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129 ※微
「…すみません……俺は、貴方が思われている何倍もエゴイスティックで…かなり我儘な男なのです。」
と俺がユンファさんのことをベッドに押し倒すと、彼は驚いて目を見開き、俺のことをその潤んだ紫いろの瞳で見上げたが、
「……ぁ…あの、……」
しかしすぐに彼はふと目を伏せると、その痩せた生白い頬にじわ…と淡い薄桃をにじませる。
「……ょ、よろしいんですか…。ぼ、僕…あの…ぁ、貴方に…触れていただけるような、その……」
「……、…ふふ……」
おやおや――ユンファさんはある勘違いをしている。…その勘違いとはもはや言うまでもなく、俺に押し倒されたので、このまま自分が俺に抱かれるのだろう、というような勘違いである。
……もちろん彼がそのような勘違いをしたのは無理もないが――むしろ男に組み敷かれたのでは、誰しもがそのように考えて無理はないが――しかし、俺は今回はユンファさんを抱こうと思って彼を押し倒したわけではない。
ユンファさんは目を伏せたまま、たどたどしい含み声でこう細々と言う。
「き、綺麗な…体ではなくて…、で、でも…その…、その……」
「ユンファさんのお体は…とても綺麗ですよ。」
「……、…、…」
じゅわりとユンファさんの頬の赤味が増す。
彼の心音が愛らしくトクトクと速まっている音がかすかに聞こえてくる。彼はきゅっとまぶたを閉ざした。つーとまた涙が彼のこめかみへ流れてゆく。
「……そ…それは、そ…そんな…、いえ、き、綺麗では、ありません…。む、むしろ…汚い……でも……」
「……でも…?」
「……、貴方に…触れて……」
ユンファさんは「貴方に触れてほしいんです」と言いたかったのである。――しかし俺の指が自分の汚い体に触れること、ましてや「触れてほしい」と自分のような性奴隷が望むとは、それさえもおこがましい。
……彼は最後まで言えなかった。
「…いえ、ごめんなさい…。何でもありません…ごめんなさい……」
「……、触れてよいのですか、俺…」
と俺が優しい声で尋ねると、彼は薄目を開けた。
その伏し目の黒紫の瞳には今、みずみずしい澄んだ小さな光が揺らめいている。
「俺はユンファさんに触れてもよいのですか…?」
俺はもう一度彼に確かめた。
するとユンファさんは、
「……、…」
コクと浅くうなずいた。彼は本当はうなずくと同時に「はい」と言ったのだが、あまりの自信のなさに声はおろか吐息さえわずかな量しか口から出せなかった。――しかし彼は目を伏せたまま辛そうにわずかに顔をしかめた。やはり見誤った自己価値から俺、…儚い恋心を抱いている俺に、それでもこれ以上幻滅されたくないと、彼は吃 り吃り一生懸命にこう言う。
「…ぁ、あの…でも、い、いいんですか、貴方はいいんですか、…僕、ほ…本当に、き…綺麗じゃあり、ありません、…あの、に、……肉便器、なんです…本当に…、す…好きな、人、…というか、あ…貴方に、み…見せられる、だ…抱いていただ、ける…体じゃ、ないんです…、あの、ごめんなさい、うっと、鬱陶しくてごめんなさい、…でも、僕…っん、…」
ユンファさんが怯えたようにビクンッとした。
俺が彼の頬にちゅっとキスをしたからである。
「…はは…大丈夫です。ユンファさんは綺麗です。」
「……ぁ…ぁ…、……、…、…」
カタカタと震えているユンファさんの手の爪先が、自分の頬の俺の唇が触れたあたりを優しくひっかく。…彼の伏せられた切れ長のまぶたがふるふると震え、そのまなじりからはまたつーと涙が、彼のこめかみのほうへと流れおちてゆく。
「…ぼ、僕…でも、本当に、綺麗じゃ…あ、ありません…、あの…不細工、だし…体も、その……」
「いいえ、不細工どころか…むしろユンファさんは本当に綺麗だ。貴方の顔も体も、そして貴方の心も…誰よりも美しいよ。――貴方は誰よりも綺麗だよ…」
俺は微笑みながら何度も「綺麗だ」と繰り返した。
ユンファさんは、は…と静かに息を飲むと、伏せられた目もとまで紅潮の範囲をじわりと広げながらも、やはりその伏し目のまなじりからはらはらと涙を流す。
