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                   僕に新しい首輪を、新しいニップルピアスをつけたソンジュさんはおもむろに――また僕の腹あたりに、馬乗りとなった。……そして彼は、今しがたまで僕がつけていた赤い首輪を左の手のひらに下げ、それを冷徹な瞳でじっと見据えている。…無表情のソンジュさんは、ほとんど唇を動かさないで、静かにこう僕へと問いかけてくる。 「……ねえユンファさん…こんなもの、もういらないよね…?」   「……、……、…」    そう、言われると、――なぜか僕は、泣きそうになる。  いらない、と思っていた。…あの首輪が外れることを、僕はいつも願っていた。――あの赤い首輪から開放されることを、僕は願っていたはずだった。    それなのに…――どこかで、あの首輪を惜しむ気持ちがある。…捨てられては困る、という迷いが僕のなかの、どこかにわずか、あるのだ。  この赤い首輪を失うことが、なぜか怖い。――あれを失った自分が、どうなってしまうのか、わからなくて怖い。   「…じゃあ、俺が壊してあげようね…、見ていて…ふふふ…」    ゆっくりとした口調でそう言い、ソンジュさんは冷ややかな目をして、片手に下げて持つ首輪を見ている。――そしてニヤリとすると、彼はひょいと首輪を見たままに眉を上げ、…僕のわき腹あたりから拾い上げた、大きなハサミを右手に取った。   「…見ていてね、ユンファさん…、見ていてね、目を塞がないでね…、ちゃんと見ていて……」    広がった大きなハサミの、鋭利な刃が――赤い革の首輪の端に、かざされる。   「…は、…っは……、――や…やめ、て……」   「…やめられるわけがない…、壊さなきゃ……」    ジョキン――赤い首輪の端が、あっさりと簡単に断ち切られる。  ジョキン、ジョキン、ジョキンと、どんどん細かく切り刻まれる、僕の赤い首輪。   「やめて…、やめて、やめて、…お願いやめて、…」   「…壊さなきゃね、どうして…? こんなもの壊さなきゃ…」    ジョキン、ジョキン、ジョキン――。   「っお願いぃぃ…、…やめてぇ……ッ」    まるで自分ではないような、泣いてねだる子供のような自分の泣いた声が、耳障りだ。――それでも駄目だ、駄目だ、と、あの首輪を取り返さなければ駄目だと告げてくる僕の本能は、警告のアラームのようにけたたましく。   「…ッふざけるなよ!! からかってるつもりなら、いい加減に…ッ」   「からかってなんかない…」    ジョキン、ジョキン、ジョキン――無情にも細切れになってゆく、赤い首輪。   「いらない…、いらない…、いらない…、いらない…」    ジョキン、とハサミで首輪の端から切ってゆくソンジュさんは、そのハサミが閉じるたびうわ言のように、そうボソボソ繰り返している。   「…っやめろ、…っやめろって、…やめろよぉ!!」    僕は目を見開き、やめろと叫んだ。  身をよじり、やめてくれ、やめてくれと必死に示すが、――ソンジュさんは僕の上に馬乗りになったまま、…ジョキ、ジョキ、と無表情でその首輪を切ってゆく。   「……っやめて、…やめ、…っもうやめてぇ…っ!」   「いらない、こんなのいらない…ねえ、いらないだろユンファ…? これが忌々しくも、貴方を苦しめていたんだから…、壊さなきゃ…、壊さなきゃいけない…、ゴミにしなきゃ…じゃなきゃまた貴方は、これをつけてしまうかもしれないだろ…、ゴミなんだよ、こんなもん…ゴミだ、ゴミだよ、ゴミなんだよ…? ほら見て、ゴミだ…」    ジョキ、ジョキ、ジョキ…――ボタ、ボタ、と細切れになってゆく首輪が、僕の腹に落ちてくる。   「こんなちんけなものが、俺のユンファを呪ったんだ、――これが、俺のユンファの、誇りを奪ったんだ、…っこんなもの、…こうなって当然だよ…、んふふ…」    険しい顔をしたと思えば、上ずった声で話し、笑い、ジョキン、ジョキンとまるで子供が遊んでいるように、首輪を切り刻むソンジュさんの楽しそうな笑顔は、――狂っている。   「…やめて…、ねえやめて…っ? お願い、頼むから、もうやめて……」    いや…――僕もきっと、もう狂っているのだ。  その首輪を、惜しんでいる。…やめてくれと、もう壊さないでと、ソンジュさんに懇願している。   「…駄目だ、これが悪いんだ…、これが悪いんだから…、これが…これが俺のユンファを苦しめたんだから…いらないよこんなの、いらない…、ゴミだ…ゴミ…ゴミ…ゴミ……」    ボソボソと唇をほとんど動かさず、無表情で赤い首輪を切り刻むソンジュさんは、いよいよバックルのキワまでその大きなハサミで細切れにしてしまった。――僕のやめては、今の彼には聞こえていなかったらしい。   「……あーあ…、もうこれじゃあ着けられないな、ふふふ…」   「……、…、…」    そうあどけない子供のように言って、ニコッと無垢な笑顔を浮かべたソンジュさんは、ポイッとハサミをベッドへ放り出した。――僕は呆然として、下、横のほうへ目線を伏せているソンジュさんを見ている。  彼は目線の先にある何かを拾った。――それは何か、銀色の工具のようだった。…それの丸い刃に、…ソンジュさんはベルトのバックルのフチを噛ませた。そのまま彼は、その工具の持ち手をぐうっと握る。    ガチンッ――バックルが割れた、切れた、というべきか。…ソンジュさんは執拗に、酷く無機質で冷たい目をその()()()()()()()()へ向けながら、ガチンッガチンッとバックルまで粉々にしてゆく。   「…死ねばいいのに、あのケグリ、死ね…」   「……、…、…」   「死ね、死ね、死ね…あの変態…死ねばいいのに……」    ボソボソと何かをうわ言のように言いながら、ガチンッガチンッとバックルをバラバラにしたソンジュさんは、はら、と自分の手から落ちていったベルトの最後の破片を、ポトン、と僕の体の上に落としては――それをつまみ上げるように、バラバラになったベルトの破片を、パラパラ落としては、遊んで。   「…ははは…っ見て。こんなになっちゃった。嬉しいね。嬉しいだろ…?」   「…………」    僕はもう、諦観の思いから気分が逆に落ち着いていた。  そして今は、…ソンジュさんが怖い。――嬉しそうにニコニコし、興奮したように声を上ずらせて、彼はパラパラとそれで遊んでいる。   「…俺が助けてあげたんだよ、ユンファさん…――嬉しい…?」   「………、…」   「ねえ、嬉しいだろ…? 俺が救ってあげたんだよ、ね、嬉しいよね…、いや、嬉しいはずだ…――だって…これでもう、ユンファさんの首を絞めているものは、なくなったんだから……」    幸せそうに微笑むソンジュさんは、つぅ…と僕へ、その無機質な瞳を向けて――ぬらりと妖しく、その目を光らせた。 「よかったね――これで貴方は、晴れて自由になれたんだ…、救われたんだよ、助かったんだ…、幸せになろうね、俺たち…、俺がユンファさんのことを守ってあげる、ユンファさんのこと、俺が幸せにしてあげるからね…? 大丈夫だよ、ユンファさんは、俺の側にいたら安全なんだ……」   「…………」    そしてソンジュさんは、ふふ、と頬を染めてニッコリと、恐ろしいほどに美しく微笑み――ゆったり、じっくりとした声で、こう言った。       「…もちろん…()()()()()()()()()()()()、だけれどね…――。」           

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