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「ふふ…、そう怯えなくとも、痛いことなんか一切いたしませんよ…――ましてや俺は、ユンファさんのこの美しい体に傷を付けるような真似、したくありませんからね…」
「……、…?」
ソンジュさんは、そうして――頭上に腕を上げ、手首をまとめられて固定され、また、脚も自由に閉ざせない格好の僕を組み敷くようにして、上へと戻ってきた。
冷ややかな光をたたえているその薄い水色の瞳は、まるで僕を見下すような目付きだ。
このうす暗い部屋の中で光る、ベッドサイドランプの明かりが、彼の両目の目尻側をぬらぬらと妖しく光らせている。
「…これからは…俺だけが、ユンファさんのご主人様だ……」
「……、……」
僕は恐怖のあまりに喉が詰まって、何も言えなかった。
ソンジュさんは、ふう…とその切れ長の目を細めて妖艶に微笑むと、くいと小さな顔をわずかに傾ける。
「…そして…あの“性奴隷契約書”にもある通り…もちろん俺は、あの気色の悪いガマガエルや、醜く肥えたクソ豚、下水道でチューチュー戯れ言を抜かす薄汚いドブネズミと…――ユンファさんをシ ェ ア するつもりは、その実全くありません……」
「……、…、…」
静かな声ながら、強く固い声色でそう言ったソンジュさんは、す…とその切れ長のまぶたを少しだけ上げる。――今の彼の瞳は、とても暗いものを宿して翳っている。
「…もうユンファさんは、俺 だ け の も の だ…――さ、貴方も、俺だけのものになると、改めて誓って……」
「……、でも、…」
僕は、でも、としか言えなかった。
そもそも僕は、ノダガワ家の性奴隷である。――ソンジュさんは、ノダガワ家から僕を借りているのだ。…ましてや一週間後、僕は再びあのノダガワ家に戻って、また彼らの性奴隷となる。
そんな立場の僕が、ソンジュさんだけの性奴隷になります、と、誓いを立てられるはずがない。――いや、違う、違う違う違う、…僕は違う、そうじゃない、…わかっているのに、なぜかそんな思考が頭に浮かんできてしまった。
「…ふっククク…、大丈夫ですよ、ユンファさん…――ケグリたちのことは、俺が全部なんとかいたしますから…」
「………、…」
でも僕、千日間は少なくとも、ケグリ氏の、僕はノダガワ家の性奴隷で…――違う、違う、違う、…なぜそう考えてしまうのか、…揺らいでしまう僕の瞳を捉えて、ソンジュさんはニヤリと笑う。
「…言ったでしょう…? もう二度とアイツらの元へ、貴方を帰すつもりはないと……」
「……、…は…はい、それは……」
そう…だったかも、――寝起きに相まって混乱もしていて、もう僕の頭は何かを判断できるような状態ではない。…しかしソンジュさんは、そんな僕を見ながらもゆっくりと、まるで蛇がシュルシュルと舌を動かしながら艶めかしくくねるように、ゆらり…ギイッとおもむろに片腕を立て、僕の真上にその美しい狼の顔を、…いくらかほつれたホワイトブロンドの前髪が、下へ垂れる。
そして――まばたきもせず、淡い水色の瞳を暗く翳らせながら、鋭い睨むような目付きで、僕のことをじっと見下ろしてくる。
「…異論は、ありませんか…? これからユンファさんは、俺 だ け の も の 、ということで……」
「……、あ…あの、でも…そうだとしても、…」
もう、抗えないのだろう。
そもそも、どうやって抗えるというのだ。――この家にまで来て、九条ヲク家のソンジュさんが相手で、…手足を拘束されていて――抗うつもりはない。…ただ、僕が唯一それでも気がかりなのは、僕 自 身 の 運 命 ではない。
そう僕が言い淀むと、ソンジュさんはぐうっと僕に顔を寄せてきては、冷ややかな目をして僕をじっと見つめてくる。――僕はその美しい顔の威圧感に思わず、顔を横に背けた。
「…ふふふ…、ねえユンファさん…――貴方を救えるのは、その実……」
「……、……」
ソンジュさんの艶やかな吐息が、そのゆったりと紡がれる言葉が、僕の片頬に絡みつくようだ。
「誰だと、思いますか…? 貴方を救える存在が、まさか…俺 以 外 に い る とでも…?」
「……、…、…」
そのまま…ソンジュさんは僕の頬に唇を掠めながら、優しげな低い声で。
「もし他にいるなら…俺に教えてくれないか…? 正直邪魔なんだ、殺してきてやるから……」
「……っん、…ッ」
擽ったい、というか…なんで僕、――腰がゾクゾクしてしまったんだろう。
「…ふふふ…ね、ユンファさん…貴方は、俺に従うほかにないはずです…――ユンファさんを助けてあげられるのは、この鎖を外せるのは…、俺だけなのですよ…?」
カチャリ…頭上に纏められた、僕の両手の側面を撫でたソンジュさんの手が、鎖の音を鳴らす。…そう、自分に従えと柔らかい声で命じてくるソンジュさんに、僕は眉をひそめながら、ぎゅっと目を強く瞑りながらも、――それでもやっぱり、僕の脳裏に浮かぶのは。
「っ構いません、…構いません、僕はどうなっても構いませんから、…」
別に構わない。
でも、…と、僕は正直怖くて、泣きそうだ。
「…僕のことをどうしたって構いません、もうソンジュさんだけの性奴隷 ということで構いませんから、――でも、でもどうか、…お願いします…」
「……、なんでしょう」
「僕の、両親のことだけは…どうか…、本当に…約束してください、面倒を見ると……」
僕は悪い想像に、覚悟を決めた。
どんなに痛い目にあうか。――どんなに辛い目にあうか。…それこそ残虐な方法で殺されるかもしれないとさえ思うが、…それでも、僕の信念は変わらない。――僕を愛してくれた、僕の両親…彼らのためであるなら、僕はもうどうなったって構わない。
そのためならば、僕はどうなってもいい。死んでもいい。殺されたって、殴られたって、犯されたって、何を失っても、もうそれでもいい。
僕は、両親への思いに縋って生きてきた。――だからここまで耐えて、生きてこられたのだ。
「ふっ…本当に貴方は、ご両親思いの人なんだね…、もちろん、その点はご心配なさらず……約束よりも重く、神にも誓いますよ。――必ず俺が、彼らの面倒を見ると…」
「……、…はぁ……」
僕はとりあえずの安堵を覚えた。
ソンジュさんが僕の片頬に「もう彼らも、俺 に と っ て 他 人 で は あ り ま せ ん のでね…」と低く言ったことには、…意味がわからずぎょっとしたのだ、が。
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