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                「…ありがとうございました。」    僕は、ソンジュさんに両方の足の裏と両膝、丁寧に傷薬を塗っていただいたあと、お礼を言いながら椅子から立ち上がった。――するとソンジュさんも、すっくと立ち上がり。   「……いいえ。…ではとりあえず、部屋に入りましょうか。――あの階段下のゲストルームで、話をしましょう。」   「……、はい」    ソンジュさんの、その尖った黒い爪――人差し指に差された、玄関、階段下の部屋。――僕はふっと体をそちらへ向けて、その部屋に入ろうと何歩か踏み出した。   「…、……っ!」   「…ふふっ…捕まえた…、…」    しかし僕は、後ろからソンジュさんに抱きすくめられ、その通り()()()()しまった。――は、と短く息を吐いた僕は、途端に身が竦んで硬直する。  ソンジュさんは、僕のうなじをふんふんふん、と嗅いでくる。――そうされるとさすがに、――やっぱりちょっと怖い、   「……は、…は…そ、ソンジュさん、やめ……」    僕はカタカタと全身が震えてしまうが、逆に拒むことはできないほど、全身が恐怖に硬直してしまっている。――じわりと冷や汗が出てくる。   「……ユンファさん…? 言ったでしょう、()()()()()()と……」   「……ツ、♡  ご、は、はい、ごめんなさい…、…」    彼の甘い声が、僕のうなじに響いて肌を震わせた――その低い声が、吐息が…――、僕は訳もわからず謝り、横に首を逸らして精一杯肩を竦めながら、固く目を瞑る。    そして、ソンジュさんはそのまま僕のうなじにこう、   「…俺から逃げた罰として、ユンファをつがいにしちゃおうかな…」と囁き――。    カプ、と僕のうなじに甘噛みをしてきた。  するとビクンッ! と僕の全身は、ソンジュさんの腕の中で大きく跳ね、   「…うあぁ…っ!♡♡ …ふ、ク…、…っ?」    チクチク、と彼の鋭利な犬歯の先が浅く肌に刺さった。  すると僕は、自分でも信じられないくらい甘く、大きな声をあげてしまった。  少し痛い、と思ったというのに、絶頂したかのような強く甘い痺れがうなじから背骨、腰の裏までビリビリビリ、と素早くかけ巡っていったのだ。――僕は恥ずかしいやら驚きで混乱しているやらで、片手で強く口を押さえうなだれる。   「ごっごめんなさ…へ、変な声出して、……」   「…いいえ、ふふ…とても可愛い声でしたよ…――ところで今、怖かった…? それとも、嬉しくなった…?」   「……、…、…わ、わかりません……」    可愛い声…ソンジュさんは度々そう言ってくださるが、ケグリ氏たちに変な声と言われ続けてきた僕の声は、…今はやっぱり駄目だ…ネガティブにしか考えられない。  本当に可愛い声、なわけがない…男の声だし、そもそも僕なんかが発している声だし――いやそんなことより、      ()()()()()というのが本当だ。     「……、…、…」    しかし、思えば僕は今、オメガ排卵期中の、敏感になっているうなじを甘噛みされたのだ。  だから僕の体は、いつもよりも大げさに反応したのだろう。…だというのに、いつもならば僕は、オメガ排卵期中にうなじなんか噛まれたらオメガの本能として、警戒し、攻撃的になったはずだ。…それこそ逆らったらいけないと思い込んでいるケグリ氏相手に、肘鉄をするほど。  それを簡単にいえば、いつもなら()()()()()()()()()()、なんて、カッとなったはずなのである。   「………、…」    僕は、…どうなんだろう。  …どうなんだろう…――怖い。  何が怖いって、“狼化”しているソンジュさんばかりのことではない。――自分でも知らなかった自分の体の、今のこの感覚が、僕はいま何よりも怖いのだ。         

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