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「お前、俺と付き合わない?」
にわかにそう言われたユメミは、ふっとその白い顔を振り向かせた。…ユメミは冷たく据わった切れ長の目でカナエの顔を見るなり、そのふっくらと赤い唇をゆるく閉ざしたままに何もいわず、ただその人形のように整った無表情を、小さく横に振った。…“いいや”と。
そして彼はすっと立ち上がり、「どこに行くんだよ」と初めてされた拒絶にうろたえるカナエを置いて、その日はふらり、ユメミは鞄を肩から下げて、どこかへと消えてしまったのだ。
月を手に入れようとした愚かな男。――ユメミのその拒絶に、カナエは初めて自分の愚かさを知った。
ユメミ以外ならばカナエはこれまで、なんだって手に入った。…もちろん本物の愛こそ知らなかったが、それでも仮初 めの恋人ならば――実際に作ってはこなかったが――、いくらでも簡単に手に入れられたことだろう。
しかし、いざ本当に欲しいと思った月…ユメミは新月のように消え失せてしまった。するとカナエは悔しいやらショックやらで、その日はとてもよく眠れなかった。――カナエは生まれて初めてされた拒絶にどうしたらいいかわからず、おかしくなりそうだったのだ。
そして次の日にもまた図書室で、また昨日と同じように窓辺でたそがれているユメミのもとへと行くカナエ。
昨夜しこたま用意した文句の言葉たちを抱えていたはずのカナエは、しかし美しいユメミの横顔を見てしまったら結局、「お前、俺はアルファなんだけど」としか言えなかった。
しかも、それはカナエにとって、あまりにも思わず言ってしまったことであった。…実は自分が一番嫌っていた、“アルファの自分に逆らうつもりか”なんて意味を孕んだその自分の言葉に、内心で一番ショックを受けたのはカナエだったのだ。
というのも、“自分がアルファだから上(それ以外は下)、アルファだからこその特別扱い”――カナエはもともとそうした、世間的には普 通 といわれてしまうような価値観を嫌っていたのだ。
なぜならその価値観は、カナエにとって損得勘定以上の人間関係を築くことを邪魔するものであり、自分の満たされない気持ちや寂しい気持ちの原因が、その人間関係にあるからだ、と彼はわかっていたためである。
しかしユメミは、「俺はアルファなんだけど」といったカナエにも、まったく動じることはなかった。――それどころか余裕たっぷりに、自分の言葉にうろたえているカナエへと、優しく綺麗な微笑みを向けた。
「そう…それで? だから、何。」
「え?」
カナエは意表を突かれたように、目を瞠った。
しかしユメミのほうはというと、何か少し迷惑そうな伏し目がちとなり――その切れ長の目がまた美しく、カナエはどうしてもユメミが欲しいという熱を感じたが、一方のユメミは白々しい感じで、落ち着き払っていた。
「僕はオメガだ。それで、君がアルファね…だからってこれから、何か起こるのか?」
と半笑いでのびやかに言って、ユメミはアルファであるカナエを怖がるだとか、あるいはおもねるだとか、そういった態度を見せることはなく――むしろつっけんどんなカナエの「俺はアルファだ」という言葉を、少しからかうようですらあった。
カナエは言葉を失い、口を少し開けて固まっていた。
するとユメミは、チラリと冷ややかな目をしてカナエを見遣った。――とても意思の強そうな切れ長の目だった。
「僕は君に、僕がオメガで、君がアルファだからって、何か特別なことが起こるのかって聞いてるんだよ」
ユメミのそれは、挑発的ですらあった。
これは、普遍的なオメガであればまずあり得ない態度である。…相手がアルファだと知ったとき警戒心を持ったり、あるいは逆らえばどうなるかわからない、という潜在的な認識がオメガ属にはどうしてもあるために、ユメミのこれはまず尋常ではない態度だった。
ましてやアルファであるカナエは、本能的にオメガに恐れられるばかりか、ベータにさえ媚びへつらわれることに慣れていたのだから、これはカナエにとって衝撃的な出来事だったようだ。
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