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15※
ソンジュさんは臆することもなく――いや、というよりはその水色の瞳を空っぽにして、ボソボソと続ける。
「…この水色の、ア ク ア マ リ ン の 瞳 を持つ者――この目は通称、“神 の 目 ”と呼ばれています。」
「…………」
涙を滲ませそうなほど、空虚な瞳である。
それでいて少しも滲まない涙、乾いたその水色の瞳は、翳っている。
「…このアクアマリンの目を持って、九条ヲク家に生まれた者こそが…九 条 ヲ ク 家 の 守 護 神 として、一族を率いてゆく、という役目を担うのです。――神とされている、九条を築いた祖先が、この水色の瞳を持っていた……ただ、それだけの理由でね」
「…………」
ソンジュさんの目は、今――まるで空気のようだ。
こんなに神聖な孔雀を背負っているソンジュさんは、神を背負っているようなものなのだと、…その孔雀こそが、途端に重たいもののように思える。――そんな、水色の瞳だ。
「そもそも…ヲクには、玉 という字が当てられているでしょう。――玉とは、もちろん貴石のことを指します。…すなわち玉 には、我々が国の宝であるということ、王となる者が宝を持っている、という意味…そして、我々条ヲク家に属する者の目が、宝石のようである…ということにも、起因しています。」
「…………」
まさか…とは思うが。
タ ン ザ ナ イ ト の 瞳 …――いや、さすがにそれはないか。
ソンジュさんはまるで人形のような無機質な目をして、僕のことをじっと見てくる。
「…ちなみに、このタトゥーは…元服 といいまして、“神の目”を持つ者が数えて十五の誕生日に、通過儀礼として、背中に彫られるものです。…」
悲痛な目をしている。――それでいて、完全にすべてを諦めた、人形のような目をしている。
「――俺はもう、逃げられません。」
「…………」
そこでソンジュさんは、少しだけ微笑んだ。
恐ろしく感情のない笑顔を浮かべ、彼はその顔をほんのわずか傾けた。――傾けて、僕を見ているソンジュさんは、諦観の笑みをその声に含ませる。
「…ちなみに九雀が留まっている松は…影向の松 といいます。――神仏が宿り、依代 となる松の木、という意味で…、この松は、俺独自のものだ。俺の名は、松に樹木の樹…それで松樹 と読むのです。」
「…………」
松樹 …――つまり、ソンジュさんの正式な名前は――九条 ・玉 ・松樹 だと、これでわかってしまった。
大事にするべき正式な名前を、間接的にも僕へ教えてしまっているが、…やはりソンジュさんは、僕と結婚したいのだろうか、と場違いにもふっと思う。
ふと、ソンジュさんは自嘲するように眉をたわめて笑う。
「…タトゥーを彫られる前に逃げればよかった…正直、そう思ったこともありました…、しかし結局、そういう問題ではないのですよ…――こ の 目 を持って生まれ落ちた時点で俺は、もうこの運命からは逃げられなかった。…今はもう、そのことがよくわかっています」
「……、……」
今のソンジュさんの声も、まるで空気のようだ。…すべてを受け入れ、ほかに動くものの生み出す流れに従うほかない空気のように、彼の声には自我がない。
「……こ の 運 命 から俺が逃げられるときは…俺が、死んだときだけでしょう。」
「……、……」
僕は目線を伏せ、彼の上体に這う黒い梢の先を見た。
それはまるで、ソンジュさんの体を蝕んでいるように見えた。――赤い。…よくわかる。貴方はあまりにも苦しんできた。貴方は今もなお、まだそ の 運 命 に苦しんでいる。
ソンジュさんが生まれたときに背負わされた孔雀――九条の名。…それは重たい鎖なのだろう。――これは…僕のタトゥーよりもずっと重たい、鎖なのだろう。首輪なのだろう。――ソンジュさんは、決して自由じゃないのだろう。
彼を羨む人は多くいることだろう。
ヤマトの国民はことに、クジョウ・ヲク・ソンジュという人を、完璧で、妬まれるべき人だと思うことだろう。
しかし…――妬 ま れ る べ き 人 など、この世にはいない。
「しかし…俺が逃げれば、今度は、弟や妹の元に生まれた青い目の子供が、この九雀を背負う羽目になるのです。――俺はもう、これでもこ の 運 命 を完全に受け入れていますよ。…」
「………、…」
本当だろうか。
それは、本当なんだろうか。――こ ん な に 傷 つ い て い る 貴方は、本当にこ の 運 命 を受け入れきれているのか。
僕は疑問である――。
神に飼われている鳥は、本当に幸せなのだろうか。
「…それに、この風習は九条ヲク家のみならず、条の付く家はみなそのようですから。――今に残る五の条家それぞれの当主が、それぞれの家を背負って生きているのです。」
「…………」
ソンジュさんは、あまりにも虚ろな目をしている。
もはや悲しむことをやめた、獣の目だ。――諦め、受け入れ、牙をしまった。…そんな悲しい獣の目をしている。
皮肉だ。
孔雀は不死鳥…不死をも象徴している。――孔雀は、死ぬことすらも自由に選べない、鳥なのだ。
「……ソンジュさん…」
僕は、涙目になって目線を下へ――その人の左手を取って、軽く上げた。…するとソンジュさんは、優しい声でこう言うのだ。
「…こ れ に関しては、…貴方が、無理に見る必要はありません。…ユンファさんは、目を塞いでいていいんですよ」
「…………」
何も言えなかった。――その人の肘から下に、無数に刻まれている白い線、薄赤い線、…生々しい赤紫、剥がれてしまった赤い線。
「…醜い傷など、なんの価値もありませんから。」
「……いいえ…ソンジュさんの、心の傷が…よく見えます…、よかった、目を塞がなくて……」
ぽたり、ソンジュさんの心の傷に、僕の涙が落ちてしまった。――助けてと言いたかったのは、…貴方も同じなんじゃないのか。
「…っむしろ見られてよかった、…僕と貴方は、背負うものが全く違う…、貴方ほど、僕は重たいものを背負っているわけじゃありません…――でも貴方の気持ちは、どこか…なぜか、僕にも少し理解できます…」
貴方はきっと、自分で、自分の傷を見えるようにしている。――僕にも、貴方の心の傷が、よく見える。
僕にはよくわかる。
流れゆく朱色の水…あえて増やし、見えるようにすることで、癒やされる傷がある。――自分はこんなにも苦しいのだと、悲しいのだと、嫌なのだと、愛されたいのだ、助けてほしいのだ、どうかそんな自分を見て、と。
なぜか、よくわかる。
その気持ちは、なぜか僕に痛いほど伝わってくるのだ。
僕は、目を塞がなくてよかった。
「…理解しかできませんが…、いや、きっと理解さえも、きちんとはできていないんでしょうが…――それでも僕は、貴方の傷から目を背けません……」
「………、…」
「…痛いなら、僕には…痛いと、言ってくれませんか…」
僕は拝むような気持ちで、うなだれた。
「…そうしてくれたら、僕が…貴方の代わりに、この傷を見留めますから……」
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