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                  今やこんなにも大好きになった『夢見の恋人』だが、実をいうと――僕は最初、この『夢見の恋人』を、結構バカにしていた。  それこそひょんなことから、大学生のときにこの『夢見の恋人』を読むことになったときにしても、はっきりいって僕は、ちょっとバカにしながらそれを読み始めたくらいだ。      そういえば――僕が高校三年生くらいのときだろうか、『夢見の恋人』はその当時、若い女性を中心にして、世の中で流行っていた。    それこそ社会現象にもなっていたくらいだが――。    というのもその当時、ある意味では()()()()()()()()()、というようなことなのか、あるいはマジョリティ(多数派)に配慮したが故か、そもそも描く作家がマジョリティサイドで、オメガもアルファもわからない、また同性同士のことなんてもっとわからないし、何より一般ウケもしないから、なのか…――理由は判然としないながらも、当時世の中にあるロマンスものはほとんど、ベータ同士の男女の物語か、アルファ男性とベータ女性の物語ばかりであったのだ。    また、そもそも絶対数が少なく、どうしたってマイノリティ(少数派)サイドであるオメガ属を取り扱ったコンテンツは、どだい差別されがちなオメガ属の人権配慮の観点からか、当時かなり慎重な取り扱いをされていたのである――オメガ属の俳優を使っているアダルトコンテンツはともかくとしても――。  ましてや世間のベータの中には、「オメガは所詮()()()だろ」といった、いわばケグリ氏のような価値観の人も多くいる。それに男性女性はその実、あまり関係ない。    つまり、『夢見の恋人』はそんな世の中で、当時にしては割と()()()()()であったようだ。――まあある意味では、()()()()()()()()ロマンス作品であったからだろう。    とはいっても『夢見の恋人』は、あくまで普通の恋愛物語ではある。  アルファ男性のカナエと、オメガ男性のユメミ――同性同士、アルファとオメガ、どちらにしてもマイノリティサイドである彼らが主人公の、『夢見の恋人』だが。  彼らが男性同士であるが故、また、彼らの属性ならではの苦悩はありつつも――その上で逆に『夢見の恋人』が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とされていたようなのである。    つまり、オメガであるユメミとアルファであるカナエ、彼らはどちらも男性――そうでありながら、その属性、性別が故の奇をてらう描き方はせず、ベータ属の男女となんら違わぬ心理をもってして、二人は恋に落ちる。――しかし、その属性だからこそ、同性同士だからこそ疎まれる、というような背景もある。  また、――そもそも羨望の目を向けられがちなアルファ属はともかく――『夢見の恋人』のように、オメガ属である男の子が、()()()()()()()()()()()として描かれている作品はその当時、世間にはウケないだろうという見込みもあってか、物珍しかったようだ。    しかし、『夢見の恋人』は事実、若い女性を中心に大ヒットした。――その若い女性たちは割に、柔軟な思考を持っていたのだろう――『夢見の恋人』の純愛に胸をときめかせたその女性たちは、たとえ自分とは属性も性別も違ったとしても、「こんな恋愛って素敵」と受け入れてくれたらしいのだ(僕も大好きな作品なので、()()()なんて言ってしまう)。  しかも、その女性たちはネットなどを用い、()()()()という形で、その『夢見の恋人』の噂をまたたく間に、ヤマト全国へと広げてくださり――。    そうして『夢見の恋人』は、またたく間に世間のトレンドとなった。――するとエンタメ業界の人々も、アルファとオメガの物語は意外とウケる、意外とニーズがあるものだったのか、と考えたらしく――『夢見の恋人』自体はメディアミックス化していないものの、その作品を皮切りに、アルファとオメガの登場人物がエンタメ作品に、増え出したのだ。  また世の中の人も、自分たちや周りがベータ属であるために忘れがちであった、オメガの存在に気が付き(ちなみにアルファに関してはそもそも、ヲクが有名かつ世間への露出も多いため、忘れられていなかった)、『夢見の恋人』の大ヒット効果によって、より「オメガ属として生まれた人たちの人権を守ろう、彼らだって一人の人だ」というように声を上げてくれるベータの人々が、急増したとのことだ。      これがこのヤマトに、『夢見の恋人』が巻き起こした、社会現象である。         

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