「……あの、いえ、僕…僕、…ちょ、チョロいんです…。あの、本当に…ば、馬鹿な…や、ヤガキ、なんです…、だ、だから、あの…や、優しくしないで、ください…。あの、あ、アルファのあ、貴方に、その…オメガ、だから…その…ちょ、チョロいんです、だ、だから、…か、勘違い…とか、その…――あな…貴方の、こと…、す、好きに…なってしまったら、僕……ぼ、僕なんかが、貴方に…あの、…貴方に、ご迷惑、おかけして……」
「迷惑だなんてとんでもない。早く俺のことを好きになってください。」
「……、…、…」
――『嘘…』とユンファさんの伏せられた黒紫の瞳が呟く。『有り得ない…、有り得ない…』
……このままではまたパニックになってしまうか。
「……ふふ…、だけれど……」
としかし、何にせよこのままユンファさんを抱くわけにはいかない俺は、彼のひっきりなしの涙に濡れるこめかみを、ゆるく曲げた指の背で撫でてぬぐう。
「流石に…泣いている貴方は抱けませんからね。…貴方の涙が止まってからにしましょう…、……」
俺はおもむろにユンファさんの傍らに体を横たえ、ふたたび肘枕をして彼を見下ろす。彼は「え…?」と予想外の俺の返答にしかと目を開け、隣の俺のほうへ顔を向けると、無垢な澄んだ紫の瞳で俺を見上げる。
「……あの…大丈夫です、僕…、ただ涙が止まらないだけで……」
「…はは…、ですから…それは異常なのですよ」
俺はユンファさんの耳たぶ下まである黒い横髪を、片方の手のひらで包み込むように撫でながら、その人の鋭利なまなじりにたまった涙を親指の腹でぬぐう。
「…異常…? でも……」
と切ない表情で言いつのる彼は、まだこの止まらない自分の涙をさほどの問題とも捉えていない。
「…あの、それに……大丈夫です、僕…、泣いていても出来ます……」
「…いいえ、それは俺が嫌なのです。……」
泣いていてもできる。
――それはユンファさんの経験則による発言だった。…彼は呼吸もままならないほど泣いていようが何だろうが、これまで男らに好き勝手犯されてきた。
かえってケグリをはじめとした男らは、その人の泣き顔や涙や泣いている声に怯 むどころか、それに嗜虐心を満たされてもなお更なるその方面の報酬をもとめ、泣いている彼により陰惨な暴力を加えることさえある。
……いくらサディストの俺とはいえ、あきらかにマゾヒスティックな歓びの涙ではない彼のその涙、ただの苦痛と屈辱と絶望の涙、それであってもなおその人を暴行する男らには、さすがに憤りを感じたものである。――双方の悦びのないSMプレイなど単なる強姦である。
「…気持ち良くて涙が溢れてしまうのならばまだしも…泣いている貴方を抱いてしまっては、例え俺がどれほど貴方を優しく抱いたところで…まるで俺が無理矢理、貴方を強姦しているようではないですか…」
「……、いえ、ぁ、あの…それ、でも…僕……」
とユンファさんは俺の目をやけに屈託のない紫の瞳で見上げながら、それでも構わないという。
――構わないどころか、むしろそのような暴行的な行為こそが自分にとっては平常、自分なんかにはそのほうがよっぽど相応しい、と――何ら疑問も抱かず、彼はそのような淫虐 な行為をまるでちょっとしたことのように普通に受け入れようとしている。
……俺はユンファさんの頭をなで…なでと撫でながら微笑み、あえてユンファさんを包み込むような、甘い低い吐息をたっぷりと含ませた声でこう言った。
「それで構わないはずがないでしょう…? 貴方に最も相応しいセックスとは、まさか強姦だとかSMプレイだとか、そんなものではありません…――貴方の心地良さ、安心感、そして快感…それらを際限無く追求する優しい愛撫……要するに、ユンファさんに最も相応しいのは、愛情をたっぷりと込めた甘く優しいセックスですよ」
「……、…、…」
するとにわかに不安そうな顔をしたユンファさんは、ふと目を伏せ――自分の頭を撫でている俺の手を震えている手で取ると、
「……ぁ、あの、僕のいやらしい乳首…つ、抓 ってください…。思いっ切り、ち、千切れる、くらい…抓って、ください…。ぼ、僕は…変態、マゾなので…ぃ、痛い方が…気持ち、いいんです……」
