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さて、話は逸れたが――俺は初めこそ、ユンファさんと結婚するために小説家を志したつもりであった。
これは自分が小説家になれば、本好きな彼との接点を持てるんじゃないかという無鉄砲な若い下心だったわけだが(まあ、結果としては「崇拝しています」とまで彼にいわれるほど不思議と上手くいってしまったわけだが)、俺はある意味で彼に一目置かれようとしたのである。
その泊 が付けば、たとえあのとき恋愛対象に見られなかった“少年”でもあるいは、などとね。
……しかし、そうしてあくまでもまっすぐに純真に、それでいてあまり真っ当ではなく、不純な動機をもってして小説作家になろうだなどと志を立てた俺だったが、――何と執筆においてもたちまち寝食を忘れるほど、まるで病気にかかったかのように眠らず食わず、小説という芸術、言葉のみという縛りの中でも如何様 にも世界を構築できる創造の可塑性 、手ずから造化することの喜び、俺はそういった執筆の魔性の魅力に取り憑かれたのである。
一から十まで世界をどのようにも創ることができる……言うなればこれは、まるで創造主 になったかのような、そうした神秘的な楽しさだろうか?
好きこそ物の上手なれとはいうが、やはり心より楽しいと思えることには自然と行動も伴い、ある種の底しれぬ欲望も枯れる気配なく湧いて出てくれば、当然また自然と俺の知識の裾野も広がっていった。
毎日毎日、“狼化”している期間を除いて毎日机に向かいあう俺は――“狼化”してしまうとキーボードが上手く使えないのである――、今も傍目にはいやに慇懃 なように見えているかもしれない。
が、俺はそう慇懃なのではない。俺は単に、目の前の創造を無我夢中で楽しんでいるだけだ。今もなお、そして中学生の頃の俺とてそうである。――またもちろん小説を読むことの面白さにも目覚めた俺は、趣味と実益を兼ねて、そうしてすっかり文学作品を読む癖がついていった。
読むにしろ書くにしろ、言 葉 を 楽 し む ということ――それこそが小説というものの醍醐味といえる。
そして、これもまた小説ならではの楽しみ方――その小説に出てくる登場人物が美貌ともなれば、俺は男 女 関 係 な く 、あのユンファさんの美貌と重ねあわせて読んでいた。
もちろん俺は、ユンファさんが男性であることは重々認識してはいた――というよりかゲイの俺は、だ か ら こ そ ユンファさんに一目惚れしたのだ――が、しかし、彼においては神話の神のように沐浴 のみで子を成せるといったような、そうした単為生殖さえ可能かと思われるほどの神聖さをもった美神だ。と、俺はあ の 日 からずっとそう考えてきた。
まして、オメガともなれば実際神 ら し く 両 性 具 有 なのだから、要するに彼の美しさに当てはまる記号は美 し さ だ け なのであり、もはや男やら女やら、そういった人間的で狭窄的な美という概念は彼に必要ないのである。
もはやユンファさんと美は同一のものと思われる。
さて、そうしてさまざまな作品の美にユンファさんの美が重なるとまたそれが呼び水となり、俺の『夢見の恋人』への執筆欲は更にむくむくと膨れ上がっていった。――こらえ切れずどんどんと湧き上がってくるインスピレーションのまま、やむにやまれぬ頭と手にすべてを任せて淀みなく描いたあの作品の執筆には、一切の滞りがなかった。
ユンファさんを想うとそのたびに、あの随筆付きの夢日記を見返し、あの日のメモを見返すとそのたびに降って湧いて出てくる、枯れることなき真実の愛のような、眠れば毎日この目に映し出される美しくて楽しい夢のような、果てのない果てのない果てのないインスピレーション――作家にとってこれほど幸福なこともないものだ。
しかしベースとなるものはもう既に出来上がっていたため、執筆には実にひと月ほどしか要しなかった。――あ の 日 の記憶と己の夢想はもちろんメモをしていたし、夢の中で見ていた展開もまた夢日記に都度記録していたため、直感的にこもごもとしたそれらを時系列で並べて縫合しつつ、学んだ表現をそれっぽく用いて、さらに物語に整合性をもたせるための創意工夫を加えた執筆だった。
俺は夜ごと自室に、己の全身に、夢を満たした。
月を見ながらユンファさんの夢を見た。
ユンファさんとのラブストーリーを――ユンファさんのことを――彼の、神々しい肉体を。
俺はそうして毎夜顔の変わる月を見上げながら、夜を徹して『夢見の恋人』を執筆した。
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