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                   それから、ソンジュ少年が十歳のころの夜会では――。  真っ白なファンデーションを厚塗りにした婦人が、真っ赤な口紅をつけた唇を舌なめずりをしたあと、ソンジュ少年をその白っぽい舌で舐め回すように見下ろして、こう言った。   「まあ、まるで美神アポローンの化身のように美しい子ですわ。陽の光で紡いだような金色の輝く髪の毛、透き通る海の欠片を(つま)んで入れたような綺麗なお目々、きっと将来は大変美しい青年に育つのでしょうね。」    この婦人の、まるで詩を詠むような芝居がかったセリフに、少年は何かぞっとする陰湿で粘着質なものを感じた。  彼はたかだか言葉というものに、粘ついた唾液のような臭気を感じたのだ。すると少年は自分の顔が、この婦人の酸っぱい臭いの唾液まみれになったような気持ち悪さを覚えた。が、彼は臆することもなくそれを放った(おぞ)ましい印象の唇へ、無感動的な水色の瞳を向けた。  少年は思った。『また舐めた』しかし少年の口はこう機械的に動いた。「ありがとうございます」十歳にしては大人びた落ち着きのある声で、ソンジュ少年は礼儀正しく婦人へ目礼をして見せた。  この婦人は興奮すると唇を舐めるくせがあった。一回、二回、三回……ソンジュ少年はつまらないと思っているのに、どうしてか彼女の白っぽい舌が口紅を舐めとる回数を心ならずも数えていた。   「まあ……」猫なで声で褒め言葉を続ける彼女の、饒舌に動く薄い唇についている口紅はいくらか剥げて、この婦人本来の褪めた唇のいろが透けて見えている。まるでメッキを剥がされたかのように貧しい唇である。  ソンジュ少年は『この人はきっと、()()()()()()()()()んだ。きっと人のふりをした唇の化け物なんだ。』と子供らしく想像した。すると、何かこの世には無いとされている恐ろしいものを見ているようで、ソンジュ少年は退屈を紛らわすようそれが愉快だと決め込んだ。    少年はふっと鼻で笑った。このときのソンジュ少年は、まだ知らなかったのである――まさかこのときのツケが後に回り、この口から生まれたご婦人を、将来の自分が抱くことになろうとは…――であるからソンジュ少年は、次にはまるで天使のように可愛らしく微笑んだ。「ところでおば様、口紅が剥げています。お直しに向かわれたほうがよろしいかと」――彼の言葉に口元を隠した婦人は、途端に落ち着いて「あら、ありがとう」とはにかんだ。   「…それと、前歯にも口紅が。始まったときからずっと」    ソンジュ少年はその日、頬を赤林檎のように真っ赤に腫らし、夜会服をびしょびしょに濡らしたまま、狭く寒い浴室で一夜を明かすこととなった――。    口は災いのもととはいうが、それのみならずソンジュの見え過ぎる目もまた、こうしてともすれば災いのもととなるのである。人の目は口ほどに物を言うからだ。そして、彼はその物言う人の目を明け透けに透視し、心ならずも人の本音を見抜いてしまう。  一見人には便利そうに思われる彼の目も、ソンジュ本人は『厄介な目だ』といつも感じていた。要するに彼の不幸は自分の見え過ぎる目が根源となり、因果の果ての災いをも見てしまう己の目を、ソンジュは甚だ疫病神のように思って、憎んでいたのである。    彼は叶うなら人の心など見たくもないのだ。  ソンジュには嘘が嘘だと見抜けてしまうわけだが、人の本音と建前、お世辞、社交辞令やその場を取り繕うための詭弁、そういった世を上手く渡るにおいてのある種便利な嘘の類は、その実人間関係を健全に営むにおいては必要なものでもある。ただしもちろんその嘘は、バレないこと、が大前提にあるべきなのだが。  それは例えば嘘も方便というように、例えば正論ばかりをいう者が陰で揶揄されるように、例えば常に正義を貫こうという者が鬱陶しがられるように、信頼関係とは、そういった嘘が表面上に飾られているからこそ成り立っている。嘘はいけない、誠実性がある人間は嘘などつかない、それは全く綺麗事だと、ソンジュは常々思ってきた。  なぜなら人から誠実だと評価されている者でも、その誠実性を得ようとする嘘をついていたからである。    そしてソンジュはいつも、()()()()()()()()を妬んできた。   『俺の目はあまりにも見え過ぎる。真実を正義だとするのなんか、所詮綺麗事だ。そのせいで俺には、どうしても人が醜く見えてしょうがないのだから。嘘を真実だと信じ込めたなら、どれほど幸せだろう? あるいはそうでなくとも、嘘を嘘だとは思わない形で、彼らの嘘を見逃せたなら。もし俺の目が普通の目であったなら、きっと白黒ではなく、グレーという曖昧で綺麗な色を見られるのだろう。そのほうがずっと、人は、俺は幸せに違いない。』   『――俺は、俺の目を、塞ぎたい。』    人の幸せとは、知らぬことにも大いに含まれている。  であるからソンジュは、そのように見え過ぎる自分の“神の目”を、生来疎ましく思ってきたのだった。      さて、そうした人より難ありの宿命を背負うソンジュもまた、多くの人と同様に時を重ねた結果、今や一人の青年となった。  彼も今や二十四歳、背も柱に負けぬほど真っ直ぐに高く伸び、その輝くような美貌は人の目を引いた。ソンジュはただ街を歩くだけですれ違う人の目を奪い、みんな振り返らせるほど完璧に美しかった。  人は、あるいはその美青年が歩くだけで、彼が聖なる陽光を振りまく美神にでも見えたというのだろうか?      ――なんてね。これは職業病。  いい加減、やっと恥ずかしくなってきました。  世では(おご)れる者は久しからずともいいますので、こうした自惚れが過ぎるつまらない美化は、もうそろそろ終わりにいたしましょう。――小説家はいつも大げさなのです。小説家はいつも物事を誇張するものなのですよ。そして小説家は、いつも嘘吐きだ。        九条(クジョウ)(ヲク)松樹(ソンジュ)――それは俺のことである。           

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