498 / 689
7
――厳密にいえば十 二 年 前 の こ と だ。
というのはもちろん、月下 ・夜伽 ・曇華 と俺が初めて出逢った時期のことである。つまり俺が中学一年生の頃、俺は夢 の 中 で 彼と出逢った。なお、これは比喩ではない。
俺が十二歳のときの、ある秋の日――そのときからだ。
そのときから俺は、眠っているときに彼の夢を見ていたのである。
ただその夢の一幕が正 夢 となったのは、俺が中学二年生…つまり、あれは俺がまだ十三歳のときのことである(俺は一月の十九日生まれであるため、早生まれなのだ)。――そのため、ロマンチシズムを主義とする俺としては十二年前といいたいところを、ことごとくリアリストのユンファさんに合わせて俺は先ほど、十 一 年 前 といったのだ。
そして、今になって知った二人の年齢差を鑑みると、俺が十三歳ならばユンファさんはまだあのとき高校一年生、すなわち十六歳の少年であった。
そうして一見接点も何もなさそうな、十三歳と十六歳の少年二人が、如何 にして出逢ったのか――。
今 日 か ら ち ょ う ど 十 一 年 前 に あ た る 九 月 の あ の 日 、俺たちの出逢いの場は――ユンファさんが通っていた男子校の、夕暮れに染まる図書室だった。
なぜ中学生の俺が、彼の高校なんかに居たのか?
それは至って簡単な理由だ。
ユンファさんの高校で執り行われていた文化祭へ、俺が遊びに行ったから。…ただそれだけのことである。
ちなみに、この日共に行動していた友人の一人に誘われたのだ。彼はユンファさんの通っていた男子校に、同年代の友人がいたのである。しかし一人で行くのも何となしつまらないと、俺たちが誘われたわけだ。
そうして遊びに行ったあの文化祭で、俺と友人ら四人は学生らしいといえばそのような、教室で営まれていた…有り体に言えばクオリティの低いカフェに入って、ペットボトルから紙コップへと注がれた、粗末なコーヒーを飲んだ。…味は炭を溶かした水、香りもまた焦げた何かしらの匂いというだけの、至って不味いコーヒーだった(もちろんあ の キ モ い イ ボ ガ エ ル が淹れたコーヒーなんかよりはうんとマシではあるが)。
お化け屋敷なんてもっと低クオリティだった。――血のりの代わりに赤いアクリル絵の具を使っていたばかりに、まるでトマトのようなオレンジがかった血のりをべっとりつけた幽霊役の女(なお、男子校のため女装した男子生徒であった)と、顔面を真緑にベタ塗りしたゾンビ、真っ白な包帯を全身に巻き付けたミイラ男…ハロウィーンの仮装ならまだしも、お化け屋敷にしては世界観の統一性すらなかった。
それから音楽室で、ガチャガチャとハーモニーのない演奏を聴いた。――あとは…とにかく低クオリティな…いやいや、学生ならばそれでいいのだ。そんなものであろう。こういったイベントは学生が楽しむことこそが肝要なのであって、まさか正当な商売ではないのだ。いわば低クオリティが許されて然 るべき学校行事なのである。
そうして、俺たち四人は何だかんだ言いつつも楽しんで校内を回り、いよいよ文化祭はフィナーレ間近という時分になった。…またその時間ともなると、そのフィナーレの準備に追われている高校生たちはほとんどが捌け、客にしても校庭で執り行われるという目玉の舞踏会を見ようだ踊ろうだと、みなほとんどが廊下からはいなくなっていた。
来たときこそ押し合いへしあい、歩くにも半歩ずつでなきゃ進めないような混み具合だった廊下は、このときにはもうすっかりガランとしていたのである。
昼間の喧騒が鳴りを潜めた渡り廊下の、その壁に並ぶ窓から差し込む西日が、足跡にうす汚れた廊下のグレーに落ちて何か、もの寂しい光景だった。
そして、あのとき俺がその図書室へと入ったのもまた、至って偶然によるものだ――が、それはもちろん偶 然 の 顔 を し た 運 命 の 導 き 、つまり必 然 のことであった――。
たまたまその図書室近くに俺は、友人たち三人と共に居たのである。――もっといえば、その図書室近くのトイレへ用があった俺以外の三人に、俺はその辺りでぽつんと一人置き去りにされた。
また付け加えて、俺はそのときかなり疲れていたのだ。
但 し、この頃から絶え間ない運動習慣を強いられてきた俺が、体力の問題で疲れるということはなく――九条ヲク家の者としてこの頃から俺は、健康的な美を磨き立てる義務が課せられはじめていた――、あくまで精神的な疲労である。俺は今もそうだが、もとより人混みが苦手なのだ。
ベータやオメガの人々にはなかなか理解しがたいかもわからないが、アルファの聴力は、他属性の比でなく敏感である。――犬…ならぬ、狼並みといえばわかりやすいか。
たとえば教室が四つほど連なっていたとして、自分は廊下に居る。そして、その教室のどれか一つの中で、誰かに小声で話しかけられたとしよう。
また折しも昼休みの教室の中では、ワイワイガヤガヤギャーギャーと、誰も彼もが憩いの会話を、遠慮なく楽しんでいるものとする。…まず他の属性ならば、その乱痴気騒ぎから特定の一人の声を聞き取るなどとは、試すまでもなく到底無理なことだろう。――しかしアルファは、耳を澄ませればその声が聞き取れる、聞き分けられる、たしかに言葉を言葉として聞くことができる。
その聴力に付け加えて、俺は人の声色一つでその者の感情を読み取ってしまう。…すると人混みとは、俺にとって人々のさまざまな感情に溢れたカオスなのだ。
そんな俺が、校内いっぱいに人がひしめき合い、あちこちで絶えず多人数が各々話している――下手すればお化け屋敷なんかじゃ悲鳴をあげている――状況に押し込まれ、どうして疲れを感じないというのだろうか?
ましてや俺たちアルファは、嗅覚においても狼並みだ。
たとえば普段使っている香水に、たった一滴別の香水を混ぜ込まれたとしようか。――アルファならばみなわかる。混ぜ込まれたその一滴がわかるのだ。その一滴の香水がどのようなものなのかさえ、嗅ぎ分けることができてしまう。
まあとはいえ、匂いや音に関していえばアルファ属はみな、成長と共に嗅ぎたい匂い、聞きたい音と、そうではないそれらとを努力によって、分別することはできるようになるのだ。――つまりある程度、匂いや音は無視することができるようになる。…そうでもなければ俺たちは、みな不眠症になってしまうことだろう。
だが十三歳の俺はまだ、それが上手くできなかった。
――多くの人の香水だ体臭だ、食べ物の臭い、声、足音、袖触れ合う布ずれの音、…こっそりセックスをしている男女もいたね、そういえば。そうして噎せ返りそうなほど人 が 充 満 し た 校舎の中を練り歩いていた俺は、当然耳疲れに鼻疲れ、…とにかく疲れていた俺は、少し休憩がしたかったのである。――要するに俺は、どこかに座ってしばらく一人になりたかった。
ともだちにシェアしよう!