と言いながら、その開かれた立て襟のさらに奥へ、俺の片手を差し入れてくる。――俺の指に触れた彼の乳首はまだやわらかく平たい。その乳頭に貫通した生あたたかいリングピアスの硬質さが際だって感じられるほどだ。…しかし彼の乳首に触れた俺は、つい骨盤の底からこみ上げる、熱い蒸気のようにもくもくと立ちのぼるじっとりと熱い情欲を感じた。
「…それは本当…?」
という俺の声は男の欲深な低さを帯びている。
ユンファさんは怯えた顔をコクコクと縦に揺らし、目を伏せたままたどたどしくこう言う。
「……ほ、本当です、本当に……や、優しくされると僕、むしろ、か、感じなくて……物足りない、し…変態だから…、ふ、普通じゃないから…、ま、全く気持ちよくないんです、やさ、優しく…されると、…レイプ、されたいんです…、ま、マゾだから、変態だから…で、ですから、つ、抓ってください…。思いっ切り、抓ってください……」
とユンファさんは怯えながら言うが、
「……っ♡」
彼はきゅっと快感にまぶたを閉ざした。はら、とそのまなじりからはまた涙の粒がこぼれ落ちる。俺のほうへ顔を倒している彼のその涙は、彼の頭の下にあるふっくらとした白いまくらに落ちた。それはじわ…とゆっくりと薄灰色の丸いシミになってゆく。
「…ふふ…本当に…?」
俺は今もそうだが、先ほども人差し指の先で、まだ弾力のない浅い乳頭や乳輪を円 くなぞっていただけである。多少ニップルピアスは邪魔だが、それを避けたり下に指先をもぐり込ませたりして円くなぞり、それもその力加減とは指紋の表面を掠 めるだけというような極めて優しい具合である。
……俺の指先にみるみると粒だってゆく彼の乳頭がひっかかりはじめる。その小さなしっとりとした乳輪もまた乳頭へ向けて集結し、より小さく凝縮されて、ややざらざらとしはじめている。
俺は指先の腹でやさしくユンファさんの乳頭の先、その表面をこすこすと優しくこする。
「……は…っ、……っ♡」
するとひくん、とわずかに胸を跳ねさせた彼の、その端整な黒い眉が色っぽくひそめられる。
「…感じられているお顔もとても綺麗ですね…。気持ちいいですか…?」
「……は…はい…、乳首…気持ち、いいです…」
ユンファさんのそれはなかば性奴隷的な習慣による返答だったが、事実彼は優しい俺のこの愛撫に感じている。…痛みにも快感を得られる、というのの真偽はどうであれ――ユンファさんの体は、ともすれば苦境に耐えるべく「痛み」というのにも快感を得られるよう順応している可能性はあるが――、少なくとも優しく愛撫には物足りなさを覚えるだとか、まったく快感を得られないだとかというのは彼の嘘である。
いや…ユンファさんはあえてそのような自己認識をしておくことによって、「優しい愛撫」などとてもじゃないが受けられない性奴隷の自分の惨 めさを、少しでも和 らげようとしている。
ましてや彼は今、俺に「優しく」されてしまうことが恐ろしかった。普段通りではないことをしなければならない、されなければならない、という変化は、それがたとえ良いものであれ、マインド・コントロールをされている者にとっては「恐怖」なのだ。
今の彼はケグリの「命令」というものに依存している。日常生活における全ての判断をケグリに委 ねざるを得ない今の彼は、もはや生殺与奪権をさえケグリに委ねて生きているとさえいっても過言ではない。――すると、ケグリという絶対的権威者が「お前は強姦されるのが一番相応しい」と言っているのに、俺が優しく彼を抱けば、ケグリのその言葉とは真逆の展開となる。
普段通りではない。絶対権威者であるケグリの言う通りではない。だからユンファさんは怖くなり、不安になってしまった。
つまり彼の自己防衛本能がそれを真実として彼に言わせたことなので、嘘というと少し違うのである。
「…怖がらなくてもよいのです…、大丈夫…」
しかし俺はあえてユンファさんの乳頭をやさしく、ぷにと人差し指と親指の腹でつまむ。
「……ッ♡」
