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「……――。」
つー…と、ソンジュさんの薔薇色に染まった頬に、静かな涙が伝う。――そして彼はしばらく、僕の目を、ゆらゆら水面の下で揺らぐ瞳で、ただじっと見つめていた。
それからややあって、ソンジュさんはどこかぼうっと、こう呟いた。
「……俺、…貴方がいなければ、生きてゆけない…」
「……、…っふふ、…」
僕は、ふっと笑った。――泣いていて、苦しげな顔になってしまったかもしれないが――彼、子供みたいな顔をして、まるで大人に助けを求めているように、そう言うからだ。
そして、僕に抱き着いてきたソンジュさんは、僕の耳元で「…ありがとう…」と、震えた声で呟く。
「…あなたが、愛してくれるから…やっと、生きてゆけるような気がする……」
「……うん…、…」
子供みたいな、少しだけたどたどしい口調のソンジュさんを、僕はそっと抱き締める。――「いい子だね、ソンジュ…」そう声をかけて、彼の濡れた髪を撫でる。
目を瞑ると――僕の腕の中にいるソンジュさんは、小さな子供だった。
「…あなたが好きです、ユンファさん……」
「…僕も、きみが大好きだよ、ソンジュ……」
ソンジュさんの声まで、少年らしい高い声に聞こえてくる。――小さなその体を、包み込むように抱き締める僕は、「大丈夫だよ」と自然、口にしていた。
「…きみのことは、僕が守ってあげる…。ずっと見ていてあげるよ、ソンジュのこと…――笑っても、泣いても…我儘を言っても、いいんだよ…。それでもきみはいい子だ。とっても可愛い…。たくさん我慢をしてきたね。えらかったね…、辛かったよね……」
「……うん…、……っ」
この泡風呂は、もしかすると今は――子宮の中だ。
もしかすると、この心地良い温度のお湯は、お母さんのお腹の中の…羊水なのかもしれない。
「……甘えていいんだよ、きみは…。今まで甘えることを許されなかったのだとしても、僕がそれを、許すから…。よく頑張ってきたね、ソンジュ…もういいんだよ。…もう、我慢しなくていいんだよ……」
しっかり者の子供――手のかからない子供。
でも、どんな子供だって、抱き締められたいに決まっている。…きっと子供は、本当は、みんな大人に甘えさせてほしい。――その甘えたい、というきみの顔を、甘えるな、と叱った大人が、いたんだろう。――甘えてもいいんだよ、と、きみを抱き締めてくれる大人が、いなかったんだろう。
だから僕は、きみを抱き締める。
大事に大事に…――あぁ、あぁ…と、わんわん泣いているきみを、やさしく包み込むように、僕は抱き締める。
まるできみの、親になった気分だ。…だが――。
「…僕はきみのお母さんにも、お父さんにもなれないけれど…僕でよかったら、きみをたくさん愛してあげる。たくさん抱き締めて、頭を撫でて…褒めてあげるし、なんでも我儘を、聞いてあげるからね……おいで、ソンジュ……」
僕は目を瞑ったまま、軽く身を起こし、ソンジュさんの頭をそっと…自分の胸へと誘導する。――彼はあまりにも素直に、僕の胸に片耳を寄せ、くっつける。
「…きみが今まで我慢してきた言葉…言いたかったけれど言えなかった言葉、これからはたくさん、僕になんでも聞かせてね…。大人のふり、もうしなくていいよ…。子供でいても、いいんだよ…――だって、きみは子供なんだから…、きみは無条件で愛されて、無条件で守られるべき、可愛い可愛い子供なんだから……」
ドクン…ドクン…と――僕の心臓が脈打つ。
僕の心臓は、小さな子供を慈しむ音を立てる。
声をあげて泣いている、可愛い男の子の、頭を撫でる。
「…ソンジュは、愛されるべき存在なんだよ…――きみはね、僕にとって、とっても大事な存在だ…。ありがとう…そう言いたくなるくらい、大事な大事な存在なんだよ、ソンジュ…。ねえ――生まれてきてくれて、本当にありがとう、ソンジュ……」
貴方は僕を、助けてくれた。
だから僕は、きみを助けたい――。
