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ソンジュさんは僕の顔を、こてんと上へ――自分のほうへ――と向かせると、ニコニコと嬉しそうに笑っている。…し、本当に嬉しいのだろう、パタパタ尻尾を振っている音までしている。
「ふふ…ほら、ユンファさんは、俺が誘ったダンスを断ったあと、保健室で眠っていたでしょう…? ――俺、実はあのあと、貴方のフェロモンの匂いを追い掛けたんです。そうしたら俺は、あの保健室に辿り着いたんだ……」
「……、…」
僕は目を瞠り、ドキドキしながらソンジュさんの、その熱っぽい水色の瞳をただじいっと見上げている。
「すると貴方は、あの保健室のベッドに横たわり、眠り姫なんて霞むほど美しい顔をして、眠っていた…。だから俺、眠っている貴方の唇に、そっとキスをしたんです。――できるならそれで、目を覚ましてほしかったけれど…、でも、貴方は俺に唇を奪われても気持ち良さそうに、すやすや眠っていたよ。はは……」
「……、…」
これはきっと、ソンジュさんの嘘ではない。
あのケグリ氏にファーストキスを奪われた僕のことを慰めよう、という、優しい嘘なんかではないのだろう。
なぜなら彼は、僕があのあと保健室で眠っていたことを、知っているからだ。――それこそあの『夢見の恋人』の中にだって、そのようなシーンは描かれていない。
何より嬉しくて堪らないとブンブン振られている、ソンジュさんのこの尻尾こそ――そ の こ と が真実だと裏付ける、証左でもあるだろう。
じゃあ…僕、僕の…ファーストキスの相手は、あのケグリ氏ではなく――ソンジュさん…?
「…………」
僕は何ともいえないで、ただ熱くなった目で、まばたきを繰り返した。苦しい――なぜか、泣きそうなのだ。
悲しいのではない。
むしろ…――よかった。
「……ふふ…、…」
「…よかった、僕、…っファーストキス、だけでも、…貴方に…あげられた、んだ……」
僕の目元を慰めるように、ペロペロとあたたかい舌で舐めてくるソンジュさんに――僕はいよいよ、顔を顰めた。
僕がソンジュさんへ――恋人としてあげられるもの、恋人としてしあげられるもの、僕は自分にそんな綺麗なもの、無いと思っていた。
「…あげられたですって…? ふふ、本当に危ないな…、俺に奪われたんですよ、ユンファさん…――ファーストキスを、眠っていて…知らぬ間にね」
「……っ、…〜〜っ」
僕は泣きながら顔を横に振った。
貴方で良かった。――僕のファーストキスの相手が、ソンジュさんで、本当に良かった。
貴方にせめて恋人として――好きな人に、せめてあげられた。――ファーストキスという、一生に一度きりの…僕の綺麗だった特別な唇を、僕はソンジュさんにあげられた、らしい。
嬉しくて、ホッとして、涙が止まらない――。
「嬉しい…っよかった、…キス、してくれて、…っ本当にありがとう……」
「…はは…、こちらこそ…ファーストキスをくださって、本当にありがとう。――まあ…俺もファーストキスだったんですけれどね。」
そう何か勝ち気にいったソンジュさんは、僕のことを抱き締め、そして――頭を撫でてくれる。
僕は彼の背中を、強く抱き寄せた。
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