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131 ※微
「……はは…またフられてしまいました…、……」
俺は薄目を開け、またユンファさんにフられてしまった、とさしたる落胆もなく笑った。――俺は何度ユンファさんに自分の愛を拒絶されたところで構わない。
それは前にも思うように単なるプロセス である。彼と交際ができるという結果に至る前のプロセス である。それにおける拒絶には落胆するまでの理由がない。それは結果ではないからだ。
しかし俺の「またフられてしまった」、すなわち「またか、でもしょうがないね」という、軽い諦めの可笑 しみのある笑いに胸を痛めたらしいユンファさんが、ふと俺のことを弱々しい涙目で見上げる。
「……、…」
そして彼はその頭を俺の胸もとから上のまくらまでもってきて、そのまくらに片耳をあずけると、俺とまっすぐに目線を合わせた。――しかしこの暗がりのなかの彼の目は今ほとんど、発光している俺のこの青白い瞳ばかりしか見えていない。そのため彼は、横向きで寝そべる俺の上になった片頬を、まずは手さぐりにその四本の指先でちょん…ちょんと触れて、確かめてくる。
「……違うんです…、……」
と彼はそう切ない震えた声で言いながら、やがてカタカタと震える手のひらで俺の片頬を包みこむ。すると俺の頬がじんわりと弱いぬくもりにくすぐられる。
そしてユンファさんは俺の目を、そのガラスのようなやや厚い涙の膜 が張った澄明 な紫の瞳で見つめながら、またほろ、と上になった目の切れた目頭から涙をこぼした。その涙の粒は彼の高い鼻骨 にとどまる。
「…貴方が、……」
とユンファさんはその先を言うのをためらった。ややあって彼は少し逃げ腰にこうたどたどしく言う。
「…人 と し て …貴方が、好きだからこそ……貴方、には、…誰よりも…幸せになってほしい、…だから……」
「しかし…ユンファさんが俺の側にいてくださらないと、俺は何を得てもさして幸福ではありません。…」
俺はユンファさんの潤んだ紫の瞳を見据えながら大真面目にそう言ったが、するとどうも俺のその想いは彼の黒い長いまつ毛の先にぶら下がってしまい、やがてその切れ長のまぶたは重たそうに伏せられた。
引き下がることを知らない俺のまっすぐな熱意、どうしても貴方だけと自分を求めてくる俺から、彼は目を外 らしたのである。…彼との幸福な未来だけをまっすぐに見据えている俺の両目、この発光している青白い目が、今の彼にとっては恐ろしいほど、怯 んでしまうほどに眩しかったのである。
……しかし俺はなおも決して引き下がらない。
「例えどれほどの名声や富を得たところで…それを俺の傍らで共に喜び、俺と共にそれらを享受してくださるユンファさんが居なければ、俺は決して幸福ではない。…貴方が側にいない内に得たそんなものには何の価値も無いのです。心からの喜びがないからです」
「……、…」
ぽろりとまた彼の目頭から涙があふれ、するとその人の高い鼻骨に留まっていた先ほどの雫の水かさが増しては、ぽと、とその雫が彼が側頭部をあずけている枕へ落ちる。
「そして…例えどれほど美しく聡明で、また、どれほど身分が高く教養のある…いわばどれほど完璧な人と結婚をしたとしても…俺の夫がユンファさんではない限り、俺は決して幸福ではありません。俺は貴方…ユンファさんだけを、俺の唯一無二の人として愛しているからです。…俺にとっての“完璧な人”というのは、貴方だけなのです。…」
俺のこの真実の愛は、およそ今のユンファさんにとっては到底受け入れられるようなものではない。
――わかってはいるが、俺は彼に嘘はつけない。
他の嘘ならば「嘘も方便」と役立つことはままあるが、しかし彼への愛についての嘘に至っては、俺にとっては何の役にも立たない。
……俺のこの純然たる真実の愛には恥ずべき点など何一つとしてない。俺のこの両目には一点の曇りもない。
