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ところで俺は、先日決めたのです。
思えば俺はあ の 日 によって今の人生を見い出し、思えば俺はあ の 日 無くして、今の自分の幸せを謳歌することはできなかった。
さんざん世に説かれ尽くしている初志貫徹、首尾一貫、初心忘れるべからず、そうして始まりに立ち返るということの重要性――しかしこれまでの俺は、自分の人生の起点たる初心を、あえて見てみぬふりし続けてきたのである。
すなわち、あ の 日 の 初 心 から始まった俺の人生を煮詰めた結果に見えたものもまた、濃縮された初心であったということだ。――これまではその初心に目を塞いできた俺だが、折しも人生のターニングポイントにまた、その初心を正視するに至った。
とはいえ俺が、改めて初心に返り一念発起する必要性を見い出したのは、つい最近のことではあるが。
俺の幸せの原点、今に至る根源、因果の因たる部分、……俺は自分の人生において重要な初心を、もう見てみぬふりなどするべきではない。これまでは目を塞いで妥協するかどうかを決めあぐねてはいたものの、今ははっきりと妥協しないことを決めた。
あ の 日 無くしてもきっと俺は幸せになれたなどと、それこそ何ら無知な驕り高ぶりに違いない――。
何のことをいっているのか?
俺が妥協できない、いや、絶対に妥協しないと俺が決めたこと――それは、我が初恋を永遠のものにするということである。
初恋を追い求める男を、しばしば人は愚か者だという。
なぜなら人は初恋というものを、いやに神聖視するからだ。――神を自分だけのものにしようというのがまず無理なことであるように、あるいは神秘的な月を手に入れるというのが叶わないことの象徴であるように、初恋を永恋 の形に昇華させるということは、到底無理なことだと決め付けているのが並の人間なのである。
『初恋こそが唯一の恋愛だというが、それはまさに至言である。なぜならば第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、恋愛の最高の意味が失われるからだ。』
ゲーテのいうように、まさに初恋こそが唯一の恋愛である。俺の場合はもっともそのようだ。
但 しゲーテはまず前提に、『第二の恋』があることを念頭に置いて、この格言を残している。――その点においては納得できない。
なぜなら俺は、初恋以降に恋をした経験がない。要するに俺は、あの月下 ・夜伽 ・曇華 以外の人に恋をした経験がないから、納得しようにもそれはできかねるのである。
さて、しばしば人は、初恋に夢を見ている。
真実の愛などこの世には存在しないと言ったのと同じ唇で、ともすると人は、初恋こそが人生で経験しうる恋の中でもひと際美しく綺麗な、それでいて儚く脆い恋なのだというのである。
永遠ではないからこそ――死があるからこそ、生は美しく輝くというのである。
すなわち、叶えたくとも叶わぬ恋こそが――追えども去り、掴めどもいずれは手放すこととなる恋こそが――初恋である。…壊れやすく、死にやすく、叶えどそれは、決して永遠のものとはならない。
恋の中でも一際危うい。
憧憬こそが初恋の根底にあるものである。
そしてその憧憬とやらは、幻想ともされるものだ。
夢幻の如く――儚く脆くも、一際に美しい恋。
泥臭い芋虫であった姿を知らぬ間に――美しく洗練され、はためく蝶の羽に恋をした。
それこそが初恋である。
初恋は決して叶わぬものであると、人は言う。
むしろ叶わぬからこそ美しく、素晴らしいものであると人は言うのだ。
手に入らぬからこそ、永遠の憧憬を抱いたままでいられる。…であるからこそ永久 の夢となり、そうであるからこそ初恋は美しい。――初恋が永恋 となるは、永遠なる憧憬にこそあり。
憧憬こそが初恋の真髄であると人はいう。しかしそれは俺に言わせてもらうと、ただ自分の記念すべき初体験を美化したいがため、現実に人と寄り添うより、夢として自分の人生に寄り添わせたほうが綺麗だから、などという人間のエゴなのではないか?
つまり俺には、あるいは初恋を永恋にしたくてもできなかった者が、それの慰めに、「初恋とは叶わぬから初恋である」と言っているようにさえ思えてしまうのである。
人は初恋を真の意味で手に入れようとしたのだろうか?
まばたきもできず乾いた血眼で初恋を凝視したか。手の爪が剥げるほどにもがいて初恋を掴み、もう二度と離さないと握り締めたか。その身が泥に汚れてでも、奥歯を噛み締めて歪んだ醜い顔を晒してでも、その初恋を延命させようとしたのか。
初恋もまた所詮一期一会と割り切って、きっと多くの人は初恋よりも、もっと安全な第二以降の恋愛を、本当の意味が失われた恋愛を恋愛として、自らの人生の傍らに添えることを選ぶ。そして初恋はひと際特別なものとして、心の中に飾っておくだけで満足するのだ。
しかしそれではまるで、きらびやかな屋台に飾られた、よくできている飴細工をただぼんやりと眺めている無力な子供のようである。そこで一回は立ち止まったのなら人は、もっと初恋というものに手を尽くしたほうがいい。そして初恋を舐め尽くしたほうがいい。なぜ一度駄目だといわれたからともっとねだらない、なぜその手を伸ばさない、なぜしかと掴まない、なぜ掴んだのに手を離す、なぜ飴を舐めない、なぜもっと食わない、なぜ噛めるものを噛まない、……なぜだ?
しかしそれは宗教同様、俺にも決して愚かだとは決められない。俺にも同様のところがあった。それと、崇拝と執着と愛執の境い目とは如何 にあるか、それもなかなか難しい問いである。
とはいえ放っておいても、結局飴などいずれは溶けて醜くなってゆくものである。どうせなら舐めて味わい尽くし、我が身の一部としたほうが俺はまだ満足だ。
初恋や初恋の人の醜い部分を見たくないというのはエゴだ。それは恋であり恋愛ではない。
その飴は自分のものではないから、唾液まみれにして汚したら美しさが損なわれるから、壊してしまったら嫌だから、いつまでも子供ではいられない、この飴細工にだけ執着していては駄目だ…――そうして諦められるほどの恋ならば、そんなものは恋でもない。
ましてや俺は、初めて恋をした以降、残念ながら他の人のように第二以降の恋愛などできなかった。というよりするつもりなど今も昔も毛頭ない。――であれば唯一の恋、本当の恋愛、……月下 ・夜伽 ・曇華 という初恋の美青年ただ一人に執着するのは、まあ当然、自然の摂理にも近しい、俺には初めからこの初恋以外に選択肢もない。
ついぞ手に入れたいと強く思えた。
俺はそれだけで幸福である。俺はあの日に蘇った。そしてこれほど生かしたいと願えた。あの瞬間に俺の全てが変わった。俺は生きていた!
あ の 日 の感動を忘れようにも忘れられないのは、人が己の誕生日という宿命の日を忘れられないのと同様のことである。
永遠ではないからこそ――死があるからこそ、生は美しく輝く?
しかし月は、ほとんど永遠の時を経て今もなお輝き続け、どの時代の人にも憧憬の眼差しを向けられている。
人が永遠の中に美しさを見い出せないふりをしているのは、人がその永遠をどうせ手に入れられぬと諦めているからだ。
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