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                   ある日――カナエは下校する前に、学校の図書室に向かった。…借りたい本があったのだ。ただそれだけの理由ではあったが、その日はカナエにとって特別な日となった。    カナエがなんら迷いもなく図書室に入ると――その図書室の窓辺の席に、色白の少年がぽつんと一人、頬杖をついて窓の外をぼんやりと眺めていた。  それがユメミである。――夕暮れの、優しくも少し寂しげな橙色に染まるほど真っ白な肌、目元にかかるほど前髪は長く、彼の艶美な黒髪は雪白の肌に良く映えていた。    何よりも、切れ長の白いまぶたはまるで夢を見ているかのようにとろりとして色っぽく、橙色の光に透けた薄紫色の瞳は潤んだ光沢があり――斜めった顔の、その高い鼻の影も端正で、鼻から上はとてもすっきりと凛々しいような顔立ちでありながら、ぽってりとした小さな唇は赤く、妖艶でいて、どこか可愛らしかった。    心ここに在らずの様子であるユメミは、その(からす)の濡れ羽色の前髪の下にあるとろんとした目で、まるで夕暮れに染まった空の雲に、何か夢見がちな形を探しているかのように見えた。――ユニコーンかもしれない。龍かもしれない。妖精かもしれない。神様かもしれない。そうした、外の空に楽しそうなことを探しているかのようだ。    それでいて彼は、決して楽しそうではなかった。  どこか寂しげであった。夢の世界が広がる窓の外、しかし、透明で見えないガラスの存在が彼の夢見の邪魔をして、まるでユメミをこの狭い世界に閉じ込めているかのようであった。――するとあるいは彼のその目、諦観か、羨望か、カナエにはそれらのようにも見えた。    ドキリとしてしばらくユメミの横顔を眺めていたカナエは、一歩でもこの図書室に踏み込むのはどこか、危ぶまれるような気さえした。――カナエはユメミのことを、月のようだと思った。    その真っ白な肌は、太陽の光に染まっている。  今は夕暮れの、橙色の光に染まって見えているが、あるいは朝の透明な明るさなら青白く染まり、あるいは昼の黄色い光ならその色に染まるのだろうと思われた。  するとカナエの髪の、その陽の光に真正面から照らされたユメミは、どんな色に染まるのだろう。今はとても悲しげだが、そうしてやったならユメミは、にっこりと満面の笑みを浮かべてくれるのだろうか。    そうしてみたいような気もしたが、しかし月というのは、そもそも“手に入らないもの”である。――カナエが近寄ってしまえば、あの美しい少年は驚いて、消えてしまうかもしれない。    そうして儚げな美少年ユメミに一目惚れをしたカナエは、ドキドキしている自分のこの気持ちが恋心なのだと、すぐにわかった。――これまで多くの人に惚れられてきたカナエが、初めて他の誰かに惚れた瞬間だった。  しかしカナエは、その初恋に悔しいともあり得ないとも思わず、自分でも意外なほどそれを素直に受け入れていた。…どことなく自分だっていつかは誰かに惚れるのだろう、との予感があったというのもあるし、何よりカナエは、圧倒的なほど美しいそのユメミを見たとき、『こんなに綺麗な人は初めて見た』とさえ思って、惚れ惚れと見惚れてしまったのだ。    するとそんな気持ちを確かに抱いておいて、いや、惚れてなんかない、と(あま)邪鬼(じゃく)になれるほどの余裕さえ、カナエにはなかったのだ。    ただカナエはこれまで、どこかうんざりとはしながらも、どこまでが自分への特別扱いで、一体どこまでが自分への本当の扱いなのかをわかっていなかった。――カナエは人生の中で、たったの一度も誰かに拒まれたことはなかった。…それどころか、学校内外を問わない求愛を受けてきたカナエは、その点での自信もあった。    であるから、当然ユメミも喜んで自分を受け入れてくれるのだろう、という驕った態度でカナエは、窓辺でたそがれているユメミへと歩み寄り――「お前、俺と付き合わない?」と、いきなりそう告白した。       

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