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「……、…」
チラリと横目に窺えば、ソンジュさんはミルクティーに向けているその薄い水色の瞳をくらくらと揺らし、どこか僕のこの提案に憮然としている様子だ。――もう少しタメ口のほうがよさそうである――僕はもう逃げないと振り返り、彼のそのしゅっと長くなった狼の横顔をしっかり見据える。
「…契約内容は…僕にも変える権利があったね。…先に言っておくが、今は、僕はどんな方法を取られても、普通の結婚は絶対にしない。…」
僕がそう言い切ると、グゥと唸って僕を見たソンジュさんの眼光が鋭くなる。
だかもう僕は、怯えていない。――お互いのためだ。
もう逃げたいとは思っていないから、かもしれない。
「でも、“契約結婚”ならいつでもする。…そこで提案なんだが、――この“恋人契約”を結んでいる一週間の間に、もしソンジュが、“婚姻契約”を僕と結びたくなったときは、いつでも言ってほしい。…契 約 と し て な ら 、僕はいつでも貴方と結婚をする。…」
「……、…本当に…?」
鋭くなるソンジュさんの眼光は、確かめるように僕を見据えてきた。――僕はすぐに頷く。
「…もちろん。だが、もし貴方がそれではどうしても嫌であるとか、もう僕のことを愛せないと感じた場合は、ちょうどオメガ排卵期も一週間だし…――その一週間以内に、貴方がそのように思えなかったときは、…僕は潔く出て行く。…ただ、一つ我儘を言えば…その際は、改めて僕を、妊 娠 さ せ て く だ さ い 。」
僕は頭を下げるようにうなだれた。――どうしても。
たとえソンジュさんと破局する羽目になろうと、僕らの関係を誰に認められなくとも――僕はそれでも、どうしても彼との子が欲しいのだ。
欲しいのだ…こ こ に、と――僕は下腹部を押さえ、自然とうつむいた。
「…僕は、これから一週間…寝る前には必ず、避妊薬を飲む。――もし終 わ り したいなら、僕がそれを飲む前に言ってほしい。あるいは僕に、避妊薬を渡さないでくれたらそれをサインとする。……そして僕は、最終日まで避妊薬を欠かさず飲むが……最終日までに答えが聞けなかった場合は、その日だけ飲まない…。つまり…そ の と き の 子 だ け 、僕 に く だ さ い ……」
僕は、我ながらおかしくなったのかもしれない。
そう思う。――泣きそうになるくらい、こんなにも誰かの子供が欲しいと感じる日が来るなんて、本当に、妙だ。
「…だから、その…申し訳ないが、ま…毎日、その間は可能な限り僕を…抱いて…ほしい、のと、そのときにスキンは着けないで、ナカに…――貴方の精液を…僕のナカに、全部出してください……」
「……、……」
く、と喉の詰まりを聞くが、僕はうつむいたまま。
「…それと…契約内容に、誓約書も含めたい。――そうして婚姻契約を結ばなかった場合、貴方は、僕のお腹の中にいる子の認知をしない。貴方はその子の父親だとは名乗り出ない。そして僕と貴方はもう金輪際会わないし、お腹の子の親権は、完全に僕が持つ。…」
僕はもしかしたら、恋人より、伴侶より――子供という、愛 し い 家 族 が欲しいのかもしれない。
恋やら愛やら、僕には正直難しい。――だが、その果ての子供にはまだ、僕は希望を持ち、光を見ている。
きっと僕のような人は、だ け のほうがよい。――どれほど子供を育てることが大変であったとしても、オメガである僕がその子と二人で暮らすことが、どれほど試練の多い選択であったとしても。
「…何としてでも、絶対に二人で生きてゆきます。僕は、貴方や九条ヲク家に助けを求めたり、ご迷惑をおかけするようなことは、一切しない。…」
僕は、子供のためならば、どんなに辛いことでも耐えられる。――また性奴隷に近いような、オメガ風俗店に務めなければならないとしても――守り、慈しまなければならない子供のためならば、僕はそれで構わない。
覚悟している。――なんの目的もなく搾取されるだけ、その上で働くのは正直辛かったが、…子供のためならば。
それに、働いてみて思ったのだ。――たしかに僕は、モウラに騙されてあの風俗店で働いていた。…すなわち、僕が働いて稼いだその給料は、全てモウラに搾取されていたわけである。
しかし、給与明細ばかりは、働いている当人の僕に毎月手渡されていた。――あ の 金 額 なら…たとえ年を取ったら続けられない仕事であったとしても、もしあれと同程度稼げるようになれば、自分の将来のための貯金もでき、子供の将来のための貯金もできる。その上で子供一人なら、養うこともできる。
贅沢な生活をさせてやることはできないが、それでも、普通程度の生活をさせてやることは可能だ。――親子二人暮らし、学費や諸費を出しても、貧困、とはならない程度の生活ができる。
「…僕は、貴方のほうに養育費も慰謝料も何も、金銭は一切求めないし、あとから貴方の子だとかいわない。つまり、九条ヲク家の子だと絶対に名乗り出ない。…」
ましてや僕は、結果的にではあるが、『高級オメガ専門風俗店』に務めることができていたのだ。――その経歴は、今後の就職にも役立つことだろう。
僕はここで振り返り、ソンジュさんの横顔を見た。
真剣にその人の、憮然としている狼の美しい横顔を見据えるのだ。
「…僕は父親不明のままその子を産み、貴方も一切、僕とその子には関与しない。――その場合は、九条ヲク家とは一切関係のない子としてその子を産みます。」
「……、いや、その前に――俺の話を聞いてくれ。」
もうだいぶ落ち着いた様子で、ソンジュさんはそう切り出した。
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