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でも、そうしたらソンジュさんは幸せになれるのか。
僕が身を引き、ソンジュさんは元より決められていた本物の婚約者と結婚をする。
これこそ一見は、一番丸く収まる形ではないだろうか。
きっと婚約者の人も傷付かず、ソンジュさんに生涯を捧げて寄り添うことだろう。…きっとその婚約者のご両親やご親族も、名誉なことだ、これから共に頑張ってゆきましょうと喜ぶことだろう。――もちろんソンジュさんのご両親だって、そうなれば自分たちの思い通りとなるわけだから、納得しないはずがない。
だが…――肝心の、ソンジュさんはどうだ。
それで幸せになれるのか。…幸せになれないからこそ、ご両親に強制された婚約者とは結婚したくない、それは自分にとっての不幸だからこそ、だからソンジュさんは、僕と結婚しようとしている。
本当に好きになれた僕と結婚がしたい。自分の人生の、その一面だけでも幸せになりたい。
しかし、ここで僕が身を引けば、ソンジュさんは十中八九、その結 婚 し た く な い 婚 約 者 と結婚をしなければならなくなることだろう。
――僕だって、
「……、…、…」
僕だって…本当は……――。
つー…と、いつの間にか湧いてきていた涙が、片頬を伝う。…どうか、“エイレン様”……――僕は思わず祈りそうになった。
いや、“エイレン様”に祈れど何が変わるわけでもないだろう、そもそも僕は“エイレン様”に嫌われているような人だ、これではほとんど略奪愛、“エイレン様”にご加護をいただけるような綺麗な恋でも愛でもないし、この恋は遂げられるはずもないとわかっている、叶わぬ夢だ、僕だってそこまで夢見がちな馬鹿じゃない。
でも…もし僕がソンジュさんの、本 物 の 婚 約 者 だったら…――僕がソンジュさんのご両親に選ばれた婚約者だったら…――僕たちが“エイレン様”に決められた運命の二人だったら…――婚約者が決まる前に、僕のほうが先に、貴方に出会えていたなら…――僕が、五条ヲク家にそのまま育てられていたなら、オメガにしても、初めからヲク家に関わる名家生まれのオメガだったなら、性奴隷なんかにならなかったら、僕が――僕が、誰もが認めてくれる、貴方に相応しい身分で生まれていたなら。
「……ふふ…――。」
何か、違った…――?
何か、運命は今と違ったのだろうか。
僕なんかでも貴方と一緒に、なれたのだろうか。
そうなら神様が、“エイレン様”が、僕と貴方が共に在るハッピーエンドを、書いてくれたのだろうか――。
「……、…」
――本当は…僕だって、貴方と、
貴方と……――。
「……、…、…」
駄目だ。気持ちで、考えたり。判断をしたり。今、今回の場合は殊に、感情論は忌むべきだ。
そんなことをしては駄目だ。…せめて僕だけでも冷静でいなければならない。――いや、思えば二 十 四 歳 ら し い な。
二十四歳だからこそ、ソンジュさんはまだそ の よ う な 夢 を 見 ら れ て い る のだろう。
本当は今すぐにでも僕は出て行くべきだが、いや。もう不誠実に逃げ出すことはしないと決めている。
きちんと話し合ってからにしよう。…しかし、ソンジュさんはこんな話をしたらまた癇癪を起こすか、僕は、
僕は、どうしたら…――。
「……はぁ……」
僕は静かなため息をつく。
どうしたらいい。――好き、という気持ちだけで結婚ができること。自由恋愛、恋愛結婚…それが僕たち庶民にとってはどこまでも当然のことであり、普 通 の 結 婚 の 形 だ。
しかし九条ヲク家など、アルファの名家とされるヲクの彼らにとっては――そ れ こ そ が 普 通 な ん か じ ゃ な い 。
恋愛結婚が認められない立場のソンジュさんが、唯 一 の 我 儘 として――僕と恋愛結婚をしたがっている。
「…………」
幸せへの道は、一体どれなんだ。
頭がこんがらがって、悩んでも悩んでも、わからない。
いや…一週間の“恋人契約”――。
僕は本当なら、今すぐにでも出て行くべきだ。
だが、この一週間の間だけは――曰く彼のご両親も今旅行中だそうで、帰るのも一週間後のことらしい、ならばどうか、どうか…――大目に見てはもらえないだろうか。
あるいはこの一週間が、最初で最後の――僕とソンジュさんが共にいられる時間に、なるかもしれない。
側にいたい。でも、愛人ですらもなれるかは怪しい。
後 戻 り で き な い 関 係 になどならない。結婚もしない。誰かからソンジュさんを奪ったりなんかしない。…だから一週間…一週間だけは許してほしい、この一週間だけ…僕は、ソンジュさんの恋人でいたい。
最後の日に、僕は絶対にソンジュさんに嫌われるようなことをしよう。――そう決めておくから、幸せな夢の中でも、きちんと彼に嫌われる残酷な方法を考えておくから。
だから許してほしい。…たった一週間のことでも、どうか最後となるその日までは――僕はこの一週間だけでも、ソンジュさんの恋人として、側にいたい。
“「貴方は本当に美しいよ…。とても綺麗だ、ユンファ…、こんなに美しい人に惚れてしまった俺はきっと、面 食 い なんだ。ははは…」”
「……ふふ、…貴方が……好き、……」
微笑み、震える頬にほろ、と涙が掠め落ちていった。
この一週間だけ――僕はまだ、夢を見ていたい。
つづく
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