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                「……惚れさせる…?」    何を、言うんだ――一週間以内に、僕を…自分に惚れさせてみせる…?  ソンジュさんはふわ、とやや弱気な目をする。   「…俺なんかじゃ…無理かもしれないけど、…」   「……いいえ。ソンジュさんは、凄く魅力的な方じゃないですか…」    思えばソンジュさんは、僕のことをよく見てくれている。――僕の顔色一つにすぐ気が付き、気を遣って心配してくださる。    なんだろう…――僕が今まで出会ったことのないタイプの人だ、ソンジュさんは。  とてもクールで冷ややか、冷静沈着で余裕たっぷりな大人の男性――そのイメージと共に、まれに彼に重なる、可愛らしい少年のようなうぶさや頑固さ、寂しげな少年の顔。…ときおり垣間見える愛らしいワンちゃんの姿。    僕をやすやすと抱こうなんてしない、その信念の強さ。    僕に恋をしてくださっているような、ソンジュさんの優しい眼差し…――そうして僕のことを大切にしてくれるソンジュさんの本心は、なんなんだろう。    ソンジュさんのように、僕にも心が読めたらよかったのかもしれない。――いや、たった一週間の間だけの優しさに違いないのだから、契約上の優しさに違いないのだから…わからなくてよかったのだろう。    僕はソンジュさんの本物の恋人ではないのだから、彼の優しさが、その眼差しが嘘であっても、言ってしまえば僕には関係ないことじゃないか。   「…むしろ、一週間も…僕なんかが貴方の恋人になれるなんて――嬉しいです、夢みたいで…、いや、本当に夢、見てるのかな……」   「……ユンファさん、…もういいよ。もういいんです」   「……え…?」    目に涙を浮かべて、ソンジュさんはふるふると顔を横に振った。   「…もうやめてくれ、…俺が辛いんだ、貴方の性奴隷の顔を見るのが、俺は、…貴方は性奴隷じゃない…――あのケグリにどんなことを言われたのか知らないが、…いや、今日に関してはきっと俺のせいだ、…申し訳ない」 「……、…大丈夫です。ありがとうございます」    しゅんとするソンジュさんに、僕は笑って見せた。   「…優しいんですね。貴方のせいじゃないのに」   「いえ、優しいのではなくて…」   「…優しいです。嬉しいです。ありがとうございます」    貴方が言ってくれたこと…思えば僕は、いつも彼の言葉にホッとしていた。――嘘でも、僕は確かに安心して、泣くほど嬉しかったのだ。  僕の体に値段なんか付けられない――そんなことを言われてしまうとは。…性奴隷の体だとわかっていて、そんなことを言ってくださる人がいたとは。    僕が卑屈になっても、ソンジュさんは面倒がらずに一つ一つ、丁寧に優しい言葉をかけてくださる。――根気強く、僕のことを癒やすようなことを言って、ときに叱ってくださる。   「……、……」    僕は俯き、少しだけ――ほんの少しだけ、目が潤む。  幸せかもしれないのだ。――そうして叱り、優しくしていただけることが幸せだ。…一週間こうなら僕は、本当につかの間の幸せな夢を見られそうだ。   「…………、」    するり…また僕を抱き締めてきたソンジュさんは。   「……グゥゥ゛…っケグリたちが言っていたことこそ嘘なんだ、ユンファさん、…ッ」    と唸り、叫んで、僕をキツく抱きすくめてきた。  あきらかに怒っているようなソンジュさんに抱きすくめられて多少怯む僕だが、今はあまり怖くはない。――獣の唸り声に怯んだだけで、ソンジュさんの怒りの感情は、今は僕に向けられたものではないように直感している。   「…なぜ怒るんですか…」    僕がそっと聞くとソンジュさんは、喉の痛みを堪えている人のような小さな掠れ声で、こう言った。   「……俺は、――痛いのです。…胸が痛い。だからその痛みに唸った。…それだけです、失礼いたしました…」   「……、…」    すると…僕の手は迷った。――ソンジュさんの背中のあたりで彷徨った。…居場所を求めて彷徨った。彼の背中がもしや、僕の居場所のような気がしてしまった。  まるでソンジュさんが、僕のことを堕とした人々に怒ってくださったようだったからだ。    僕の震えている手は夢の中を彷徨って――指の関節が曲がり、引いて、…決めた。違う。ここじゃない。  ソンジュさんの胸元に落ち着いた僕の両手は、押し退けようとしたのではなく、添えただけだ。   「…本当に、優しいんですね、ソンジュさんは」    今ソンジュさんを抱き締め返してしまったら、僕は一週間という短い時間を、あまりにも受け入れられなくなってしまったかもしれない。    そんなことをして、自分を許してしまったら――僕は貴方を、好きになってしまったかもしれない。…貴方の優しさにほだされて、愚かにも自分の立場を忘れてしまったかもしれない。    でも、嬉しかった。  偽物の優しさでも、本物とそっくりの優しさならば、僕はそれでも嬉しい。――僕は痛むというソンジュさんの左胸を、指の関節を曲げてそっと、撫でる。   「…貴方の、胸の痛みがなくなりますように…」    優しい貴方の側に居ると、僕まで優しい気持ちになれる。――僕は今、心からそう思えたのだ。    僕は今、心の底から神に祈ったのだ。   「…ソンジュさんの苦しみがなくなりますように――優しい貴方が、救われますように…」    僕の左耳についている十字架のピアスへ、そう祈り、語りかけた。  きっとソンジュさんは、救われない人なのだ。だから僕なんかにこうして、偽物の優しさを注いでくださるのだ。…だからソンジュさんは、幸せになるためのものをいくらでも持っているというのに――どこかで満たされない気持ちがあり、きっと寂しい人なのだ。    誰かに優しくすることで、僕なんかにかりそめであっても優しくすることで、きっとソンジュさんは救われたいのだ。満たされたいのだ。彼だって幸せになりたいのだ。  ならば、そんなソンジュさんの本当の救いというのは――きっと誰かのことを本当に、心から愛し、その人と愛し合い、きちんと結ばれることだ。    愛したいのだろう。優しくしたいのだろう。…学びたいのだろう。愛を、人を、優しさを。   「貴方が誰かを本当に愛し、愛し合い、幸せになれますように」 「……、…っ、…っ」    ソンジュさんは泣いているようにひく、と喉を鳴らすと、僕の体をより強く抱き締めてくる。――僕の背中を何度も上に、下に撫でさすり、彼は泣いているような震えた声で、       「――俺は貴方の目を塞ぎたい、…」         

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