たとえばユンファさんが俺と同じ「神の目」、俺の感情や思考をその美しい“タンザナイトの瞳”で見透かすことができたとしても、俺には何も後ろめたいことがない。――むしろそうであったならどれほどよかったか。俺のこの愛が気休めの脆弱な嘘ではなく全く堅固な真実なのだと、そうありのままユンファさんがその目で見留められたならどれほどよかったか、俺はそう悔しく思うくらいだ。
それだから俺は、ユンファさんのその伏せられた沈鬱 な艶のある長いまつ毛が上がること、その人の瞳が俺の目を見てくれることを期待しながら、その黒いまつ毛の下に隠れている黒紫の瞳を見つめる。
「だから俺は、何度ユンファさんにフられたところで、貴方とお付き合い出来るまでは決して貴方を諦めません。…諦められません。俺が到底貴方を諦められるわけがないのです。――俺は…」
俺はユンファさんの伏し目を眺めたまま、さらに強い調子でこう言った。
「俺は貴方への愛に命を懸けているのです。…ですから…もしユンファさんと交際することは元より、貴方と結婚が出来なかった場合は…――俺、潔く死ぬつもりです。」
「……、…え……?」
するとふと不安げな目を上げて俺の目を見たユンファさんが、そっと物憂げに眉間を翳らせる。
「……そんな……で、です、が…、僕…貴方の、お気持ちに、応えられる、だけの、…その……」
彼はひどく困惑し、動揺している。
思えば当然である。それは俺が「死ぬ」などと強い言葉を、それもとてもじゃないが冗談とは聞こえない意志の固い声で言ったせいだった。
「申し訳ありません、ともすれば脅しと聞こえたでしょうか。…しかし、俺は本当にユンファさんに人生を懸けているのです。――とはいえ…俺だって貴方に、“今すぐ俺と付き合ってくれないのならば死んでやる”…などと言いたかったわけではない。…ひとまずはこの件、今は一旦脇に置いておきましょう。…」
俺はふと目を伏せる。
俺の固い決意、俺の固い真実の信念――わかってはいたのだが、俺のその真実とはやはり、ユンファさんを脅迫するような大きく凄まじい威力のあるものだった。…とはいえ今度ばかりは、俺は彼を脅すことによって自分の望む結果を得ようというつもりではなかった。俺は彼を脅迫したのではない。
……あれはなかば会話の流れで言ったことだったが、それのもうなかば、俺が本当にユンファさんに伝えたかったこと、それは…――。
「俺はこう言いたかっただけなのですよ――貴方は何度でも俺をフってくださって構いません。」
そして俺はつと強い意志を宿した青白い光線、この発光している水色の瞳を上げて、ユンファさんの脆弱な光を灯した紫の瞳をこの瞳の青白い光で照らす。
「…しかし…最終的には絶対に、俺はユンファさんを俺の夫としてみせますよ。――ですから俺は…貴方の覚悟が決まるまで、幾らでも待ち続けます。…何ヶ月でも…何年でもね。――この命有る限り…貴方の愛の瞳が、俺の目をまっすぐに見つめ返してくださることを、俺は何十年でも待ち続けます。」
「……、……」
もちろん今はまだ無理だ。ユンファさんはまたふと目を伏せた。そうして目を伏せた拍子に、彼の下になった目の鋭利なまなじりから、ぽろ、と涙がこぼれ落ちてまくらを濡らす。――到底まだ無理だとわかっているからこそ、俺はああ言ったのである。
「…はは…、とはいえ…今はこの件も、忘れていてくださって俺は一向構いません。…ましてや今は貴方に決断を迫ったわけでも、貴方を急かしたわけでもない…――ただ、俺はだからといって引き下がるつもりは毛頭ないと…貴方を諦めることは絶対に出来ない、絶対に貴方を諦めないと、俺はそうユンファさんに伝えたかっただけなのです。…」
と俺が目を伏せているユンファさんに微笑みかけると、――
「……っ!」
「――……ん…っ!」
俺はうめきながらにわかに目を瞠 った。
ぎゅっと目をつむったユンファさんが、素早い動きで俺に口付けてきたのである。――ふにっと、その人のやわらかい生あたたかい唇が俺の唇に強く押しつけられている。俺は驚きのあまり息を止めている。
……ふるふると彼の唇が震えている。
「……、…、…」
「……、…、…」
俺の胸はドクドクと思いがけないユンファさんからのキスに情熱的に驚喜 している。
