいことか。…それに、他のオメよりも出来損ないとされている僕の体じゃ、いよいよ安っぽい見返りとなってしまうか。
ソンジュさんは絶えず、性奴隷の僕なんかに、こんなに優しくしてくださるが…――いったい、僕の何が欲しいのだろう。
それは僕が返せるものなのだろうか。…ただ性奴隷でいるだけでいいのか。僕の体やご奉仕、雑事くらいならばむしろ喜んで差し出す、精一杯やるつもりだが、もしそれ以外であったらどうだか、…もちろん努力はするが、僕なんかがきちんと、彼に求められるだけのものを返せる自信はない。
まあ…仮に何を求められたとしても、僕は、できる限りそれをソンジュさんへ返せるように、努力するほかないのだろうが――。
「…ユンファさん。」
何か、少し沈んだ声で僕の名前を呼んだソンジュさんは、僕の片手をそっと取った。――そちらへゆっくり僕が振り返ると、彼は目線を僕の白く大きな手に向けており…「先ほどは…」と、なぜか少ししゅんとした様子で切り出す。
「…無理やりキスなんかしてしまい――申し訳ありませんでした…」
「…へ…、ぁ、いえ…いいんです」
なぜ…か、ソンジュさんは先ほどのキスを反省しているようだ。――「しかし…」と続けるソンジュさんは、取った僕の手の指先、ザラついた爪にちゅっと口づけたあと。
「…いえ、これは挨拶として…――先ほどは許可もなく、貴方の唇を奪ってしまう形でしたから…これでも本当に、申し訳なく思っています…」
そう、性奴隷の僕へと真摯に、ソンジュさんは謝ってくる。
僕は驚いた。正直かなり意外に思ったのだが、――むしろ…こんなに優しくしてほしくない、という意味も込めて、そして、何より本当のこととして、そう気に病む必要はないと、申し訳なさそうなソンジュさんの伏し目に、こう言った。
「…ぁ、本当に、そんな…全然、そんなに気になさらなくとも……――僕の唇は、…性奴隷の……無料 の唇ですから。…大丈夫です…好きなだけ、好きなようにキスをなさってください。というか…僕の体はどこでも、お好きになさってください」
「……、……」
少しムッとした表情をするソンジュさんに、僕はあっと気が付いた。――きっと、ならなぜさっきは拒んだんだ、と矛盾にムッとされたのだ。
「…あ、ごめんなさい…ただ、さっきはちょっと…あの、…口臭を気にしていて…それだけです、ソンジュさんに、ご不快な思いをさせたら申し訳ないと思って……」
「……、……」
しかし、ソンジュさんはよりムスッとしてその眉をわずかに寄せると、ふいっと横へ――遮光カーテンのほうへ――顔を背けた。――ただ、僕の手は取ったままだ。
「…正直言いますが」
「……はい…」
そう不機嫌な低い声で切り出されたことに、僕は身構えた。――お仕置きされるんだ、と…直感したからだ。…ノダガワ家の人々が不機嫌になるポイントは、これでも理解している僕だが、…新しいご主人様であるソンジュさんとはほとんど初対面であるために…なぜそう不機嫌になられたのか、僕はまだわかっていない。
「…あのあと、ケグリさんに…無理やり犯されたんでしょう。――そのあとに私の元へいらっしゃったこと…正直、わかっていましたよ。」
「……、ご、ごめんなさい…」
低く、不機嫌そうな声だ。
ソンジュさんにしてはまるで、子供がすねたかのような態度にさえ見える。よっぽど気に障ったのだろう――つまり悠長にセックスなんかして、ずいぶん長いこと僕が彼を待たせてしまったことを思い返し、ソンジュさんは不機嫌になってしまったらしい。
「…ずいぶんお待たせしてしまって、本当にごめんなさ…」
「いえ。たしかに待つのは嫌いだがそれはいい、――なんと言うか、その、つまり、…あぁ、…だから、」
「……はい、ごめんなさい…」
ソンジュさんは何かイライラした口調で、珍しく――といっても今日出会った人だが――しどもど、言葉を探しているような素振りを見せている。
「…とにかく、――精液のにおいがします。あの穢れた精液の、…っアルファは鼻が良いもので、すみません」
「あ…ご、ごめんなさい……」
そっか…――いや、だから僕は口臭を気にしていると言ったのだ。
ただ、狼レベルで鼻の良いアルファのソンジュさんにはもしかしたら、僕の膣内に溜まり、今もくちゅりと垂れて僕の下着を汚している、この精液の臭いをも感じているのかもしれない。
「…ごめんなさい、あの、正直…な、ナカにも出され……」
「……グゥゥゥ゛……」
「…っあ、ごっごめんなさい、ごめんなさ…」
また狼のように唸っているソンジュさんに、焦る僕――に、パッと険しい顔をして振り向いた彼は、
「……ッ!」
ガアッと獣の声で吠えながら素早い動きで、僕に、襲い掛かってきた。
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