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             この車がたどり着いたのは――地下駐車場だった。    ソンジュさんは完全にこの車が停まると――駐車が終わると――「とにかく、続きは家で話しましょう」と沈んだ声で切り上げては、…うなだれて、その朱色の下唇を少し噛んだ。   「………、…」    疑う気持ちはある。――ただ、酷い態度を取りすぎたんじゃないか、という…罪悪感もある。  しかし、これで…こんなことでソンジュさんを信用すれば、僕はつまり――また馬鹿になって、ほだされたということだ。……まさか、ありえないのだ。    惨めな性奴隷の僕なんかを――九条ヲク家に生まれたソンジュさんが、本当の意味で求めているなんてことは。    僕なんかを、彼が本当に好きになるなんてありえない。    彼が僕なんかと、何かしらの狡猾な理由なく結婚したいなんて、ありえない。    “運命のつがい”は一目惚れをする?  そもそも僕らは本当に、その“運命のつがい”とやらなのか? 正直、あれはただの偽造書だろう。――そんな奇跡的なこと、僕の身に起こりうるはずがない。     「……、…?」    さて、とにかく、と出ようとした扉の取っ手にかけた僕の手から、その取っ手はするっと逃げていった。――モグスさんが、また扉を開けてくださったのだ。   「…どうぞ、お足下にお気を付けて。」   「…、ぁ…ありがとうございます…、…」    今しがたまで険悪な態度をあからさまにしていた僕にも、モグスさんはニッコリと優しく微笑みかけ、その白い手袋をした手を差し出してくれた。――つまり、お手をどうぞ、というアレだ。    僕はちゃんとその人へ笑えただろうか?  ここまでしていただいては笑顔でお礼を言うべきだと思ったのだが、こんなセリフ、こんなシチュエーション、ドラマや映画、そうした特集の中に出てくるセレブなんかが経験するものであって、――性奴隷という以前に、一般家庭もそのような出の僕なんかが経験するとは、…と、正直圧倒されている。    僕は、そっと――間違えて車を傷付けないように――足をステップへと踏み出し、差し出されたその片手に手を置いた。   「…すみません…、ここまでしていただけるなんて…」   「いいやぁ、これが私のお仕事ですから。」   「………、…」    ソンジュさんのことも、モグスさんのことも、僕は信用するべきではない。…たとえ彼らに、どれほど優しくしていただこうともだ。――そうは思いつつ、僕はやはり、気の弱い人なのである。    結局僕は、差し出されたその手を取らないという、優しい笑顔を向けてくれたモグスさんを拒み、邪険に扱うということをする勇気がなかった。――そこまでして誰かに嫌な顔をし、嫌な態度を取って、自分の不機嫌を伝えることが怖かったのだ。    とはいえ――僕は別にそうヨタヨタするほど力がないわけでもなく、むしろオメガ属にしては少なくともベータ並みに力があるので、そっと包まれるようモグスさんに片手を握られながらも、あくまで添えるだけ、それで僕は、この薄暗い地下の駐車場に降り立った。   「…ありがとうございます」   「…いいえ。――お荷物は私がお部屋に運んでおきますので、どうぞお先に」   「…すみません、ありがとうございます、すみません、本当に…」    モグスさん…顔付きは精悍であるし、あごヒゲなんかおしゃれに生やしている人だが、なんてニコニコとにこやかな、優しそうな人なのだろうか。――いや…というのが、僕の駄目なところなんだろう。…人の優しさに、すぐほだされそうになる。僕は、馬鹿だ。 「いえいえ、それもお仕事なんですわ。」   「……大変ですね…」    僕は俯き、またワイシャツの合わせを押さえた。  するとモグスさんは、ソンジュさんのトレンチコートを引っ掛けた僕の肩を、ポンポンとなだめるように軽く叩いてくる。   「……ふふ…いやぁ、ユンファさん。――貴方のお気持ちはよくわかりますよ、私はね。あんな最低なこと言われちゃ…でも、勘違いはしないでくれる? あれで坊っちゃんも、もちろん私も、ユンファさんの味方なんですぞ。」   「…………」    そう朗らかな声で言うモグスさんの声は、この広くも壁に囲まれた地下にある駐車場に反響して聞こえくる。   「…やあ馬鹿でしょうーあの人。――まあ不器用なんですわ。…ああ見えて、本当に好きな人相手だと、ただどうしてやったらいいかわからないんです、坊っちゃんは。…」   「…………」    僕はモグスさんのその言葉に、あえて思考を止めている。…()()()()()()()という単語のせいだ。――それを深く分析することも、何かの感情で受け止めることも、僕はするべきじゃないと。   「…ねえ、契約だとかなんとか言って、結局はユンファさんと恋人になって、たーだ結婚したいだけなんだから。…私は坊っちゃんのオムツまで替えてたんだ。ミルクだって飲ましてやったよ。――あの()()とは、そんなときからの付き合いですわ。だからわかるんです。」   「………、…」    この響く明るい声は、まるで僕の頭の中に響く天啓のような響きである。――いや、きっと神様や天使の声は、こうしてジンジンと頭に響きながら聞こえるものなのだろう、という僕の勝手なイメージの話なのだが。   「…いやー多分、私が思うにだが、――ユンファさんは、()()()()()()()()()()なんだと思いますわ。」   「……モグスさん。」    そのモグスさんの言葉を制するように、後ろでソンジュさんが彼の名前を呼ぶ。――ただ別に、僕はそんなことを信じているわけではない。……初恋の人?   「…………」    僕はソンジュさんに今日初めて会った。――そうでなく、もしソンジュさんが()()()()()()()だったとしても、…僕がその人に指名されたのは、少なくとも今年中のことだ。  それで初恋の人と言われても、ならソンジュさんは今年に僕に初恋をした、ということになるじゃないか。――しかもモグスさんは先ほど、ソンジュさんに「お前はそんな童貞みたいだったか?」というようなことを言っていた。    つまりソンジュさんは、経験がある人だ。  というか、彼がカナイさんであった場合なら、いよいよもっとそうである。――あんなに優しく、僕にばかり快感を与えられるようなセックスはおよそ、まさか初めて恋をした人、童貞ができるものではない。……ましてやあの数々の甘い口説き文句にしてもそうだ、()()()()()()()じゃなきゃ、あんなにスラスラと出てくるわけないだろう。      僕がソンジュさんの初恋の人?  いや、確実にありえないことだ。         

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