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――リリのことだ。
「………、…」
小さな頃から一緒だった、リリのことを思い出す。
リリはもう亡くなってしまった。…老衰だった。
あの子は小型犬、白いポメラニアンだった。――ちなみに彼女の名前の由来は、白い百合に似ている体毛であったことから、母さんがLily と名付けたのだ。
この子はあなたの妹だから、ユンファとおんなじ。お花から名前をつけてあげたのよ。――そう言ってあの子は、リリィという名前になった…のだが、「リリィ、リリィ」とみんなで彼女の名前を呼んでいるうちに、だんだん呼びやすい形となってゆき、最終的にはあだ名的な感じで、リ リ …となったのだ(ただもちろん正式にはリリィなので、病院なんかでは「リリィちゃん」と呼ばれていた)。
リリは気が強い女の子だった。来客なんかにはよくキャンキャンキャンッ…と、その小さな体を跳ねさせ全身で吠えていたが(ちなみにケグリ氏はよくリリに噛まれていた)、家族のことは本当に大好きで、特に僕のことは大好きだった。――よく公園で一緒に遊んだし、学校から帰ってきてすぐの僕の仕事は、彼女のお散歩だったのだ。
そしてお散歩から帰ったら、彼女の小さな足を拭いてあげて――そのあとは、僕が晩ご飯をあげる。
家族みんな同じタイミングで、一緒にご飯を食べていたな。…リリはあまり、人間の食べ物を欲しがるタイプじゃなかったが、…スイカだけは大好物で、母さんが三角に切って皿に盛り、家の縁側に置いたままちょっと目を離した隙に、彼女がそのスイカを盗み食いして(食い荒らして)いたこともあった。
ちなみにちゃんとリリの分も用意していて、彼女はそれを平らげたあとに、それをやったのだ。みんなで笑ってしまって、ちゃんと叱れなかったな。
それに…小学生の僕は雨の日も、彼女とお揃いのカッパを着て、お散歩に行ったものだ。
そういえば、リリはよく僕に、自分の犬用のガムをくれたっけな(齧りかけだが)。――僕のほうが兄であったはずなのに、リリはきっと僕のことを、弟だとでも思っていたんだろう。
「………、…」
思い出すと寂しくなって、うっすら目が潤んでしまう。
リリは今、天国にいるのだろうか。――それとも、虹 の 橋 というところで、僕たちを待っているのか。
会いたいけど、もう、会えない…――こんなに切ないことはない。…ただ、会 え る というのとはやや違うだろうが、リリはたまに、僕の夢の中に出てきてくれる。
いつもと変わらないリリがニコッと笑って、白くて短い尻尾をブンブン振りながら、キャンッと甲高く吠える。
早くご飯ちょうだい、と吠えて、前足をあげ、二本脚で立ち…僕の脚を、前足でちょいちょいと軽く引っ掻く。
ちょっと待っててね、今用意しているから。
僕はそう言って、リリのご飯を用意している。
「……、…」
だが…最近の僕が見る夢では、彼女――クゥン…クゥン…と、寂しげに鳴いている。
最初はご飯ちょうだい、といつも通り笑っていたリリに、ご飯をあげるも――目の前のご飯を見下ろした彼女は、しょんぼりと俯くように肩を落とし、あんなに大好きだったご飯を食べないのだ。
どうしたのリリ…僕がその異変にしゃがみ込んでそう聞くと、リリはしょんぼりした顔を上げ、僕の膝の上に乗っかってくる。――そしてリリは、クゥンクゥンと悲しげに鳴きながら、ただ僕の頬をペロペロ舐めるのだ。
――リリ…?
「………、…」
どうしたの、と彼女の名前を呼ぶ。――するといつも、そこで僕の目は覚めてしまう。
もしかして、リリ…――心配、してくれてるのか…?
まさか…今の、僕のことを…――。
「……、悲しいことを思い出していますね」
「……あっ…はは、…」
そういいながらソンジュさんが、ずいっと迫ってきた。
僕が床にお尻をつけて座っていると、ソンジュさんは“狼化”していても大きいため、四つ足で立てば容易く僕の頬を、ペロペロとあたたかい舌で舐めてくる。
「…どうしたの…何を思い出していたの…? ふふ…、……」
「…はは、すみません、…昔飼 っ て い た 犬 のことを……」
こうは言ったが。
僕は本当をいうとこうして、リリのことを飼 っ て い た 犬 …なんていう言い方は、したくないのだ。
ただ、犬や猫なんかを家族にしたことのない人に、亡くなってしまった家族の…だとかそういう言い方をすると、「誰?」と、人間の家族だと勘違いされがちである。
そして犬なんだ、といえば大概、「ああ昔飼 っ て た 犬 ね?」と、どこか馬鹿にしたように、冷ややかに返されることが多い。
僕だって世間一般的には、飼っていた犬、だと表現するのが最適解であることは、これでもよくよく理解しているつもりだ。――つまり社会的には、飼っていた犬、と言わなければならない場面もある。…正直そのほうが、普遍的に伝わることでもあるのだ。
ただ、そうは理解していても…血の繋がりや種族の違いがあっても、だ。
僕としては正直、リリは共 に 暮 ら す 家 族 だった。
だから僕は、リリのことを飼 っ て い た 、と表現すると、我ながらチクリと胸が痛む。――それもまた、ただの人間のエゴなのかもしれないのだが。
「……ふふ…そのワンちゃんは、ユンファさんの大 切 な ご 家 族 だったのですね。」
ソンジュさんは僕の顔の近くでくい、と狼の顔を傾けて、微笑んでいる。
「……、あ、そう、…そうなんです、はい、リリは大 切 な 家 族 でした……」
思わぬところで、リリを大 切 な 家 族 だと言ってもらえた僕は、自然と目が潤みながらも嬉しくて、ニコッと笑った。
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