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ふわ、と僕の、もう片方の手首も開放された。――僕は足枷はそのままだが、…下に行こうとするソンジュさんのうなじに両腕を回し、彼を引き留めた。
「……、…?」
なんだ、と訝しげな目をして僕を見てくるソンジュさん。――彼のその淡い水色の瞳と視線が絡み合うと、…僕は、
「……ふふ…」
なぜか自然と、笑みがこぼれた。
ぱち、ぱち、と間がありながらも不思議そうにまばたきをしているソンジュさんの、その太いうなじにのせた腕を、重たくする僕に――彼は自然と、僕のほうへ沈み込んでくる。
「………、…」
「…………」
僕たちは見つめ合う。――まぶたをゆるく、重たくして、見つめ合う。
「…貴方が怖いのなら…――僕の足枷は、外さなくて構いません。…僕のこと…殺しても、いいですよ…」
「……、え…?」
戸惑う水色の瞳が、揺れる。
しかし僕には、躊躇いがない。
「…貴方がお望みならば、僕が死ぬまで、そうしていて構いません。…僕はもう、ソンジュさんだけのものなんでしょう。」
どうして逃げられる?
どうやって逃げるというのだ。――どのみち僕は、両親のことがあってはとてもじゃないが、逃げられない。
それはケグリ氏のもとであってもそうだったが、…両親のことを助けてくれる人がソンジュさんに代わっても、それはそうだ。――彼ら、きっと驚くことだろう。…生活費を渡してくれる相手がケグリ氏から、とつぜん九条ヲク家のソンジュさんに代わるのだから。…いや、ケグリ氏が、僕がさらわれた、なんて言っていなきゃいいんだが。
それはしかし…――建 て 前 だ。
かなりの建て前だ。――僕は、此処に居たい。
僕は、ソンジュさんの額にほつれた彼の金髪を撫でて、避ける。――彼の淡い水色の瞳と、見つめ合いながら。
「……ソンジュさん…、ありがとうございます」
「……、…、…」
くらくらと揺らぐ、ソンジュさんの青い瞳。
僕はソンジュさんの、こめかみから後ろへ、彼の髪をゆっくりと撫で付ける。
「ありがとうございます。…僕のために、…僕の代わりに、貴方が首輪やピアスをバラバラにして――未練を断ち切ってくれたこと…、今なら、僕はわかっています」
そりゃあ…狂気的で、怖かった。
ましてや僕は、どうしてもあの首輪やピアスを壊されることも、本当に怖かった。――いや、いまだに少し怖いのだ。……きっとケグリ氏から、あれらを決して外すなと、命令されていたからである。
ましてや…――ソンジュさんの愛情こそ、本物だとは思っているが。…その執着心に近い愛は、僕にとってはやっぱり…少し、怖いものだ。間違えれば殺されてしまうんじゃないか、ケグリ氏よりもよほど束縛されるんじゃないかと、僕の理性にはそう思わせ、怯えさせるものだ。
でも…――なぜだろうか。
「――ソンジュさんがお望みならば、…僕は、貴方のことを、ずっと見つめています。…」
「……、…、…」
ボタ、と――大粒の涙が、僕の頬に落ち…下へ伝ってゆく。…怖いと思う反面…なぜかソンジュさんが、可愛い、と思うのだ。
「……、…俺、…俺……」
「…ソンジュさんは、愛されたかったんですね」
ぽた、…ぽた、と――僕の頬に、あたたかいしずくが落ちてくる。
「…いや、不思議なんです…僕、実は…――時折ソンジュさんに、寂しがっている少年の影が重なるときがあって…、すると、切なくなって……」
「……、…、…」
ぽた、ぽた、と――涙が落ちてくる。
泣いているソンジュさんの無表情、しかし涙をこぼす幼気な瞳、赤くなった高い鼻先、その目元、…やっぱり…切なくなる…――可愛いと、愛おしいと思い…僕なんかでよければ彼を抱き締め、頭を撫でていてあげたいと思うのだ。
「…それに…――ふふ…、…」
不思議と、ソンジュさんを――守りたい、という気持ちが湧いてくるのだ。
庇護欲というべきか、恋人に対するそれというよりはどちらかというと、子供に対するようなものであるが。――子供のようになったズテジ氏にはそうも思わなかったが、僕はソンジュさんには愛おしさを覚える。…それはきっと、ズテジ氏はただ甘やかしてほしいだけのワガママな赤ん坊のようで、それでありながらも性欲を僕にぶつけてきたが――ソンジュさんは性欲よりも好かれたいという愛情、彼のどこかに、子供の健気さ、いい子でいたい、という単純な殊勝さが見えるからである。
ソンジュさんは自分でも、感情のコントロールが上手くできないほう、と言っていたか。――つまり、癇癪。
そう…僕の胸を擽る、癇癪を起こす子供のような面を持ったソンジュさんに、愛おしさを覚える。――ただ、…どうも上手く処理できない、僕の心 の 真 実 がある。
「…ソンジュさん…――僕のほうに来てください……」
僕がソンジュさんのうなじを抱き寄せると、おずおず、おもむろに僕に重なる彼は――ひ、と小さくしゃくりあげた。……僕は、彼の後ろ頭をなで、なでと撫で、その人の背中をさする。
「…大丈夫ですよ、僕は逃げません…」
「……、…」
「…たとえ、ソンジュさんが何かしてくださらなくても、それでも僕は――逃げません…、……」
僕は自然と目線を伏せていた。――自分のまぶたの下で、ゆらり、ゆらりと僕の瞳が揺らいでいるのを感じる。
「…此処に居たいです…、…僕は、ソンジュさんの側に居たいんです……」
やっぱり――これが、真実。
「……、あぁ…やっぱり、…これがいい……」
安心する――。
「……、…、…何が、ですか…」
「…はは…――いえ、わかりません…、ま だ よくわからないんです…、……」
僕は目を瞑った。――目 を 、塞 い だ のだ。
カナイさん…――ソンジュさんに、これほど、狂うほどに求められている、自分。
嘘よりもマシだ。…僕は愛されたかったんだ、なら騙されるより――偽りの愛を注がれてぬか喜びするよりも――一方的な恋心を利用されるよりも、僕はずっと――離れるくらいなら殺したい、と本気で思われるほど執着されて愛される、それはすなわち、深くも歪な真 実 の 愛 だ……それを注がれたほうが、骨の髄まで求められたほうが、よっぽど嬉しい、安心する、と思った…僕の、狂 っ た 真 実 ――それに目を塞ぎながら、嬉しくて嬉しくて、嬉しくて堪らず、僕の口角は上がるのだ。
あの夜も思った。
もう訪れることはないだろうこの幸せな夜に、幸せな気持ちのまま、いっそ死んでしまいたいと――その夢の夜が続く。…ソンジュさんがもし何かしらの打算的な思惑があろうとも、僕のことをその、完璧で幸せな夢 で騙しきってくださるのなら…僕はもう、死んだっていい。…もう騙されていても構わない…もう僕は、どうなったっていい。――そう思っていたが。
僕はこれから幸せなときに、死ねばいいのだから。
そう、思っていたが――まさか、…こんなに愛してもらえているなんて、思いもしなかった!
よかった…――本当に。
「…あは、あはは、ふふふふ……」
そのほうがよっぽど――安心する。
むしろ……――嬉しいんだよ、嬉しい、幸せだ。
もしソンジュさんのこの愛が本物ならば――他にはもう、なんにもいらない。
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