392 / 689
12※
「……っ!」
水が出たままのシャワーヘッド片手に、僕の前髪を掴んできたソンジュさんは、そのまま無理やり上へと引っ張り、そうして――僕が痛みに歪んだ顔を彼に向けると、嬉しそうににっこりと笑うのだ。
「…あーあ、鼻血が出ちゃってる…、本当に綺麗だユンファ…! ははは…っ――こんなに綺麗な顔から、鼻血が出ちゃって…、ふふ、それすらも本当に美しいよ…!」
「……っ、…」
はっきりいってイカれてる…――歓喜というような興奮気味の、上擦ったソンジュさんのその声には、もう怯えこそしないものの…正直なところ狂気がしかと見えて、ゾクリとはする。…人の鼻血に興奮するほど喜ぶとは、どうかしているだろう。
そしてソンジュさんは、僕の鼻の下辺りをペロペロ舐めてくるのだ。
「んぷ、…ふ、…っはぁ、…」
「……うん…美味しいよ、ユンファの血も…――ははは、可哀想に…鼻血が出てしまって…、可愛い…だけれどとても美しいよ、青褪めた肌に赤い血が良く映えている……」
「……は、…ん……」
ガタ、と床に捨てられたシャワーヘッドが僕の隣で噴水となる。…僕の両頬を、優に覆うソンジュさんの手のひら――肉球のぷにぷにが伝わる――に、更に顔を上げさせられ、顔中をペロペロ舐め回される。
「…ユンファのうなじから出る血は、もっと美味しいのだろうけれどね……はは、ねえユンファ…?」
「………、…」
僕はただ、何も言えずにただ、目を泳がせたが。
ソンジュさんは大きく裂けたその口角をぐうっと上げ、こて、と狼の顔を倒す。
「…貴方はもう、あんな男の汚 えちんこなんかしゃぶったら駄目だよ…。俺は言ったじゃないか…? ――性奴隷でいたいのなら、俺だけの性奴隷になってって……」
「……は…、…、…」
マズい…――いや、ソンジュさんの言葉は理解できているのだが、咄嗟に返答の言葉が出てこないで、コクコク頷くしかできない。
「……ね…? 強 いて性奴隷としても、ユンファは俺だけの性奴隷なんだから…。そうやって誰にでも綺麗な唇を許したり、妖艶な首筋を舐めさせたり…指一本だって、もう綺麗な貴方の体に触れさせたら駄目なんだ…。そんなことを許したら、綺麗な貴方が穢れてしまう……」
「……は…、…んく……」
というか、ソンジュさんの舌――いまだ僕の顔中を舐めては話しかけてくる彼のその舌、ぬるぬるとして熱いその舌が…――生臭く、ない。…あの赤髪の男とキスをしたとき、僕は確かに生臭いと感じた。いや、普通に人の唾液など生臭いものだ。それが普通である。
しかし、それこそ鼻の下を今彼にはベロベロ舐められているのだ――鼻血はまだ止まっていないようなので、自らの血の鉄臭さは香っている――が、なぜか、ソンジュさんの唾液は全然生臭くない。
それどころか…良い匂いが、する――ような、いや呑気だ。…どう考えたって今はそんな場合でもない。
「……わかった…? もう指一本だって、俺以外の誰かに触れさせたら駄目だよ…。本当は貴方をもう誰にも見せたくないし、その美しいタンザナイトの目で、誰かの目を見てほしくないくらいなんだ…――でも…大丈夫。俺はユンファのことを理解してあげたいんだ…、だから、そこまでは求めないでいてあげる……」
「……、…」
殺すんじゃないのか。
やっぱり僕を生かしたまま、自分のものにしたいのか。
どうしてそこまで…――何も僕なんかにそこまでこだわらなくともいいはずである。僕よりも魅力的で素晴らしい人など、この世の中にはいくらでもいるはずだ。
それでなぜソンジュさんは、わざわざここまで僕に執着するのだろう。
「…………」
“運命の……”であるから――僕と……になって、不老長寿にでもなりたいのだろうか。…ある意味ではそれも、人間の夢ともいえなくはないからか。
「…それに…オメガ排卵期中に外へ逃げてゆくなんて、あのまま犯されていたらと思うと、俺は今にも泣いてしまいそうだ…。あのまま攫われて、監禁されて…薄汚ねぇ下賤の男どもの性奴隷になんかされてしまって、またユンファは、汚いちんぽとザーメンにまみれて生きてゆくしかなかったかもしれないんだよ…――危ないじゃないか…。外には、美しい貴方を我が物にしたい、身の程知らずな奴らがたくさんいるんだから……」
「………、…」
なぜそう本気で泣きそうな顔ができるのだろう、なぜ僕如きに、そこまで本気の心配を…――あ。…たーー…っと、確かに僕の鼻から伝う。
鼻血が伝った感覚が――すぐに僕の唇の形に添い、垂れてきた血が、口の中に入ってくる。…血のしょっぱくエグみのある味がほのかにする。
「…ははは…ねえ。――聞いているの…?」
「……聞いてる…」
圧のある低い声に、内心は結構怯えているのだが――僕が返したのは憮然とした低い声の、なんら媚びたところのない返答である。
頭がぼんやりとして返答の言葉が思い付かないこと、それと下あごがカタカタと震えて力が入らないというのに付け加え、ソンジュさんが、僕の顔を真上で固定しているせいで。
「……わかったの…? ねえ、ユンファ。」
「……、…、…」
僕は言葉なくともコクコク、恐ろしい目をして僕を見てくるソンジュさんにもうわかったわかったと、気だるいながら何度か頷いてみせた。
ともだちにシェアしよう!

