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            「そういえばカナエ君」    としゃがんでいるユンファさんは隣に立ったままの俺へ顔を上げた。彼は両膝の上に両腕を重ね、俺を見上げてにこっと笑っている。   「…このあとのことなんですが……」   「……、……――。」    ユンファさんのこの体勢には妙な空想が重なる。      遠く聞こえてくるのは祭囃子(まつりばやし)――(せみ)の切なき金切り声、狭苦しい雑踏、各々開放的な楽しげな声、出店の呼び込み、数多(あまた)の足音、蒸し暑い夕方の青褪めはじめた橙色、垂れてくる青い影に陰れど色鮮やかな出店の看板、眩しい裸電球の素朴な灯り、    見上げた夕暮れ空には入道雲と早出の月、月明かり、    夏祭り――俺とユンファさんは夏祭りに来た。    紺色の浴衣(ゆかた)をその長身にすっかり着こなしているユンファさんの片手にはかき氷が持たれている。彼のふくよかな唇が赤い。それはいちご味だった。彼は金魚すくいの出店の前で立ち止まり、『ねえソンジュ』と隣の俺に振り返る。   『金魚すくいしよう』    ユンファさんは無邪気な笑顔をその顔に浮かべながら、そう金魚すくいがしたいと俺にねだった。   『はは…いいですよ。俺はしないけれど』    俺は何気なく彼に何でもない意地悪を言った。   『…あぁ、そう。でも僕はするよ、絶対に。……』    ユンファさんは赤い唇からまぶしい白い歯を覗かせて笑った。何でもない俺の意地悪に傷付くはずも、またその楽しげな意欲が欠けるはずもなく、ユンファさんは早速『一回お願いします』『あいよ』  ユンファさんは出店の店主に数百円を払い、『ちょっと持ってて』と手に持っていたかき氷のカップを俺に手渡すと、浴衣の(すそ)を軽く押さえながらさっと爽やかに水槽の前にしゃがみこむ。  店主は彼にピンク色のポイ――金魚すくいに用いられる丸い薄紙の張られた道具――と、水槽から水を汲んだ茶色の木製のお椀を手渡した。そうしてユンファさんの右手にはピンク色のポイが構えられ、彼の左手には茶色い木製のお椀が持たれることとなった。  早速彼は、出店の裸電球に照らされている目の前の黄色い水槽の中でおよぐ、無数の金魚たちをのぞき込む。赤い和金の中にはちらほら黒い出目金もいる。   『…どの子にしようかな…? ねえ、たくさん釣れてしまったらどうする?』   『どうって?』   『…はは、だから、…飼いきれるかな』    側に立っている俺へと無邪気な笑顔を仰向かせたユンファさんは、当たり前に飼うと小さな少年のようにそう俺に聞いてくる。どうも冗談ではないらしい。   『……飼うの…? 金魚…? 全部…』    困惑している俺をよそに、彼は『うん』と弾んだ声で返事をした。  そして、ユンファさんはまた水槽の中でおよぐ金魚たちを品定めしながら、『僕、これでも金魚すくいは物凄〜く上手いんだよ』と自慢げに言う。   『そう。ふふ…じゃあ貴方の腕の見せどころだ』   『…君ちょっと馬鹿にしていないか? 本当に上手いんだ、見てて』    やる気を見せて紺の浴衣の袖を肩までまくるユンファさん…あらわになった白く筋肉質な細い腕には汗が浮かび、水槽へと伏せられる彼の顔、玉になった汗に濡れている白いうなじ、濡れた黒いえり足、汗に濡れた黒髪のつむじが屋台の熱い裸電球に照らされて、ピンク色のポイを(つま)んだ指先がいよいよ水槽の水に濡れる、――聞こえてくる祭り囃子の音、ガヤガヤとした人混みの遠慮ない声、酔った男の高笑い、地面が揺れそうなほどの多くの足音、彼に手渡されたかき氷のいちごシロップの甘い匂い、……『あぁおめでとう、お兄さん、なかなか凄いじゃないか!』     『…ほらな、ソンジュ、ほらな? どう?』     「――……、……」    なんて、ね……。  俺とユンファさんが夏祭りに行く、金魚すくいがしたいとはしゃぐユンファさん、少年のように無邪気にお祭りを楽しむ愛らしい彼に、俺は実に満更でもない。俺がユンファさんと何の気兼ねもなく夏祭りに行ける、そうした彼の彼氏になれた――そんな空想。     「……カナエ君…?」  そして俺のことを心配そうに見上げてくる――赤い首輪を着けた、初恋の人。   「……あぁごめん、ぼーっとしていたよ…、……」    現実的じゃない。  …これはただの俺の夢だ…――俺だって子供の頃には夏祭りにくらい行ったことはあるが、九条ヲク家の次期当主として生を受けた俺が、これから何の気兼ねもなしにユンファさんと夏祭りに行けるようなことはないのだ。仮にそうでないなら俺は、今も仮面など着けないで済んだのだからね――。       

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