……ややあって恐る恐る顎を引き、唇を離してゆくユンファさんだが――俺はたまらず彼のうなじを掴んでぐっと寄せながら顔を傾け、今度は俺のほうからはむ…とその人の唇を食んだ。
俺がはむ…あむ、とユンファさんのやわらかい唇をやさしく何度も食むと、
「……ん…、……」
彼は弱った獣のような上ずった声を鼻からもらす。…カタカタと震えている彼の片手が、俺の胸もとの布をきゅぅ…と弱々しく掴む。
……しばらく俺の唇にされるがままだったユンファさんの唇が、遠慮がちにはむ…と小さい動きで俺の唇をはみ返した。
ふるふると震えている肉厚な唇で、彼は何度も恐る恐るはむ…はむ、と俺の唇を食み、…俺の胸もとの布を握っていた彼の手が、するり…――俺の胸を撫でさげ、俺の腹を撫でさげ――俺の下腹部を、
「……、…はは、すみません、俺はそんなつもりでは……」
としかし俺はユンファさんのその手、手首を優しくつかんで止めながら、ちゅ…と彼の熱い頬に口付けた。そして彼にこう微笑みかける。
「…今はまだユンファさん、涙が……間違っても、そんなつもりではなかったのです…。……」
「……、…」
ユンファさんはふと愛らしい潤んだ嬌羞 の紫の瞳で俺の目を一瞥 し、それからふっと目を伏せる。
彼の両頬はじゅわりと滲出 したような濃い桃色に紅潮し、またその人の胸の鼓動は、ドキドキと緊張と恐れとときめきから動悸というほど荒立たしい。
「…違うんです…、僕……」
とユンファさんが今にも泣きそうな顔でか細く言う。
「…ぁ、貴方が…その…、で、出来る…なら、…あの…――声、絶対に、出しませんから…、僕…ちゃんと、顔、隠します、…あの、だから……だから……」
「…いえユンファさん、俺…」
ユンファさんが言わんとしていることがわかっている俺は、すぐさまそうじゃない、と否定したかった。が、…彼はふるふると眉をひそめながら顔を横に振った。わかっている、俺の「優しい嘘」は自分もわかっている、というのである。――彼はケグリが作り出した虚構 の真実、今の彼を取り巻くその現実を、その伏せられた泣き出しそうな目で見据えている。
「あの…僕のこと、最中は、…誰か…貴方の、お好みの方、だと…思って……その……、む、無理、かも…しれませんが、…さ、最後まで…して、いただけるなら、…あの…僕、布団、頭にかぶって、…ただの穴とか…オナホ、とかで、いいです、…だから……」
「そんな…俺はそんなことしたくない、違う、俺はユンファさんを抱きた…」
という俺の言葉を遮るように重ねて、
「っお願いします、抱いてください、……僕の、こと……どんな形でも、…構いません、から……」
とユンファさんは静かに泣きながら、目を伏せたまま語調を強めて言った。
いよいよ切なく眉をひそめた彼のその切ない伏し目から、ぽろ、ぽろと次々涙がこぼれ落ちてゆく。
「触れてほしいんです、貴方に…っ、僕…――汚い体ですが、不細工だし、声も酷い、…でも、……」
「…ユンファさん、貴方は綺麗だよ…」
貴方は本当に綺麗だ。
その涙も、泣いている顔も、ましてや――ユンファさんは過ぎるほど健気 だった。
強いられて染みついてしまった無価値感、それでも俺の指が自分の肌に触れてくれたなら――俺だって貴方の肌に触れられたなら、どれほど幸せかわからない。
……ユンファさんは眉尻の下がったその秀眉をひそめたまま、また涙をぽろ、と目尻からこぼしながら、ぎゅっと悲しげに目をつむると、涙に詰まり詰まりこう言う。
「…貴方に…触れて、いただけたら、って、…思ってしまって、…誰だと思われていても、…別にいいんです、僕、――僕にとっては、…っ貴方に、…触れていただけている、ことに、…変わりないから、……」
「……、…」
泣きながら俺に抱いてほしいと哀願する初恋の人、その見誤った自己価値の低さがあまりにも悲しいと俺の眉が強ばる。――むしろ俺のほうが貴方を抱かせてくれ、と頼み込むほうが、よっぽどユンファさんの価値には相応しい格好だ。
俺のなかにはある迷いが生まれている。
「…そりゃあ、…抱きたいですよ、貴方を…、お、俺だって……」
何年このときを待ちわびたことか、俺だってユンファさんのことは抱きたい。
