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              「…………」    怒りを通り越して、今は自分に呆れている。  それに今更だが…――此処は、一体どこなんだ。    全く(わら)えるだろう。  此処がどこなのか、僕にはまるでわからない。  正直、僕は何もわかっていないのだ。――それどころか僕は今もなお、更にわからない場所へとこの男に連れられ、向かっている最中である。  思えば至極当然のことだ。  僕はどこに行こうという宛てもなく、また、初めて行ったソンジュさんの家から、あまりにも衝動的に飛び出してきてしまったのだ。  僕は、ここに至るまで必死に必死に、本当に恐れるべきケグリ氏よりもよっぽど、優しくて美しいソンジュさんを恐れて――全速力で必死に走り、逃げてきた。    つまり僕はこの街の、現在地点の住所すらわからず、どこに何があるのかさえ、全く見当がついていない。 「……、…」    ただ、この街――どうも高級住宅街のようではある。  さっきは必死に走っていたため、そう周りを観察する余裕なんかなかったが、よくよく見ればこの閑静な街、おしゃれなレンガ道――周りには高層ビルばかりが、灰色の雲が浮かぶ夜空を押し上げ、キラキラ輝いている。  等間隔にならぶ街灯はアンティーク調の青銅、その街灯の間に植えられた街路樹――道自体は明るいが、もう夜になっているからか、ほとんど人通りはない。    またこのレンガ道、季節は秋…――だというのに、ゴミどころかほとんど枯れ葉さえ落ちておらず、とても整然として綺麗に整っている。  そしてこの道の隣には、やはりおしゃれなアンティーク調の黒いガードレールを隔てて、道路がある。――その道路というのは広く、渡った先にもやっぱり背の高い、高級マンションのような建物が連なっている。   「………、…」    はっきりいって来たことがないどころか、見たことさえない街だ。  馬鹿だ。…後先のことなど何も考えずに逃げ出してきて、僕は一体何がしたかったのか。    僕は逃げません。此処に居たいんです。  きみの側にいるよ。僕がきみを愛してあげる。  これからは僕が、きみのことを守ってあげるからね、僕には遠慮せず甘えてね――。      ――僕は裏切り者の、大嘘つきだ。     「……、……」    ほとんど音にもならないため息が、僕の口から抜け出て、消えていった。――今更、戻れるはずもない。  いや、もし仮に僕のことを惜しんで、仮にもソンジュさんが追いかけてきていたら今ごろ僕は、その人に見つかっているはずだ。  先ほどは走っていたが――今はもう、これほどゆっくりととぼとぼ、歩いている。    というのも、ソンジュさんはアルファ属――他種族より運動神経の優れた彼が走れば、僕らに追い付くことは容易である上、アルファは狼程度に鼻も良いらしいのだ。  すると彼ならば、あるいはすれ違うベータらしき人が察するほど濃く香っている僕のフェロモンを追い、僕のことを見つけ出すこともできるはずなのである。    ということはソンジュさん、当たり前かもしれないが案外あっさり、逃げ出した僕のことなんかどうでもよくなったのだろう。      あーあ。逃げちゃった。  まあいいか。――代わりはいくらでもいる。     「………、…」    僕はうつむき、歩きながらも…自分の下腹部を、そっと撫でた。――気のせいかもしれないが、トクン…と、わずかな脈を感じたような気がする。  今オメガ排卵期がきている。…ということは、僕はまだ妊娠できていない。――つまり、厳密にいえば僕はまだ、排卵しきっていないのだ。    だが、僕のナカにはいまだ、ソンジュさんがたっぷりと出してくださった精液が溜まっている。  そして、これから本格的にくるだろうそのオメガ排卵期…もっといえば――排卵。     「…………」      ほとんど確実に、これから僕は、妊娠することだろう。  …ソンジュさんの子を、妊娠できることだろう――。         

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