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ソンジュさんはわずかな時間僕を抱き締めたあと、さあ…っと腕を下ろし、何か誤魔化すように長くなった顎の先に拳を添え、思案げにまた上のほうを見遣る。
「…しかし…それにしても、おかしいな…。先ほどユンファさんが飲まれたあの抑制薬は、いつも貴方が飲まれているものであるはずなんだが…――用量を間違えてしまったのか……」
「あ、いえ合ってます。いつも飲んでいたものでした…」
ソンジュさんが「おかしい」といったのは、もはや何がおかしいとわざわざ言及されなくとも、僕もまたおかしいと思っていることだとわかる。
――僕は先ほど、抑制薬を飲んだはずだ。
それも、先ほどモグスさんが持ってきてくださったあの抑制薬は、僕がよくよく見慣れているもの――ピンク色の錠剤――であったのだ。…あれは間違いなく僕がいつも…というか、一年半前まで飲んでいたものである。
なぜ僕がこう断言できるかというと、オメガ排卵期の抑制薬は、用量によって色が違うものだと知っているからだ。――というのも、僕に初めてのオメガ排卵期がきたとき…僕が十四か、十五歳頃に飲んでいた抑制薬は、もっと低用量のものであった。
それはあのときの僕がまだ、オメガ排卵期がきて間もない――オメガ排卵期自体もまだ安定していない――状態の上、まだ成長期である十五歳の体ともなれば、総合産科(産婦 人 科ではなく、どの属性、どの性別でも安心してかかれる産科)の医師が、「まずは低用量のものから始めていって、様子を見ながら調整をしていきましょう」と。――そうしてあの頃の僕はまず、低用量の、緑色の錠剤を飲んでいたのだ。
だから、あの抑制薬自体はプラセボ薬などでもない限り、まず間違いなく僕が飲み親しんでいたもの――つまり僕の体に合った用量のもの――であったはずだ。…いや…じゃあなぜソンジュさんがしれっとそ ん な こ と を ご 存 知 な の か 、それに関してはツッコミたくもなるところだが、それはぐっと抑えておこう(そも何かと彼 の そ う い う と こ ろ には慣れてきてもいる)。
つまり僕はきちんと抑制薬を飲んだ――だというのに、オメガ排卵期の症状がまだ出ている。
さすがに一年半前のこととはいえ、体感的にも薬が効いてくる感覚や、その効くまでの時間まではまだ忘れていない。
なんなら飲んで一時間後にはもうすっかり、しっかりと効いていたように記憶しているのだが――しかし、僕はいまだ時折オメガ排卵期の症状が出てしまう。
とはいえ、それはいつものように常に症状が出ているわけではなく、何か気が緩むとオメガ排卵期の症状が出る…断続的に、というような、予測できない突発的な現れ方だ。――余りにも妙である。
「……“運命のつ が い ”であることが何か、関係しているのだろうか……」
「…ぁ…っ♡ …んん…はぁ、そ、そうなんでしょうか…」
駄目だ、やっぱりまだ、その……という単語には、僕の子宮がぎゅうっと引き絞られたかのように反応してしまう。――僕はいきなり喘いだために恥ずかしくなり、頬を熱くしながら俯いて、なだめるように下腹部を撫でる。
「…はぁ……ごめんなさい、突然変な声を出して…」
「…ぐ、……ヘッ変な声というか、ですね、…いや、何にしても気を付けなければ…お互いに禁句なようです、そのペ ア 的 な 単 語 は…お互いできる限り言わないようにしましょう…」
「…は、はい、そうですね…すみません、ご迷惑を…」
ちらと見れば、やはり上を向いているものの、ソンジュさんもやや辛そうな顔をしている。
いや、あるいは彼もこの……を聞くと、知らぬ間僕のように、体のどこかが反応してしまっているのだろうか。それを今まで、何でもないふりをして堪えていたというのであれば、申し訳ない。
「いえ迷惑なんて、むしろ俺のほうがご迷惑を…」
「いえ…そんなことは…――あの、ですがもしや、ソンジュさんもつ…いや、例 の ペ ア 的 な 単 語 を聞くと、お体に何か、反応が…?」
同じような経験をしているのだろうか、と僕が彼を見上げて恐る恐る聞けば――ソンジュさんは「いいえ…」と喉奥から引き絞って出したような苦しげな声でぽそり、そして何か曖昧な顔をして、ふるふる僅かに顔を横に揺らす。…目線はやはり上のほうにあるその人に、しかし僕は首を傾げる。
「…いえでも、今とても辛そうで…あの、大丈夫です、僕もそうですから。…それこそそ の 単 語 を思い浮かべるだけでも、正直うなじから背中、下半身に…こう、ビリビリと電気が走ったようになって、気持ち良くなってしまって…はは…――独りでに感じてしまうようなんですよ、変になってしまったというか…本当におかしくなってしまったようだ、僕の体は…」
あるいは恥ずかしかったのだろうか、と僕は笑って、なかば冗談を言うようにそう打ち明けた。…僕も同じですから、恥ずかしがることはありませんと、ソンジュさんの気持ちを和ませようと試みたのだ。――というのも、ソンジュさんも僕と同じ反応があるのだと思えば妙かもしれないが、僕は仲間意識というような親近感が湧いてきたのである。
しかしソンジュさんはなぜか、うろたえる。
「ちが…違う…違うんだ、なぜわからないのかな…本当に俺は、そういったことはありません…ただその、ゆ、ユンファさんが、――いや。まあとにかく、そういうわけですからユンファさん。もし身の危険を感じられたりですとか…その、俺に嫌気が差すようならば一時的にでも、…何にしても…俺からは逃げてください……」
「……、…」
僕が…なんだろうか。――ソンジュさんは、僕が原因で辛くなったということだろうか。
しかも話をわざと変えられたような気がするのだが、はっきりいって今は僕に気を遣う場面ではないと思うのである。――それこそお互いのために、建設的な解決案を探らねばならないだろう。
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