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「……あっ、…」
ソンジュさんが、わざわざまた僕を横抱きにした。
僕がミルクティーを飲み干すと、それを見ていたソンジュさんは「お腹、少しは満たされましたか」と。――僕は頷いて「ご馳走様でした、ありがとうございました」と彼に振り返った。
するとソンジュさんは、僕の手から水筒のフタを取りつつ「もうミルクティーのおかわりは大丈夫? あるいは、水でも何でもお出しできますよ」と気遣ってくださったので、僕は首を横に振った。――それににっこりと微笑み、水筒のフタをテーブルの端に置いたソンジュさんは、…いきなり。さっと立ち、さっと僕を、横抱きにしてきた。
「…はは…じゃあ、少し眠りましょうね。お疲れでしょう」
「……、…は、はい…」
と、またソンジュさんは、僕の体をベッドへとそっと、優しく横たわらせた。――僕は今ベッドに座っていたのだから、単にそう言われただけでも別に、反抗せず自分で横になったのだが。――わざわざ抱き上げられずとも、もちろんわざわざ、寝かされなくても。
ふわ…と、僕の後ろ頭がふっくらとした枕に沈み込み、自分の体がこの大きなベッドに横たわると――ソンジュさんに、組み敷かれる。
「……、…、…」
僕はじっと、その人の妖艶な笑みを見上げる。
もぞ、と――僕の腰が、揺れる。…じわりと目が熱く潤み、ごく、と僕の喉仏が上下する。
「……そんなに可愛い顔して、全く…、このまま襲っちゃおうかな…? はは、なんてね…」
「………、…」
僕はソンジュさんに、小さく頷いて見せた。
襲ってください。…構いません。むしろ…――する…と、ソンジュさんの手が、僕の腰を撫でる。…それだけでひく、と跳ねてしまったそこに、彼は困ったように眉をたわめた。
「…ふ、腰が揺れてるよ…、でもね、ユンファさん…」
「…はい…」
そしてソンジュさん…不敵に、少し、悪くニヤリと。
「……盛るだけが、男の愛ではない。いや、むしろ欲しがるだけが俺の愛ではないと、俺は貴方に証明したいのですよ…――というのも、俺がキスをねだったとき、ユンファさんは何か勘 違 い なさったようですから。…俺はね、当たり前だが…、ユンファさんの、その美しい体だけが欲しいのではないんです…」
ふふ、と色っぽく笑ったソンジュさんは、おもむろに僕の横に座ると――足下に畳まれた掛け布団を引き上げながら、僕の体とともに、それを掛けつつ横たわる。
「おいで」
「………、…」
そして僕の体を横向きに、――ソンジュさんは、僕のことをそっと抱き寄せ、僕の横髪を撫でてくる。
「…俺はあのとき、ユンファさんが好きすぎるあまり…もはや、モグスさんだ、このマンションの住民だ、そうした他 人 が 至 極 ど う で も よ か っ た のです。ただ猛烈に、貴方が、貴方の唇が欲しかった…理性に優る貴方への愛を、ただ素直に表に出した…それだけのことでした。――それに、むしろ他人に見せ付け、自慢したかったんだ…、俺の美しい恋人のことを、ね…」
「…………」
そんなことまで、ソンジュさんには見えてしまうものなのか。――確かに僕はあのとき、こう思っていた。
契約上恋人関係であろうとも、僕が性奴隷であることが前提にあるからこそ、ソンジュさんは僕にキスを強要したに違いない、と。――拒否権なんかお前にはないんだぞ、性奴隷なんだから…――だから僕のNOは、ソンジュさんには関係ないことなんだ、と。
「…ケグリたちには特にね…、それに…恥ずかしそうな顔をしているユンファさんが、正直たまらなくて…、キスをしているときのうっとりとした顔も、本当に可愛らしくて……欲しくて、欲しくて…」
「……、…、…」
へ…僕の、キスをしているときの顔――もしかしてソンジュさん、度々盗み見ていた…のか。
ちゅ…と僕の額にキスをしたソンジュさんは、そこに「正直、勃起しました」と擽ったく響かせてきた。――すーっとふわふわのローブの上から、うなじの下から背筋をゆっくりと撫で下げられ、…はっきり言って。
「……勘違い…して、ごめんなさい…」
ごめんなさい、…だから…――お願いだから、こんな焦らすようなこと、やめてください。…後悔している。いや、あのときそのように考えていた僕は、今の僕でも悪かったとは思わない。むしろ仕方なかっただろう、と自分で自分を許してはいる。
「…ふふふ、いいえ…? 構いませんよ。…ユンファさんには嫌だ、と示されたのに、それでも貴方が欲しくてたまらず…貴方の唇を貪ったのは、俺ですからね…」
「………、…」
当て付けのつもりなのか…本当に、別にいいよ、という気軽な意味なのか――僕にはソンジュさんの本音が見えてこない。…ふわふわした布の上から腰の裏を撫でられている。このローブのくどくなく、それでいてこってりと甘いバニラ系の良い匂いに、ソンジュさんの爽やかなマリン調の匂いが、僕のことをそわそわさせる。
「…恋というのは、不思議なもので…二律背反の理 があるものなのです。――愛しい人の気持ちを何よりも尊重したい、という仏心と…愛しい人の意思がどうであれ、どうしてもその人のことを貪りたい、という悪鬼の衝動……どちらかだけでは、およそ恋ではないのだろう…」
「…………」
この静かな部屋に唯一の声…僕の横髪を優しく、なで…なで、とするソンジュさんの、その優しげな低い声に、胸の中がそわそわと落ち着かなくなる。――しかし何より、恋のことを何も知らない自分が、浮き彫りになるのだ。
何よりも尊重することと――猛烈に求めることが、両立している状態こそが…恋。なんだそうだ。
知らなかった…それを知らなかったせいで、僕は勘 違 い を し た のかもしれない。――つまりソンジュさんは、あのときも僕のことを恋 人 と し て 求め、キスをしてきた…ということらしいのだ。
――恋人…として。
胸が切なく、苦しくなる。――僕は、もういいのだ。
僕は、ソンジュさんなら、いい。
いよいよ負けた。――僕はもう、そ れ で も い い と、完全に思っている。
僕のまなじりに口付ける彼に、僕は目を細めながら、下のほうを見て。
「……ソンジュさん…、もし…貴方がもし、モウラみたいに、僕を騙そうとしていたとしても…僕はもう、貴方のことを、絶対に恨みません…」
どうして恨めるだろう。
こんなにも救われて、こんなにも優しいソンジュさんのことを、どうして僕が恨めるだろう。――この恩をソンジュさんに返せるのなら、それこそ僕を利用したって構わない。…たとえば僕の体を使って、お金を稼ごうというんだっていい。たとえば僕の心の機微を利用し、作品を書くために利用しても構わない。何だって構わない。――優しい貴方 のお役に立てるなら、僕は何だってする。
ただ…――その代わりに、僕にはせ め て も の 望 み がある。
「…でも、その代わり、お願いですから…――どうか最後まで、僕を騙しきってください……」
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