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「僕は君に、僕がオメガで、君がアルファだからって、何か特別なことが起こるのかって聞いてるんだよ」
そうして、アルファのカナエへとオメガのユメミが放ったのは、カナエにとってはこれまで、ベータにすら言われたことのない挑発的なセリフであった。…カナエは思わず面食らったが――ユメミはしばらく黙り、その間はじいっとカナエの目を見つめてきた。…ユメミのその美しくも、あまりに落ち着き払った薄紫色の瞳もやはり、どこか挑発的であった。
そして次のユメミはまるで、カナエを諭すかのように優しく、やわらかな声でこう言った。
「……ほらね、何も起こらない。――君が僕のことを襲うつもりならきっと、何かが起こるね。…だけど君は、僕のことを襲おうとなんかしていないじゃないか。僕がオメガで、君がアルファだからって、何なの。悪いけど、僕には意味がわからない」
カナエは頭を殴られたかのような衝撃を受け、やはり何も言えなかった。
いつだってカナエは名家生まれのアルファとして、周りの人間に特別扱いを受けてきた。そうした彼の周りにいる人間に、ユメミのような価値観をもってして接してくる人は、誰一人としていなかったのだ。…いっそカナエは新鮮ですらあり、新しい価値観を知ったようですらあった。
ユメミはやはり、とても落ち着き払っていた。
なんなら彼は余裕たっぷりに、微笑んでいた。
「オメガの僕と、アルファの君。…それは僕たちの、ひとつの属 性 でしかない。そうだろ? そんなことは何も関係ないじゃないか。――ふふ…まさか僕らが、ここでエッチなことでもしない限りはね。」
カナエは「エッチなこと」なんて言われてドキッとした。…顔を赤くして驚いたカナエが「なんだよ」とぶっきらぼうに言うも、ユメミはにっこりと笑った。
「はは、な ん だ よ はこっちのセリフだろ。いきなり付き合ってだとか、俺はアルファだ、なんて…君がどういうつもりだったのかは知らないけれど、初対面の人にそんなことをいって、仲良くなれるとでも思っていたの?」
そうしてカナエに目を細めて笑ったユメミはとても綺麗だったが、カナエは悔しくなって彼を睨んだ。
しかし、ユメミは何も危ぶむ様子なくカナエへ「お馬鹿さん」と一言、カナエをからかった。
「僕が思うに、君ってすごく不器用な人なんだろうね。…要するに君って、ただ僕と友達になりたいだけなんでしょう?」
「え、いや……」
しかしそうではない。
ユメミのそれは外れている。事実カナエは、一目惚れをしたユメミと付き合いたかった。――それでもユメミはそうした勘違いをしたまま、また頬杖をつき、ぽうっと色っぽい目をして、橙色の窓の外を眺めはじめた。
「まさか君って、いつもそうやって友達を作ってきたのかな。…でも、たとえ君がアルファだろうがそうじゃなかろうが、素直に“友達になって”って言ってくれたら、僕は喜んで君と友達になったのに。――いきなり付き合ってなんていうから悪いんだ。…だから僕は君のことを、変な奴だと思ってしまったんだよ」
そこでふ、と顔も、切れ長のまぶたも伏せ気味にしたユメミ――その儚げな美しい白い横顔に、カナエはまたぽうっと見惚れた。
「でも悪いけど…もし君が友達になりたい人へ差し出す名刺に、名前よりも先に、ア ル フ ァ 属 の …って付いているのなら、僕は正直馬鹿馬鹿しいと思う。…そうなら僕は、はっきりいって君のことを、軽蔑してしまうだろうね。」
「……ごめん」
カナエは自然と心から謝っていた。
するとユメミは、にこっと笑いながらカナエへ振り返った。
「はは…いいよ。許してあげる。でも、君もそうは思わない? 友達だとか、人と人が親しい関係性になることに、種族も性別も何も関係ないでしょう。」
「うん…うん、そうだよな」
カナエは目が覚めるような思いがした。
失敗してしまったあとではいよいよ矛盾しているようだが、カナエは常々そのように思ってきた。そしてカナエは同じ価値観を持った人と、こうして初めて出会ったのだ。
それどころかカナエは、初めて本当の自分のことを理解してくれる存在にやっと出会えたようで、とても感動していた。
「――君の名前は、なんていうの。」
そう言って立ち上がったユメミに、しかしカナエは身構えた。…またどこかへ彼が逃げて行ってしまうような気がしたからだ。
そうしてカナエは混乱しユメミをまた睨んだが、しかしオメガであるユメミはというと、それにもやはり動じることはなかった。――むしろカナエの目を、その透き通った薄紫色の瞳でじっとユメミは、なにも遠慮せずに見つめてきた。
「ふふ、なぜ睨むの? ――僕は一人の人として、一人の君に接しているだけだ。…それだけなのに、何か不満? じゃあアルファの君に、オメガの僕はどう接したらいいんだ? あはは、もしかして僕は、君にかしずけばいいのかな。」
カナエはからかうようにそう言われて、すぐに「違うよ」とぶっきらぼうに答えた。――むしろそのように扱ってほしいと願ってきたカナエだ。しかしいざとなると、どうしたらいいのかわからなくなっていたのだ。
するとユメミは可笑しそうにくすくす笑って、「じゃあ名前、教えて」と。
「友達になるためには、まずはお互いの名前くらい知ってないといけないものだ。」
「…カナエ、だけど。イチジョウ・ヲク・カナエ。」
「そう、カナエくんね。――僕はユメミ。ナカジョウ・ヤガキ・ユメミ。…はは、女の子みたいだろ。オメガだから、ユメミなんて可愛すぎる名前なんだ。…似合わないよね、僕ってちょっと、アルファみたいな見た目なのに。」
にこっと目を細めて笑ったユメミに、カナエはドキッとして、目線を伏せた。
そのあとの「ねえカナエくん、よかったら一緒に帰ろうよ。」とのユメミの提案に、カナエは「お前が一緒に帰りたいなら」とやはりつっけんどんな返答をした。
するとユメミはカナエの手を取り、「僕、友達がいないんだ。一緒に帰ってくれる?」と、今度はどこか下手 に出たのだ。
「……いいよ」
カナエはユメミの手の感触に、密かにドキドキした。
大きく白い手だった。――しかし、オメガなりの柔らかさがあり、少しひんやりとしていて、カナエにとってはとても綺麗な手であった。
カナエはとても、ユメミの手を握りたいと思った。だが、カナエは握れなかった。…ユメミに片手を掴まれたまま、カナエはなすがままに手を引かれた。
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