当然だ。この十一年間、あの日から夢見てきた――俺の初恋の美男子、月下 ・夜伽 ・曇華 を抱くということは、いわば俺の宿願 であった。
……何度夢見たことかわからない。何度その白い麗しい裸体を空想したかわからない。
俺だって今にもユンファさんのことを抱きたい。
その色っぽい唇にキスをして、彼の美しい体に触れて、その細身にまとわれた服を丁寧に脱がせて……俺の頭の中には官能的な喜ばしい情景が過 ぎって俺の体を沸き立たせるが、…しかし――これで俺が彼を抱いてしまったら、まるで俺が彼に哀願されたので仕方がなく、いわば「お情け」で彼を抱いたなどと彼に思われかねないのではないか。
ましてやユンファさんの涙はいまだ止まっていない。――それも今彼は平静なのに涙が止まらない、というのと、切なかったり悲しかったりで涙が出てしまう、というのとを繰り返している。
するととてもではないが、今のユンファさんはセックスに耐えうる精神状態とはいえないことだろう。
いや、彼本人はそれでもできると思っているし、また実際にやればできなくはないことだろうが――かえってきっと俺のほうが可哀想で、今の彼を抱くことはできない。
かといって……――俺の脳内にある空想が漂う。
……この暗がりのなかのベッドの上、浮かぶようなユンファさんの白い裸体、彼は仰向けで俺にその腰をかるく持ち上げられながらゆさぶられている。
ゆさゆさと縦に揺らされているユンファさんは枕の端と端を両手できゅっと掴み、艶やかな苦悶の表情をこてんと横に倒しながら、
『…あ…♡ …あ、あ…♡ あ…♡ あ…♡ あ…♡』
しとやかな甘い声をあげるその人の細腰がなまめかしくくねる。
『…っ気持ちいい…、ぅ、あ…♡ あ…あ、♡ は…ぁあ、気持ちいい…♡ セックスが、こんなに気持ちいいだなんて……あ…♡ っうぅ、イッちゃう……』
よりその黒い端整な眉が悩ましくひそめられる。
しかし美しいその人は、こみ上げてくるその絶頂の波を健気にも押さえつけ、下にいる俺のことを切ない紅潮した濡れた目もとで見下ろしてくる。
『…は…っ♡ っす…好き、…好きです、好き…好き、ソンジュ、…ソンジュ、…ソンジュ…――僕、…あ、貴方が…好きです…、……』
そして彼は、つーと涙をこめかみへ伝わせながら、
『…僕、本当に幸せです…大好き、ソンジュ……』
と美しく俺に微笑みかけてくれる…――。
「――……、…、…」
いけない……今は駄目なことくらいわかっている。
……かといって、と俺は思考に戻る。かといってここで拒んでしまえば、ユンファさんを傷つけてしまうかもしれない。仮にこれで抱くにしても「(ユンファさんを)愛しているから」、「俺が(ユンファさん)を抱きたいから」ということを強調するべきだ、…そう…――そうだ。
抱くにしても――。
「……、…お…俺は、ユ ン フ ァ さ ん を 抱きたいのです。…俺が貴方に触れている最中に声を出してくださらないだとか、その綺麗なお顔を隠されるだとか…そんなのは嫌だ。…俺は貴方の色っぽい声が聞きたいし、貴方の色っぽい顔が見たい。…ましてや、他の人だと思ってだなんてとんでもない…――俺はユンファさんを抱きたいのです。…ですから…、貴方を抱くにしても俺は、…“貴方”という人を……」
「ごめんなさい、また困らせてしまって…、……」
と俺に謝ってきたユンファさんをふと見れば、彼の眉は険しい自責にひそめられていた。
……俺のしばしの沈黙を彼はこう勘違いして捉えている。俺を困らせてしまった、俺の困惑の沈黙の訳は、何ら性的な魅力も価値もない自分なんかが「抱いてください」などと俺にセックスを強いてしまったからだと、興奮するはずも、抱けるはずもない自分に気持ち悪い要求をされてしまった俺が、それでも優しさからはっきりと拒めずに困り沈黙していたのだと、彼はそうした勘違いをしてしまったらしい。
「…ごめんなさい、本当に……」
と詫びながら、しかしまたほろ、とまなじりから涙を落とした彼の伏し目、艶のある長いまつ毛のその翳りの下で、彼の紫の瞳はその下部に赤紫の恋心を燃やしている。
