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――長々と語ってしまった。
僕はソンジュさんに懇々 と熱く語るあまり、その人の真正面に回って、彼の両肩を掴み。
「わかりますか、まさかこれでもわからないというのか、この、――っこの最高に美しすぎる物語がわからない? この、この素晴らしさが、わからないんですか!?」
「…あ、あぁはい、まあ、ええ、わ、わかりまし…」
ヒートアップした僕が肩を揺すぶるも、ソンジュさんは僕におとなしく揺さぶられながら(がくんっがくんっと長くなった顎から上下に揺れている)、しかし曖昧な返事しかしない。
「なんでわからないんですか、ソンジュさんも世界で一番好きな作品だとおっしゃったじゃないですか!」
「…ゆ、ユンファさ、…はい、ちょっと待っ…あぁ本当に、でも本当に大好きなんですね、…はは…」
へらぁっと笑いつつ、そうして僕を執り成すようなソンジュさんに、僕はまだわかってもらえていないのかとさらにヒートアップしそうだ。
「っなんでわからないんだ? クソ、こんっなに魅力的な二人の魅力が、…」
「…いや、いやぁ俺は別に、悪いとは…むしろ、……まあとにかく、ユンファさんのこの作品への熱意はよくわかりましたよ、ええ…」
「…だって素敵じゃないですか、特にカナエとユメミが結ばれる…」
するとソンジュさんは、「落ち着いて」と僕の両頬を手でやさしく挟んで制し。
「わかります、わかりますよ、もうよくわかりました。熱弁どうもありがとう。――本当にユンファさんはこの作品を愛してらっしゃるのですね。…そしてpineのことも、また…」
「そりゃあもちろん」と、僕は熱くなっていてはなんら恥ずかしくも思わずに、いっそどこか意固地になってソンジュさんへとうなずいて見せた。――すると彼は、ふふ、と笑い、クスクスと笑いながら、すう…と目線を下げ。
僕も共になんだろう、と下を見れば――ソンジュさんは『夢見の恋人』の、背表紙をおもむろに開き。
「…ユンファさんは本当に、pineの大ファンのようだ――こうして、サ イ ン ま で し て も ら う ほ ど にね…?」
ソンジュさんは…本の内側に書かれている――pine先生の直筆サインを、僕に、見せ付けてきた。
「……は…――っ!」
僕の目は、ゆっくりと見開かれてゆく。
いや、いや、――サインなんてもらった記憶がない。
というか、僕は確かに何度も何度もこの本を開いて読んでいるが、ついこの前まではたしかに、――ここにpine先生の直筆サインなんかなかったのである、真っ白だった。
真っ白だった…はずなのだ。
「…ぁ…え? そ、ソンジュさん、――さっきシャワー、だから遅かっ…え? ソンジュさん、pine先生に会われたんですか、…」
「……え? あぁ、あの…そうでは……」
曖昧な返事にもどかしくなり、僕は「なんで、」と顔を上げ、なかばソンジュさんを睨み付けながら、次の瞬間には叫んでいた。
「なっなんで呼んでくれないんですか! え、…えーっ、せっかくpine先生にお会いできるチャンスだったのに、――えっ? ていうかお知り合いなんですか? そうか、作家仲間だとかそういう繋がりですか? わぁ、わー凄いなぁ、…」
「…あ、あの…ユンファさん」
僕は恐る恐るソンジュさんの手から、その『夢見の恋人』を取った。――手が震える、興奮で。
その場に正座し、まじまじと見る――pine先生の、直筆サイン。
「…うわぁ…本当信じられない、――やった…! あ、ありがとうございます、サインもらってくれただなんて、…あぁ嘘だろ、ほんと最高、泣けてくる……」
僕は『夢見の恋人』の背表紙の裏に黒いマーカーで描かれた、『pine』というおしゃれな直筆サインを眺めて涙ぐんでいる。――pine先生のサイン。信じられない、今日は本当に夢のようなことばかり起きる。
母さんもきっとかなり喜ぶだろう、これを返すときに驚かせてやろうか…いや、――もう母さんとは、会わないんだった。
「……、…ふふ……」
でも、本当に信じられない。
とにかく嬉しすぎる。最高、奇跡だ。
というか、…というかワンチャン?
ソンジュさんがpine先生のお知り合い…いや、もしやご友人、――そりゃあそうか、夜でも気兼ねなく、彼の家に遊びに来られるくらいの関係性なのだから。
なら、ワンチャン…――叶ったら死んでもいい。
「…あの…ソンジュさん、何でもしますから本当に、…も、もしよかったら、…あの、烏滸 がましい話ですが、本当…――今度会わせてくださいませんか、pine先生に……」
僕はチラリと瞳だけを動かして――結果的に上目遣いで――ソンジュさんを見た。彼はきょとんとしている。
「…あ…ユンファさん。pineに会えたら、何でもしてくださるんですか?」
「はい! なんだってします」
僕は笑顔のまま、勢いよく返事をして頷いた。
するとソンジュさんはニヤリとして。
「いいでしょう。じゃあ俺と結婚して」
「…え…? は、はい…? いやそれは…、ちょっと……」
違う、話では。悪い冗談だ。
なんてヘラヘラしている僕に、ソンジュさんはくるりと目玉を回して、ふふ…とどこか呆れ気味に笑う。
「まあ…もう既 に 対 価 を 支 払 っ て い る 状 態 ではありますので…、もはやそれと引き換えに、なんてしようがありませんがね……」
「……?」
対価を支払っている…――え。
じゃあ僕、もう既にpine先生と会っているのか。
誰、だったんだろう…――ソンジュさんはpine先生ではないと言っていたわけだから、もしかしてレディさんたちのどちらかだったのか…?
「れ、レディさん…? サトコさんのほうですか…?」
「…なるほど? まさかこれでも気が付かないとは…、何て可愛い人だろうな、貴方は…全く。いえ……」
ソンジュさんは呆れたように呟くと、くいっと僕の顎を上げて――妖しくにやり。
「ふ、ククク…どうやらサ プ ラ イ ズ は大 成 功 のようですね…? まあ少し、予想外な方向に逸れてしまいましたが…――。」
「…サプ、ライズ…?」
僕は丸くなった目をしばたたかせている。
いや、そりゃあかなり最高なサプライズだった。――まさかpine先生の直筆サインをいただけるとは。
そしてソンジュさんは、ニヤリとしたままにくいと顔を傾け。
「今では俺 の ユ メ ミ が、こんなに嬉しそうな顔をして、俺の側にいる…――俺の叶 え たかった夢が…ずっと夢 見 ていたことが、今に叶 い ました……」
「……、…」
あ…?
あ……?
いや、聞き間違いだろうか。――いやいや、アレか?
あの、「俺の王子様」というようなノリで、「俺のユメミ」といっただけだろうか。
「はは、白々しかったですか? 今 ま さ に 会 え て い ま す け れ ど 、p i n e に ……」
「……は…? あ…? え、あ〜と…どういう…?」
僕は顎を引き、ソンジュさんを見たままでは自然と上目遣いになったが――ソンジュさんは、「ですから…」と、含みのある笑みを浮かべてニヤリとしていた。
「――p i n e は …俺 で す 。」
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