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「…ユンファさんは本来プライドが高く、その上、生真面目かつ賢い人だった――しかし残念ながら、そういう人ほど、マインドコントロールにかかりやすいものなんだそうです。…」
「…………」
する…する…と、僕の後ろ髪を撫で続ける、ソンジュさんの優しい手。――僕の脇の下から回った彼の手は、しかと僕の背中を抱き留め、支えてくれている。
「…マインドコントロールとは…あくまでも自分の選択によって今の状況を選んだ…だから耐える必要がある。自己責任だから、自業自得だから、今の辛い現状に疑問を抱いたり、文句を言う権利などない…――責任感が強く、そう真面目に考えてしまう人ほど…そうして誰かに頼ることが苦手な人ほど、かかりやすいと言われている…」
「………、…」
僕はいよいよ、そのままペタンと力なく座ってしまった。――僕は今、酷い虚無感を覚えている。…僕は、きちんと自分の意思を、持っていると思っていた。
「…マインドコントロールとは主に、他人の恐怖を利用して操ることが多い。――たとえば殴られる、拷問される、傷付くような酷い言葉を言われる…そうした虐待から逃れようと、いわば、い い 子 に な ら な け れ ば と思い詰める子供のように、真面目な人ほど、どんどん言いなりになっていってしまう…」
「…………」
僕は、ソンジュさんにもたれかかって、彼の優しい声に、優しい髪を梳くその手に…酷く安心している。――それなのに、ドクドクと早鐘を打つ、自分の心臓が痛い。
「そうしてガチガチに価値観を定められ、視野を狭められ、自分は駄目な人間だ、いや、このままじゃそれ以下だ、自分は人間ですらない、と思い込まされるのです」
「…………」
そっか…――そっか、そうだった。
そうだったんだ…僕、本気でケグリ氏たちより自分が下等な、もはや人権のない存在だとすら思っていたんだ。――道具、ペット、家畜、おもちゃ、性奴隷。
「…あと、これも言っておきますが…彼らに笑えと命令された末に、癖になったユンファさんの笑顔…――人は、表情を意図的に変えると、自分の脳を騙せるそうです…、たとえば苦しいときに笑みを浮かべると、じわじわと今自分は嬉しいんだ、楽しいんだ、と錯覚してゆく…」
「……そうなんだ…」
そう、なのだ。――そう…僕は笑うことが癖になってしまっている。…犯してもらうとき、犯してもらっている最中、犯していただいたあと、お出迎えのとき、…ご主人様に接するときは、笑顔でと言われているからだ。…じゃないと殴られるから、お仕置きされるからだ。
「…それから…たとえば犯されて辛いときに、気持ちいいと言わされたりしませんでしたか…」
「……ええ…」
そういえば、始めのころは特に苛烈であった…――痛いとき、嫌なときこそ、無理に笑え、無理に「気持ちいい」と言え、と命令された。…その一環であるのが、たとえば「ユンファのおまんこ気持ち良いです、ありがとうございます」だ。――たとえどれほど痛くとも、辛くとも、今自分のソコが気持ちいいんだ、気持ちよくしていただいているんだ、だから感謝しろ、と。
しかし、事実僕はいやらしい体だ。汚い体だ。僕の体はもう元には戻らない。――本当に痛みにさえ感じるようになっているのに。どうでもいい、気持ちいいからと心から思うようになっているのに…――それも…マインドコントロールの、せい……?
「……口にする言葉というのも、人の脳にそれが真実だと刷り込み、騙すのに有効な手段だそうですよ…――これは気持ちいいことなんだ、自分はこれに感じているんだ、そのあとに…お前はいやらしいヤツだな、マゾの変態だな、こんなに酷く犯されて感じているのか、と言われれば…さらにそう刷り込まれてゆく…」
「……、……」
なんだ、僕…――じゃあ僕、はじめから…。
はじめから、マインドコントロールされていたんだ。…はじめからケグリ氏たちは、僕をマインドコントロールしようとしていたんだ。――僕、本当に…マインドコントロールされていたんだ。
「…貴方はいやに、ご自分のことを卑下した言葉をすらすら言われますが…たとえば、“ユンファはマゾの変態です”…というようなものもそうだ。…あえて貴方の名前を付け、自分をおとしめるようなセリフをわざわざ言わせるのです。――嫌々でもそういうセリフを言い続けた人は、自らの脳を騙し始める。…そうして本当に自分はそうなんだ、と思い込ませてゆくのです。」
ソンジュさんは、ちゅ…と僕の頭頂部にキスをし、さらに穏やかな声で続ける。
「…それにユンファさんは、よくご め ん な さ い と謝られますよね…――出会い頭にも申しましたが、それは、ユンファさんほどのご年齢の男性は、自然とそのように謝るのは不自然なのです…」
そう言うソンジュさんの声は、まるで子供に語りかけているかのようにやわらかく、とても優しい響きだ。
「おそらく…ユンファさんは、はじめこそ彼らに“ごめんなさい、お許しください”という言葉を強要されたのでしょう。…しかし、それを言い続けるうちに、身に、脳に染み付いてしまった…――きっと報復…いえ、お仕置きが怖いから、でしょう。…そうした感覚にせよ、やはり貴方は完全に、ア イ ツ ら に 操 ら れ て い る のですよ。」
「…………」
僕の心が、見 え て い る 、のだろう…――ソンジュさんは、神様だから。…ソンジュさんは、やっぱり神様なんじゃないか。本当に神様で、僕のことを空からずっと見ていらしたんじゃないのか。…もしかして…僕を助けてくださる、神様なんじゃないか。そう思うと、彼の言葉を全て信じてしまう――そうだったんだ、と。
「…そうしているうちに、わからなくなってしまうのです。――従わされているのか、自分の意思で従っているのか…、この人に従っているから、自分は生かしてもらえているのか、…自分は生きるために、この人に従っているのか…、…そうして、曖昧になってゆく…――ユンファさん本来の精神が、価値が、本当の気持ちが…わからなくなって、本当の感情を、表には出せなくなってゆく…」
「……、…っ」
僕は体中に広がる安堵感に、嗚咽した。
僕の嗚咽を、その大きな体で受け止めたソンジュさんは、僕のことを確かに抱き締めてくる。
「…それに…嫌々従ってやっているんだ、自分の目的のために耐えているだけ…巧妙なのは、期間を設けていることです。…その期間だけ耐えればいいのだから、という救いをチラつかせておくことも、マインドコントロールの手法の一つだ…――嫌だと、そう思いながらも逆らえないというのなら、ユンファさんは心を操られ、行動にしろ思考にしろノダガワの人々に支配され、操られている状況です。…」
ソンジュさんは、僕の熱くなった片耳に、その濡れた唇をぴとりとくっつけ――神様の優しい声で、こう囁いてくるのだ。
「……ね…? おわかりいただけましたか、ユンファさん…――貴方は今、ご自分が思っているよりもずっと危険な状態なのです…、…今のユンファさんには、俺 の 助 け が 、必 要 なのですよ…?」
「……ッ、…ッ、…はい、…」
僕は泣きながら、何度も頷いた。
貴方はきっと、神の目を持つ全知全能の神様なんだろう。――なんでも知っているんだろう。…僕のことを、人々のことを、この世界のことを、なんでも。
僕のこと、貴方が助けてくださるんだ…――。
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