「…愛されなかったということを、自分のせいなんかにしたり、しないでね…。もう頑張ってる自分を傷付けたり、傷付いている自分を責めたり、まだ大丈夫…なんて嘘をついて無理をしたり、誰かに甘えたい自分を恥ずかしがって、否定したりしないで……」
貴方は僕に、そう示してくれた。
だから僕は、きみにもこう言う。
「……悲しかったよね、そうするしかなかったんだよね。寂しかったね、辛かったんだよね、ソンジュは…。誰かに、ずっと助けてほしかったんだよね……ずっと、愛されたかったんでしょう…――でも、もう大丈夫だよ…。僕はきみを、愛してる……」
貴方は僕に、それを教えてくれた。
だから僕は、きみにもこれを、教えてあげる。
「…僕は、きみの味方だ。何があっても、僕はきみの味方だよ…。きみが見たくないものは、見なくたっていいから…――きみが見なくたって、大丈夫なんだよ。いっぱいいっぱいなって、きみが壊れちゃうからね…。大丈夫、僕が大人として、きみの代わりにぜーんぶ、見ておくよ。…大丈夫だからね、ソンジュ……」
辛いことや、悲しいこと。
見たくないもの。目をふさぎたいもの。――それを見て、問題をどうにかするのは、大人の仕事だろう。
「…きっときみは子供なのに、いつも、何かの問題をちゃんと見据えて、そして自分で、どうにかしてきたんだね…――頑張ったね、すごく、えらかったね。…でも、だから“問題ない、ぼくは大丈夫”…そう言うようになってしまった。……甘えたいのに、愛されたいのに、無理をして、我慢をして……」
だけどきみは、何もしなくていい。
だってきみは、今、子供なのだから。
「…でも、もういいんだよ。…問題解決…それは、大人の仕事だ…――大人の僕が、全部どうにかしてあげる。きみは何も心配しないで、ただ、幸せに……きみはね、見たいものだけを、見ていていいんだよ。…子供のきみが見るべきじゃないものは、僕が目をふさいで、見えないようにしていてあげる……」
僕は両親に、そうやって育ててもらった。
子供のころの僕は本当に、ただ楽しいことや幸せなこと、見たいものだけを見て、幸せに生きてこられたのだ。
僕の両親は、子供の僕が見るべきではないことに対して、僕の目をやさしく塞いでいてくれた。
「……だけどきみは、いつから自分で、自分の目をふさぐようになってしまったんだろう。――そうするしかなかった…きっときみは、見たくもないものを、これまでたくさん見てきてしまったんだね……」
誰も、子供のきみの目を、ふさいでくれなかったんだろう。
もしかしたら…むしろ、見なさい。ちゃんと見なさい。なに目をふさいでいるんだ。――きみは、そう言われてきたのかもしれない。
「…きみは、見なくていい。…なんにも考えなくっていい。――何かをよく考えられる、とっても賢くていい子でも、なんにも…なんにも考える必要は、ないんだよ。…大人に全部任せていれば、きみはそれでよかったんだよ……」
きっときみは、それを許してくれない大人に囲まれて、生きてきてしまったのだろう。――それでもきみは、文句も言わずに頑張ってきた。
「…よく頑張ったね。えらいね、ソンジュ……」
ひ、ひ、と小さく跳ね、震えている。
僕の胸に抱いた、可愛い男の子の頭を撫で、僕は――その子の目元に、そっと片手をかぶせる。
たとえば、お母さんの子宮の中にいる赤ちゃんは、目を瞑っている。――子宮に、羊水に守られて――お母さんの鼓動を聞きながら、赤ちゃんは安心して丸まり、眠っているのだ。
「……可愛いね、可愛いね…ソンジュ…可愛い子……」
可愛いね、可愛いね…早く元気で生まれておいで――そうお腹を撫でるお母さんの、優しい声を聞きながら。
「……大丈夫…今だけは、僕が――きみの目をふさいで、守っていてあげる……」
今だけは、きみが子供でいられますように…――と。
僕は、きみの目をふさぎたい。
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