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                   それからユメミとカナエは、高校生活の毎日のなかで少しずつ仲を深め、二人は親友になっていった。    これまでカナエは執事の運転する車で登下校をしていたが、ユメミと知り合ってから毎回彼と下校を共にし、必ずといっていいほど昼食も屋上で、二人一緒に取った。  クラスは違った二人であったが、アルファとオメガ、性格にしてもどこか正反対的でありながらも、どことなく似た価値観の彼らは、あっという間に仲を深めてゆき――休憩時間にはほとんど毎度顔を合わせて、少しでも、なんでもない話をたくさんした。    カナエはいつしか、損得勘定で付き合っていた友人たちのグループを離れていった。――彼らが、オメガだからと嘲笑っていたユメミと常に行動するようになっていく過程で、「あんなオメガなんかより自分たちと過ごそうぜ」といわれて喧嘩してから、疎遠になってしまったのだ。    その頃からだった。  カナエとユメミが常に共にいる姿を見ていた同級生たちが、「アイツら絶対付き合ってるよ」だとか、「ホモなんじゃね?」などと揶揄の噂を立てはじめたのは。  しかし二人は気にしなかった。――むしろカナエのほうはユメミに恋をしていたために、その噂にはどこか誇らしい気持ちも少しだけあった。    また、「僕、友達いないから」――本人のその言葉通り、ユメミもまた、孤独な少年であった。  オメガであるために多くのベータから差別を受け、これまでは無視やハブり、陰口などいじめのようなことにあっていた。…であるからそういった噂は、ある意味でユメミにとっては()()()()()()であったのだ。  そしてユメミが、いつも下校時間に図書室にいたのは、そのいじめっ子グループが下校する時間、ばったり会わないようにとそこで時間を潰してから、一人で帰路についていたのだという。   「まさか僕にも、こんなに仲の良い友達ができるなんてね。僕、最近本当に幸せなんだ。ありがとうカナエくん」    そう嬉しそうに微笑むユメミに、カナエも笑い返した。…ただカナエは嬉しい半分――後ろめたい気持ちと痛み半分、というような心持ちがした。  カナエはユメミのことが、相変わらず好きだったのだ。    にっこりと笑うととても愛らしい。  遠くを眺めていると、やはりとても綺麗だ。  ユメミがふふ、と小さく吐息っぽく笑うだけで、何か色っぽく思える。    今、あの赤くてふっくらとした唇に、キスをしたらどうなるだろう。――ユメミは自分を拒むだろうか。  自分のことを、そんないやらしい目で見ていたの、と悲しむだろうか。怒るだろうか。そして――自分の側から、離れていってしまうんだろうか。    カナエがユメミにいだいている感情は、決して友愛ではなかった。――ユメミの美しさに一目惚れをしたカナエは、彼と関われば関わるほどに、どんどんその美しい容姿に惚れてゆく。  そればかりかカナエは、ユメミの高潔ありながらも心優しく、思慮深い内面にもどんどん惹かれていった。    自分の我儘な性格を、優しく賢いユメミの側に居ることによって、少しずつ変えていったカナエ。  ユメミに優しくしたい、ユメミに好かれたい、ユメミに喜んでもらいたいと思い始めたカナエは――ユメミのことを気遣い、求愛の素振りを見せるが。    ユメミに一言「ありがとう」と、ふっと優しく微笑まれるだけで彼は照れて、つっけんどんになってしまう。  不器用なカナエは、突然ユメミに一輪の赤いバラをプレゼントして走り去ったり、雨の日にはユメミに傘を差し掛け自分がびしょ濡れに、学校には送迎車で行き帰りしていたというのに、「俺、車酔いするから」なんて嘘をついて、毎日ユメミと歩いて下校してみたり(それでユメミに「でも、登校のときは車に乗ってくるじゃないか」とツッコまれたり)。  自販機でコーラを買ってあげては走ってユメミにそれを差し出したばかりに、ユメミがコーラの蓋を開けると、それが爆発。…それで二人が笑い合うようなシーンもあった。    それでもユメミは、不器用で失敗ばかりのカナエにいつも「ありがとう、カナエくん。僕は君にいつも救われているよ」と、微笑んでくれるのだ。    その実カナエも、ユメミに“救われた”と思っていた。  ユメミは等身大の自分のことを受け入れ、ときに笑い合い、ときに叱ってくれる存在だった。  これまでにそのような友人が居なかったカナエにとって、ユメミこそが初めての本物の友人とも呼べる存在であり、たとえ友愛という形であったとしてもカナエは、ユメミだけが自分に“本物の愛”を向けてくれる存在だと信じていた。    しかしカナエは確かに、ユメミに恋をしていた。  何度もユメミの唇にキスをする妄想をした。…その手を取って繋ぐ妄想をした。ユメミを抱き締めて、「好きだ」と今度、もう一度――改めて気持ちを伝えようかと何度も思った。  だがカナエは、自分のその気持ちを、ユメミへ告げることを恐れた。――ユメミにだけはもう拒まれたくなかったのだ。    カナエはユメミに拒まれることが、何よりも恐ろしくなっていた。――友達というだけでも自分は救われたところがあり、少なくとも共に過ごせている今を変えてしまえば、自分はどん底に堕ちていく。  周りにはもうユメミ以外の誰もおらず、そのユメミにも拒まれてしまえば、自分はいよいよ孤独になる。…何よりも好きで好きで仕方がないユメミに拒まれることは、死ぬよりも辛いことだと、カナエは考えた。    カナエはこれまで、あらゆるものを持っていた。  天性の美しい容姿も才能も、知能も金も、そして自分の取り巻き――従順な友人、求愛してくる女たち――も、あらゆるものを持っている、カナエはまるで神のように完璧な少年であった。    しかしそんなカナエは、これまでに覚えのない恐怖を感じていた。…確かに得た。一度は拒まれたユメミも、今は自分の親友としてカナエの側にいてくれる。――しかしカナエは、心の奥底ではどうも、現状に満足できなかった。    カナエは自分もまた人間らしく、欲深なエゴイストであることを、ユメミの存在によって思い知った。…その赤い唇が欲しい。その綺麗な硝子(ガラス)細工のような目が欲しい。月華を纏うその白い肌が欲しい。その白く大きな手が、そのかろやかでありながら美しい男性の声が、欲しい。――ナカジョウ・ヤガキ・ユメミが欲しい。  しかし、カナエの情熱のままに求めれば、ユメミはきっと逃げて、新月のようにたちまち消えてしまう。…もう二度と美しい月華を放たぬようになってしまう。太陽は月にとっては熱すぎる。程よい距離間を保たなければ、太陽は月を美しく照らすことはできない。    ――カナエは恐ろしかったのだ。    自分の人間たらしい激しく熱すぎる欲望、そして、それを発露させればいよいよに――それでなくとも手の届かぬユメミが、更に手の届かぬ存在になってしまうことが、カナエにとっては何よりも恐ろしかった。    だからカナエは、()()()()()()というポジションに、燻りながらも甘んじていたのだ。       

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