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「…俺には見 え ま す よ。――貴方の側にいる、小さくて白い、可愛らしいワンちゃんが…ね。」
「……え…?」
ソンジュさんは四つ足で立ち、ぶんっぶんっ…と、大きなふさふさの尻尾を振りながら、そう言うのだ。――リリは白いポメラニアンだ。
ソンジュさんの“神の目”にはそんなことまで、リリのことまで、見 え る というのか――?
「…ユンファさん。俺が思うに…悲しみを恥じることなどありません。…亡くした家族を悼 むことは、むしろ素晴らしいことなのです。――それにね…それほど悲しみに浸れるユンファさんは、本当に幸せな時間を、そのワンちゃんとお過ごしになられたのでしょうから」
「……ええ、本当に…、かけがえのない幸せな時間を、あの子にもらいました……」
リリは、かけがえのない家族だった。
父さんや母さんとは違う。――人間と犬。…そして、だからこそかけがえのない、代わりのいない、本当に大好きで可愛い家族だった。
ソンジュさんはニコッとすると、赤味のある舌をペロンと出してはっはっはっ…と口で呼吸するなり――また舌をしまって、ニコッと笑う。
「……そうでしょう。ペットロス…というと何か、冷たい表現にはなりますが…――愛している家族を失った悲しみ、というものは、思うに忘れる必要などなく、抑え込む必要もないものかと。…悲しんでよいのです。その深い悲しみの度合いだけ、本当に愛していたということなのだから。…ご 家 族 の ほ う も きっと、悲しんでいる貴方を見て、共に悲しんでいると思いますよ。」
「……、…、…」
ちら、と座る僕の隣を見遣ったソンジュさんの、透き通ったつぶらな水色の瞳。――僕はこみ上げてくる嗚咽をこらえながら、ただコクコクと頷いて、その言葉を受け入れた。
そしてまた僕のほうへ向いては、くいっと傾く、綺麗な金狼の顔。
「…亡くなった家族はきっと、“もう悲しまないで、泣かないで、どうか笑って”と思っている…だからもう前を向くべきだ。…そのように励ます人もいますけれど…――本当に慰めになるものは、悲 し み ですよ。…自分だって、自分の死を悲しんでもらえないかと思うと、悔しかったり、切ないじゃないですか。」
「……、はい、…」
僕は精一杯頷きながら返事をした。
ソンジュさんもまた、うんと頷きを返して。
「…それに、共 に 悲 し み 合 う …ということもまた、一つの愛情表現、愛の交換に違いありません。…共に別れを悲しむということは、互いの愛を確かめ合い、たとえ形は無くなろうとも、共通の愛情をもってして繋がり、共に在る…ということかと。」
「……はい、…」
僕は目線を伏せた。
目が熱く、涙が滲んできてしまっていたためだ。
ソンジュさんは僕の頬をペロンっと舐めると、優しい声で。
「……それでいいんですよ、ユンファさん。思いきり悲しみましょう。…そして――たとえ片方の肉体が無くなろうとも、お互いの愛が失われていないということを、その悲しみで確かめ合いましょう。…そうすればきっと、その悲しみを通して、ご家族と繋がりあえます。…たとえ貴方にはもう、姿が見えなかったとしても…ユ ン フ ァ さ ん の ご 家 族 は、今もなお、貴方の側にいらっしゃいますよ。」
「……はい、…っ、…ありがとうございます、…っ」
リリ…――ねえ、リリ。
わかってる、…本当は僕も、わかってた。
君は今も、僕の側にいてくれていること。
君はきっと、弟のような僕を心配して、まだ天国に行けていない。――ごめんリリ、…ごめんね。
キャンッ…――。
「………、…」
どこか遠くから、リリの声が聞こえたような気がした。
僕は涙を頬に伝わせながら、じっくりとこの寂しさに向き合うよう、目を瞑った。
「……リリ…、…」
暗闇の中…ふんわりと淡く光りながら浮かんでくる、真っ白くて小さな、ふわふわのまるい体。
つぶらな二つの、黒い瞳。――小さなふわふわの白い尻尾を、千切れんばかりにブンブンと振っている。
僕の顔を見るなりニコッと笑ったリリは、キャンキャンッと嬉しそうに鳴きながら、小走りで勢いよく、僕の膝の上に乗っかってきた。――そして僕の胸板に前足を着き、ペロペロと僕の涙を舐めとって、リリはまたキャン…と小さく鳴く。
『
リリはいつでもユンファのそばにいるよ。
悲しんでくれてありがと、ユンファ。
でも、リリはもう寂しくないの。
ユンファのそばにいるから、悲しくないの。
なでなではないけど、そばにいるから嬉しいの。
幸せにならなきゃだめ。
ユンファは幸せにならなきゃだめなの。
いつまでも手のかかる子ね。
なぜ幸せを嫌がるの?
ユンファは幸せが嫌いなの?
ニコニコするのは嫌いなの?
みんながユンファの幸せを望んでるのに。
なぜ幸せじゃないほうを選ぶの?
ユンファが幸せになると、みんなが喜ぶよ。
パパもママも喜ぶの。――リリも喜ぶの。
ユンファが幸せになっても、リリはそばにいるよ。
ずっと一緒よ。――リリと一緒に、幸せを選んで。
簡単よ。
好きなほうを選ぶだけでしょ。スイカを選べばいいの。
幸せを選ぶの、簡単よ。
嫌いなご飯は、食べなきゃいいの。そしたら別のご飯が出てくるものでしょ。
ユンファをいじめる悪いやつは、リリがやっつけてあげたい。
簡単よ。リリが吠えたらみんな逃げるもの。
でも、今のリリにはできないの。
アイツのこと、リリがまた噛んで、やっつけたかった。
ごめんねユンファ。
だからユンファ。今度は自分で。
リリを幸せにすると思って。
ユンファも、幸せになって。幸せを選んで。
ユンファ、リリと一緒に、幸せになって――。 』
「……、…――っ」
そう…言ってくれているような気がした。
僕のただの妄想かもしれないが、リリが僕の頬を舐めながら、そう言ってくれているような気がしたのだ。
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