すると、唇に手の甲をあてがって声を殺しているユンファさんが、ビク、と少し腰の裏を浮かせてゆるく背を反らせる。
「…声、殺さないで……出してみて…。ユンファさんの色っぽい声、聞きたいのです……」
「……、…、…」
閉ざされていたユンファさんのまぶたが薄く開き、彼の潤沢な黒紫の瞳が、まるで何かしらのよすがを求めるように俺の目を見てくる。
「でも…へ、変な、…声、なんです…。ぁ…貴方を、その…萎えさせて、しまうから……」
「そんな…はは、むしろ俺は興奮してしまうよ…。現に何度か聞かせてくださいましたけれど、俺はその度に貴方を愛おしく思っていましたし…凄く可愛くて綺麗で、色っぽくて…とても興奮する声だなと、そう思っていましたよ」
俺がそう微笑みかけると、俺の目を小刻みに揺れる紫の瞳で見つめてくるユンファさんの、その胸のときめきがドキドキと活発になる。
「…ほ……、………」
ユンファさんは恐ろしさや自信のなさから喉が詰まり、全く声が出なかったが――その肉厚な桃色の唇は「ほ、本当ですか…?」とわずかに動いていた。
「勿論。本当だよ」
「……、…ほ……、……」
俺の目を見上げている彼の紫の瞳がまとう涙の膜がじわりと厚くなり、彼の唇は声もなく、何度も小さく「本当ですか、本当ですか」と動いている。
「うん、本当だよ。ユンファさんの声…凄く色っぽくて…綺麗で、とても可愛いよ…――だから、聞かせて…?」
「……、…、…」
俺を見上げているユンファさんの紫の瞳から、ぽろ、とまた涙が溢れて彼のまなじりから落ち、その人の頭の下にある白いまくらを濡らす。――俺はカリカリと彼の乳頭の先を優しく爪先でひっかく。
……するときゅっと切なく目を細めたユンファさんが、
「……ッぁ…♡」
と腰をビクッと跳ねさせながら、蚊の鳴くような本当に小さな艶めかしい声をあげてくれた。しかし今の声は、俺がああいったからと言って彼が意識的に出してくれたものではない。それは俺の目に気を取られていた彼の気の緩みによるものだった。
現にユンファさんはバッと口を片手のひらで覆い、申し訳なさそうに目を伏せる。
「…っあ、ご、ごめんなさい、…」
「いいえ。やっぱり…凄く可愛い…。はは、凄く綺麗で、可愛らしくて…とても色っぽい…俺は好きです。貴方の声も…大好きです。」
俺は微笑みながらも強くそう言い切る。
……するとハッと俺の目を見上げたユンファさんの眉頭が寄り、その人の黒い秀眉が八の字に力む。彼の切れ長のまぶたもまた力んで細まり、やがて切ない泣き顔となったユンファさんは、
「……は、…――っ」
ぎゅっと目をつむると、声を忍ばせ、嗚咽する。
ぽろ、ぽろといくつもその黒い長いまつ毛の下から涙がこぼれ落ち、まくらやその人の目の下を濡らす。
「…ごめ、なさ、……っ」
……もう少し早いタイミングでそうすべきだったが、俺は彼の胸もとからそっと手を引き抜き、俺から見て奥にある彼の肩を優しくつかむと、その人の体を俺のほうへ向けさせる。
「……さ…ここへどうぞ、俺の王子様…?」
と俺は自分の胸板に、彼の頭を優しく抱きよせる。
もともと俺はこうするつもりだった。――俺がユンファさんを押し倒したその訳は、つまり彼の体をもう一度寝かせるため、…もっといえば、もう少しユンファさんに休んでもらい、彼のその涙を俺の胸で受け容れることであったのだ。
「ユンファさんの涙が止まるまで、こ こ にいてくださいませんか」
貴方の涙が止まるまで、俺の胸にいてほしい――。
「……っ、…っひ、…〜〜〜っ」
しゃくりあげているユンファさんの額が、ずり、と俺の胸板にこすりつけられる。
俺はユンファさんの後ろ髪を指でゆっくりと梳く。
「…貴方はもう限界だ…。今、此処でだけでも結構ですから、貴方にはきちんと自覚をしてほしいのです…。どうか、どうかわかってください…――ユンファさんは……、……」
俺の唇がその先を紡げない。
いや、俺の喉が詰まってその先を紡げないのだ。
ともすればユンファさん自身より――よっぽど俺のほうが、そ れ を認めることに、勇気が要るのかもしれない。
「ユンファさんは……もう、…もう、壊 れ て い る んだよ……」
