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やはり遠くからはモグスさんの、「速い速い速い、ボク、俺転んじゃぁ゛…おおっあぁぁあ゛…!」という、悲痛な叫びが聞こえてきている。――そしてモグスさん(たち…?)は、どうも、僕らがいるこの駐車場に近付いてきているようだ。
また、そんな最中にもまるで動じず、赤髪の男の腕をがっちりと掴んで逃さない、声がハスキーな女性は――その男をギッと睨み付けている。
「…アンタのしたことは犯罪なのよ。わかってんの?」
「…チッ、なんでだよ、だから無理やりとかじゃねーし…、なあ、そうだよな? 自分で着いてきて、自分でしゃぶったよな。――合意してたよな、アンタ。…俺言ったじゃん、ほんとにいいのって、…なあっ!」
と、男は僕を脅すように、険しい顔を僕に向けてきた。
しかし、僕は本当のことを言おうと口を開くも、すかさずこの凛々しい印象の女性が、更に男をこう詰る。
「あーっそう? この期に及んで、そうやってこの人のこと脅すの。ふーん。その割にはこの人、アンタの味方してくれないみたいね? この強姦魔。人のせいにしてんじゃないわよ。」
「…チッ…ふざけんなよマジ、…ハメられたわ……」
「…ハメられたじゃねえんだよ。ふざけんなはこっちのセリフ! むしろハメたのアンタでしょ、この人のこと。…」
と、そこで彼女はキッと、僕に振り返る。
その綺麗な緑色の目は、ぼんやりしていた僕のことを、叱るようにキッと見てきた。
「…あなたもしっかりしなさい、嫌だったんでしょ、なんで着ていったの! 酷い目に合ってからじゃ遅いんだからね、もっと……」
「…ご、ごめんなさい、あのその通りで、でも……」
それは全くの正論だ、僕は慌て、とにかくまず自分の非を謝罪しようと――そしてそのあと、こうなった経緯の真実を話さねばと、自分に喝を入れ――口を開いたのだ。
が…――。
「…ぃいって! やめろっこの、…なんだこの犬、離せ!」
「……っ?」
次の瞬間には、ガウッグゥゥゥ゛…――と唸りながら、僕の隣に立っている男の片脚に噛み付いている…――ホワイトブロンドの熊、……いや、大きなわんこ…?
赤い首輪をして、その首輪に繋がったリードの先を持って「やめっやめなさい、…やめなさい! ボク、やめなさぁいっ!」と必死に(涙目で)引いているのは、…やっぱりモグスさんであった。――ただモグスさんは完全にリードを取られて、危うくもかかとでなんとか立っているような感じである。
「……、…、…」
いや、…まさか…――まさかとは思うが、この熊と見紛うほど大きな金色のわんこ…――そ、ソンジュさん…か?
「…あぁ〜♡ もぐもぐちゃん、わんわんちゃあん♡ 元気ぃ〜? ひさしぶりだねぇ〜♡」
「…………」
で…レディさんのほうは、何かニコニコして呑気にもキャッキャと、わ ん こ に手を振っている――なんとも奇跡的な話だが――やっぱり彼女、ソンジュさんの言っていたレ デ ィ さんなんだろう。
というのも明白なことで…久 し ぶ り 、とのことであるから――あと多分、わ ん わ ん ち ゃ ん はソンジュさん、も ぐ も ぐ ち ゃ ん はモグスさんのことなんだと思われる。
し、となればこの大 き な わ ん こ 、やっぱりソ ン ジ ュ さ ん ということらしい。
ソンジュさん(らしいわんこ)にリードを引かれながら、モグスさんがダラダラ汗をかいて焦った顔を、女性二人に振り向かせる。
「…おっおぉぉお嬢っサトコ、…やあ奇遇だねぇー元気してた…っ?」
とは――完全にリードを持っていかれて、綱引きをしているかの如く大股で踏ん張っているモグスさんが。
「…ははは、……タ゛ス゛ケ゛テ゛……」
冷や汗をダラダラかき、目からは完全に光を失っている彼、レディさんたちにそう助けを求めている。――声がハスキーな女性はドン引きの様子で「あぁ…大変そう…」と低く呟いたが、しかしレディさんは、ケラケラと笑い。
「…うふふっ♡ 元気そ〜だねえ〜♡」
「……、…」
それで…いいのか…――今もなお、ガウッグウゥ゛と唸りながら男の脚に噛みつき、男のほうもまた脂汗をかいて「いてえって! ほんとやめろって!」と必死なのだが。
まあ…元気は、元気だろう(モグスさん以外)。
暴れている男の、そのベージュのチノパンから、赤い血が滲むほど――元気にソンジュさん(らしいわんこ)、噛み付いて離さないどころか、より深い傷を追わせようと顔を横に振っているのだから。
「…いってえっての、やめろこのバカ犬っ! マジもういい加減にしろよ!」
男は必死に脚を振り払い、そしてガッと金色の大きな犬…というか多分、ソンジュさんを蹴ろうとした。
僕はあっと思い、ヒヤリとしたが、――すると、それを避けてバッと後ろへ飛び退いたソンジュさんは、
「……グウゥゥゥ゛……」
三角の耳をベッタリと伏せ、歯茎まで剥き出しにしてグゥグゥ低くうなりながら、姿勢を低くし…威嚇する犬…というか、狼のようにゆっくりと動き、――やっぱり薄水色の瞳で、ギロリと男を睨み付けている。
「…っな、なんだよ、やめろって、…」
「……ウゥゥゥ゛……」
「…あーも、あーもうほんとすいませんねーうちの子が、はははは…わ〜んぱくでしてねほんと、…いやーほんと申し訳ない、やめなさーい……ほらお座りは、お座り…!」
首輪を着けられたソンジュさん(らしいわんこ)のリードをぐいぐいと引き、やめなさい、離れなさいと示しているモグスさんは、冷や汗をダラダラかきながら目の光を失っている。――ところで男はかなり脚から流血しているようなんだが、…これをわ ん ぱ く の免罪符で済ませていいのだろうか…?
ただ、モグスさんに「お座り」と言われたのが癪だったらしいソンジュさんは、…バッと背後のモグスさんに振り返り、口端をビキビキ引き攣らせながら、「ガルルッ」と牙を剥き出しにして怒った。
「……っ!」
するとその隙に、赤髪の男はチャンスと思ったかさっと踵 を返し、――軽く片脚を引きずりながらも、一目散に走って逃げて行く。…しかしその男を追い掛けようと、ソンジュさんも走り出そうとしたが、
「……ッ! ガウッグ…ッ!」
「…も〜〜やめなさい、…やめなさい! あーお兄さん! すいませんでしたほんと、あと大丈夫、この子狂犬病ワクチンちゃあんと打ってますのでえぇ!」
しかし、逃すか、と男を追おうと後ろ足を蹴り出したソンジュさんを、さすがにグッと両手でリードを掴み、引いて止めたモグスさんはそう慌てて男の背にそう叫び。――その後、顔面蒼白でソンジュさんを見下ろす。
「…おい馬鹿っ血が出てたでしょうがあの人! 訴えられたら完全にこっちが負ける…ってか何かと俺たち不利になるんだからなぁ!? っとにも、わ、わかってんのかい、はー、くわばらくわばら……」
「……グルル……、フンッ……」
しかしソンジュさんは悪びれた様子もなく、不機嫌そうながらもそこにお座りし、フンッと鼻を鳴らした。
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