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そうしてカナエは、ユメミの同級生という設定になった。しかし凝り始めるともっと凝りたくなり、物語へのこだわりは更に膨れていった。――俺は生来の作家気質だったようだ。
ユンファさんの発言などはそのまま書き起こすだけでは何か物足りないと、物語上の都合に合わせたアレンジなどはもう既にしていたことであるが(これも一つの創意工夫である)、しかし、それの裏を取るにも直面するのはまずユメミの設定である。
ではユメミの設定も突き詰めようか?
とは思うものの、しかしそうしようにも、余りにも情報が少なかった。見た夢はぶつ切りのシーン、あるいはあ の 日 のことを――ユンファさんご本人を――参考にするにしたって、まさかあの一幕の会話で、彼の背景を多く知り得るにはやはり限界というものがあった。
そこで俺は思い至った。
少ないながらもユンファさんの情報の一つである、オメガ属について調べてみようか、と。
あのときにユンファさんは「アルファだろうがオメガだろうが…」と、いわば彼は属性のことなどなんら関係ない、という論調の人であることも理解はしていたが、とはいえオメガ属であるというのは彼を構成する要素の一つであることには相違ない。
何より夢を除けば、あの一場面ほどのことしか俺は、彼を知らない。そうともなれば、俺はどのみちそれに縋るほかはなかったのである。
まして、俺は単にピンとひらめいたアイディアでは見切り発車であったものの、ユンファさんのあの「属性なんか人を構成する一つの要素でしかない」という発言に一つの着想を得ていた。
それは、オメガ属としての差別や風当たりの強さを重々経験しているからこそ、オメガの己に後ろ指指す者たちへ、そして自分の属性であるオメガ属へ、拒否感に近い葛藤があったが故にあの発言が口をついて出たのではないか、というものである(なお、もちろんユンファさんご本人にそういった背景があったかどうかというのは、この時点ではそう重要視していなかった…というよりか、真偽を確かめようもないので、重要視などできるはずもなかったのである)。
……と、それを思い付いたまではよかったが。
俺はアルファ属である。
つまり、俺はオメガ属がどのような体を持ち、一般的にどのような境遇に置かれがちであるかなど、そのようなことは教科書以上のものは何も知らなかった(なお、周りにオメガ属当人がいなかったわけではないが、その者たちはみな上流階級の高飛車な色に染まっている。一般的なところに軸のあるユメミの参考にはならなかったのだ)。
そういった複数の理由から、俺はネットで、オメガ属について調べてみることにした。
すると自然の成り行きで、我が国のオメガ属が一般的に置かれがちな環境、その社会の闇にも辿り着いた。
曰くオメガ属の人々は、その生殖機能の際立った体質から軽んじられてあたかも適職というふうに、ほとんどの人がアダルト業界に就くしかないか、あるいは、かなり年上の男(結婚できない金持ちの男というのは大概年増なものである)と結婚させられ、専業主婦(夫)にされることが多いというのだ。
要するに、このヤマトではオメガ属に生まれたというだけで、許された未来の選択肢の幅はかなり、かなり狭いということである。これは由々しきことだ、と当時も感じたものだが、俺は更に目を覆いたくなるような書き込みを見つけた。
それはネットの海の中で、比較的アンダーグラウンドとされる匿名掲示板の中、「オメガ」と検索した結果に出てきた、身の毛もよだつようなこの書き込みである。
『少子化とかいうけど、今って女が働きに出て子供産みたくないとかいうじゃん? ベータ族の女って最近は男に縋ったりなんかしないし、昔みたいに三つ指ついて旦那迎える女なんか夢幻だと思うだろ?
でもその点オメガはマジ最高。マジで命令すれば三つ指ついて旦那迎えるからな。まず働き口なんか泡姫くらいだから結婚したら専業一択だしw
アレのときヤるとすぐ孕むし、アッチの具合も正直毎晩ヤりたくなるくらいいいしw 金あるならオススメww
結婚相談所とかでもオメガがいいっていうと優先してくれるし、オメガ専門の結婚相談所もあるよ(でもやっぱある程度前金は必要)。あとオメガって立場弱いから嫁姑問題も起こらないし、うちのは子供産んだぶんだけ親に金やるからっつったらさ、健気にも毎晩自分から誘ってくるんだ。まあポコポコ子供産まれても困るからあとで避妊薬飲ませるけどw ハゲデブ中年(俺)に若くて可愛いオメガがだぞwww 最高だわwww』
この鼻持ちならない書き込みを真に受けた子供の俺は、これは悍 ましいものを見てしまったと、吐き気すら覚えたほどだ。…もはや人扱いではない。誰ぞの伴侶となってもなお、これではほとんど性奴隷の扱いである。
ちなみにこの男はそのあとも、この書き込みに対する冗談半分の悪ノリした質問へ、明け透けに答えていた。処女なら高く買ってやると言ったら喜んでオメガの親がそのオメガを差し出してきただ、でも自分を拒んだからお仕置きしてやったんだ、オメガの性器の具合からセックスのプレイ内容から何から、……正視に耐えない。
しかし今思うと真偽は不明だ。所詮匿名掲示板である。
好き勝手インモラルなことさえ恥も見聞もなしに言いたい放題の、海のものとも山のものともつかない連中では、はっきりいって一枚岩の集団ではないのだ、まあ信憑性には欠ける。
俺はあれでもまだ子供であった。ただ、事実我が国のオメガ属は結婚かアダルト業界か、という二択を迫られがちなこともまた、この書き込みに信憑性を与えた点の一つではある。
そして、この倒錯的な書き込みが嘘であれ真実であれ、少なくとも真実か嘘かが判然としないという時点で、このヤマトでのオメガたちが置かれた境遇はこれに近しいものがある、ということなのである。
そして、そうだ。
この名も知らぬ、本当にオメガを娶ったかもわからない男こそ――あのユメミの婚約者のモデルだ。
拙いながら、何かいつか社会に一石を投じたいと啓蒙 の練習としたつもりだったが、…まさか書いた当時は、本当にこの作品が世間にその意義を成すとは夢にも思っていなかった。
また、当然このときの俺は知らなかったのである。
実際ユンファさんは育ちが良く、オメガ属とはいえ、まさかユンファさんが一般的なオメガ属とはほとんど真逆ともいえる恵まれた家庭環境で育ち、暮らし、だからこそあのように気が強かったあの人が――どんな家庭環境で過ごしている人なのかなど、もちろん俺は知らなかった。
そのせいで俺は、あの人もいずれはこうなるんじゃないか、と酷く不安になった。
あの人もまたいずれはこうなってしまう運命なんじゃないか。あれほど独立独歩とした高潔な人なら、涙を呑んでも誰かに助けを求めようとはしないかもしれない。
あの人の白い肌に、脂ぎった中年男の舌が這う――?
戦慄した。――俺は誓った。
目の前が真っ暗になった。――誓願した。
もし彼がそんな目にあったなら俺は、絶対に、必ず、彼を助けてあげたい。
抱き締めてあげたい。守ってあげたい。優しいキスをたくさんしてあげたい。
俺は彼を救ってあげたい。
俺はいつか彼の手を掴んで走り出したい。
そうして一緒に浮世から、どこまでもどこまでも逃れて二人きり――現し世に俺が作った夢の中で、暮らすんだ。
あの『夢見の恋人』のエンディングが出来上がった。
――しかし今思えば、俺のこの不安はこ の 時 点 で は 杞憂であったが、今に至れば最悪なことに、なかばは当たってしまったのである。
だからこそ今の俺は、このときに堅固として誓った誓 願 を果たそうと、努めている。
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