俺のこの声は絶望したように力なかった。
壊 れ か け て い る ――俺は逃げていた。
俺が認めたくなかったのだ。…俺の初恋の人であるユンファさんが、あの日には目映 いほど健全で明朗 で、太陽の下でも恥じらうところのないほどに純潔であったユンファさんが、俺が誰よりも愛するユンファさんが、誰よりも幸せでいてほしい、誰よりも幸せになるべきユンファさんが、いまや薄汚い男の暴虐的な手によって手折 られ、壊されてしまった――俺はこうなる前に、何かできたはずだった――彼のある部分は、きっともう完全に壊れてしまっている。
……俺は、自分の後悔や悲しみや怒り、欠乏感、俺は彼のそれを認めることによって、見たくない自分の中のその辛いそれらを直視しなければならない。
「…貴方は……ユンファさんは、認めなければなりません、…」
俺も、認めなければならない――。
俺はユンファさんの頭を抱きかかえ、目を伏せた。俺の目からほろ、とひと粒の涙がこぼれ落ちた。
「…貴方はもう壊れてしまっているのです、…全てではない…、貴方の全てが壊れてしまっている訳ではない…――だとしても、貴方のどこか…貴方の大切な心の一部は、もう…きっと壊れてしまっているのです、…」
俺は認めたくなかった。
認めたくはなかったが、認めなければならない。
――ユンファさんの心は壊れてしまっている。そして心と体は密接に繋がっている。だから彼の体もその壊れた心にともない、異常な反応を見せるようになってしまっている。…たとえば凍り付いた微笑、止まらない涙、土下座などの被虐的な習慣的な挙動、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返しゆるしを乞う喉と唇、フラッシュバック、パニック、……
あれで「壊れかけている」とは言えない。
――ユンファさんは壊されてしまった。わかってはいた。「壊れてしまった」というべきだと、俺も本当はわかっていた。
ユンファさんは壊れてしまった。
まずは俺がそのことを認め、受け容れなければならない。
……そうでなければ、その壊れてしまった心を修復することも難しいからだ。傷に絆創膏を貼るためにはまずその傷口を洗い清め、とても可哀想だが、痛かろうが消毒をし――そして痛々しいその血を、グロテスクな肉の裂傷 を直視しなければ、ちょうどよいサイズの、かつ傷の種類にあった絆創膏を貼ることはできない。
愛する人の精神の怪我を認めるというのは、こんなにも辛いものだったのか――こんなにも認めたくない、彼はまだきっとまともだ、きっと健康だ、きっと一時的なものだ、きっと放っておいたら自然治癒するさと、こんなにも馬鹿げた真実ではないおためごかしの気休めを言いたくなるものか、――認めたなら何もかもを失いそうな、過ぎし日のあの日のユンファさんとはもう二度と会えないような、俺の愛した初恋の人とはもう二度と会えないようなこの不安、恐れ、……俺は彼への自分の愛を疑う。
俺は酷い。
――俺は酷い男だ、どこまでも自分勝手な男だ、誰よりも何よりも大切な、愛するユンファさんの幸せや治療よりもまず先に、俺が愛した彼との別れを恐れて、残酷なエゴイスティックな愛の背信を思考にチラつかせている。
わかっている――そんなのは間違っている。
俺は受け容れる。…たとえ俺の何をユンファさんに捧げ、献身的な看護、奉仕の愛をその人に、どれほど長い期間費やすことになろうとも――愛するユンファさんのためならば、彼がいつかは健康になって心から笑ってくれるのならば、俺はそれさえも嬉しい。幸せだ。何てことない。何てことないさ、愛する彼のためだから。
きちんと治療をしようね、ユンファさん、
……俺はもっとも信用に足る病院や医師を、俺たちのこれからのために探しておかなければならない。それもそれらは早いところ見つけておかなければならない。――俺はユンファさんと結婚をするのだから、夫としての当然の務めを果たす心づもりはもうできている。
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