471 / 689

40

                  「……はぁ……」    僕はいつの間にかその場に正座していた。    僕は、ベータの両親に育てられたオメガの男だ。  そしてもちろん、しばしばオメガとして生まれたことによる差別や偏見、好奇の目に晒されてきた経験もないわけじゃないのだ――特にこの一年半は怒涛のそれであった――が、その一方で大学院までは、多くのベータの友人たちにも恵まれていたし、両親にしてもオメガへの偏見はまったくないと言っても過言ではないような人たちだ。    むしろ僕は両親や友人から、“一人の人として誰かと仲良くすることに、種族や性別は関係ない”のだと教えられたようなものなのだ。  だから、ユメミの「一人の人として友達になろう」というカナエへの言葉は、僕にとってとても暖かい気持ちになれるものだった。――それに、僕はとてもユメミのその考えに共感もしていた。…それもあって、僕はすっかりユメミに感情移入し、この『夢見の恋人』を夢中になって、かつ気持ち良く読み進められた。    登場人物と同じ価値観を持っていれば、当然である。  その点においても僕は、この『夢見の恋人』が一番というほど好きな理由の一つなのだ。    それに…――正直今となってはもう、あの『夢見の恋人』は、僕にとって救いですらある作品だ。    恥ずかしい話が僕はあの物語を読むとき、同じオメガ男性で、容姿も性格も少し似ているユメミに感情移入…いや、いつしかいっそユメミに自己投影して読んでいた。  ただ、そもそもの僕の読書スタイルがそうなのではなく、そんな読み方をするのは、あの『夢見の恋人』だけだ。…それが今の僕にとっての、()()でもあるのだ。    それこそ僕は今やもう、わざわざ本を開かずとも、あの物語の内容を事細かに語ることができる。  そして殊に、あのユメミとカナエのベッドシーン自体に関しては容易に思い出せるほど、たしかに記憶しているのだ。一言一句まちがえない自信があるほどに。    そして、実をいうと…――かなり恥ずかしい話なのだが、僕はケグリ氏との奴隷契約で勝手な自慰を禁止されていた――そんな中でも実は、  僕はこっそり…たまに、『夢見の恋人』のあのシーンをアレンジして、…自慰をしていた。  そういった方法の自慰に関しては、ここ最近のことではあるのだが。   「……、…、…」    僕はもともと、『夢見の恋人』に出てくるあのシーンのようなセックスに、憧憬の念をいだいていたのだ。    本当は…夢だった――。  ただ以前の僕は、それこそ恋愛対象の性別もよくわからないような人だったし、好みのタイプもなかった。  好きになれるのが男性なのか、女性なのかも正直、わからなかったのだ。…男子校のときは男子に告白されたこともあったし、大学のときは女子に告白されたこともあった。    しかし僕は、いずれの人とも試しに付き合ってみようという気にはならなかった。――今思えば、とりあえずでも付き合ってみたらよかったのかもしれないが、結局すべて断ってしまった。  好きになれた人もいなかったし、興味を惹かれた人もまたいなかったのだ。…それは『夢見の恋人』のような恋に憧れがあったから――初体験は本当に好きな人としたかった――というのもあるだろうが、そもそも僕自身が、そこまで恋人がほしいとは考えていなかった、というのもあることだろう。    まあそりゃあ『夢見の恋人』を読んだときには触発されて、一時的にあーっと恋をしたい気分にはなったが(母さんの思惑通り)、…こうなる前の僕はそれより勉強、社会、ゲームや、友人たちとの関わり合いにばかり関心があった。  どちらでもいい、自分が好きになれる相手ならば――性別も種族も関係なく、想い合えればそれで十分だ。…曰くそこそこに良い顔、らしいので、そのうち恋人もできるだろう、とかなり僕は楽観的だった。    それが例えどんな人であろうとも、僕は本当に好きになった人と、ファーストキスをしてみたかった。――本当に好きな人に、僕の初めての経験を、ユメミのように照れながら明け渡したかった。…まあ実を言えばそれは、膣のほうとも、男性器のほうとも特にはなかったのだが。   「…………」      本当は…本当に好きな人にだけ、唇も、体も許していたかった。…そうだったな。そういえば…――。         

ともだちにシェアしよう!