その人の恋心の欠片がチラチラと光りゆらめく瞳が『申し訳ないな、あんな気持ち悪いこと言ってしまって、…それにしても、やっぱり、…やっぱりそうだった…』と絶望している。
――『やっぱり僕、彼とキスしたとき、あんなに、…あんなに嬉しくて、…思わず、おこがましくも、僕、…彼を、求めてしまった、…しかも、あくまでも当然だというのに、……彼を困らせて、拒まれて、僕、…こんなに、胸が痛い、……』
……ユンファさんは先ほどのキスでなかば自分の恋心を確かめたかったのだろう。もうなかばは衝動、確かめるまでもない恋心の焦燥が彼を突き動かしたのだろうが。
その紫の瞳に燃える赤紫の炎はしかし、彼の涙に濡れて鎮火してゆく。
「ごめんなさい、…さっきのは忘れてください、…ごめんなさい、困らせてしまって、……」
切なくしかめられた泣き顔でそう言うユンファさんは、その伏せられた紫の瞳のなかにある甚だしい恐怖を宿している。――『やっぱり僕…彼に、恋を……彼の、こと…おこがましくも、…好きになって、しまったんだ、…』
恋心の確信――しかし、その失恋の確信、
……俺は慌ててあの沈黙が拒絶などではなかったとユンファさんに弁明したい。
「違う、…今、俺…っも、……」
俺も同じだった。嬉しかった。抱きたかった。
ましてや愛する美男子のほうからキスをしてもらえた、のみならず「抱いてください」と誘ってもらえただなんて、俺にとってこれ以上の喜びなどない。――それでつい気持ちが抑えきれず、今泣いているユンファさんを抱くべきではないと考えていながら、彼の唇を食んでしまったのである。
それでつい気持ちが抑えきれず、俺は――。
「もっ妄想、してしまったのです、…その…あ゛、あの…――」
言って、しまった、――言うべきではなかった。
言うべきではなかったはずだが、…もう言ってしまったからにはどうしても続けるしかない。
「先ほどの沈黙は、正直に言うとその、…ゅ、ユンファさんとの、…その……ですから貴方のエロいすg…いえ、あ、艶姿 を妄s、いえ空想、…というか想像、してしまいまして……」
「……、…え…?」
とユンファさんが目を上げ、無垢な驚いた涙目で俺の目を見る。
「で…すから、…俺だって男なのです、お許しください…その…ちょっとえっエロ…というか、…好きな人との官能的な想像くらいするのです、俺も……」
「……、いいえ…」
しかしユンファさんはまたふと目を伏せた。
彼の曇った表情が晴れることはなかった。
……ふとまたユンファさんのあの満面の笑みが俺の脳裏をかすめる。
「……、…」
俺は胸が締め付けられた。…きっと先ほどまでの彼だったなら、これでまた笑ってくれたのだろうに。
……そして、俺にこのように重ねて詫びるユンファさんのその顔には、また例の薄氷の微笑が張りついてしまっている。
「…そんなことより…ごめんなさい、勝手にキスなんかして……それに、あの…忘れてください…、抱いてくれ、だなんて……」
――彼は「(俺を)好きになってしまった」と確信した途端、戦慄するほどの凄まじい恐怖を感じたのである。…しかし怖がるような未来など訪れない。俺は絶対にユンファさんを幸せにしてみせる。
「いえ申し訳無いが忘れられません。…それに謝ることなんか何もないじゃないですか。…俺、今も物凄く嬉しいですよ、キスは勿論…その…はは…――それにしても、まさかユンファさんの方からキスをしてくださるなんて、…はは、俺嬉しいな、本当に……」
「喜んでくださったならよかったです」
そう無表情の微笑で言うユンファさんはその冷えきった伏し目で、彼の虚構の現実を見据えている。――『有り得ない…有り得ない…有り得ない…、全部演出…全部嘘…これは全部“恋人プレイ”……そう…、そうだ、僕は…今夜はお客様である彼の前で、僕はただのキャストでいればいいんだ……』
「……俺…、喜んで……、……」
ユンファさんはもうユンファさんではない。
今の彼は風俗店『DONKEY』のキャスト月 である。――ユンファさんはまた心の壁を閉ざし、月 の仮面を被り直してしまった。
いや、実際はどちらかといえば「性奴隷のユンファ」のほうかもしれないが――俺の喜びはむしろ彼の警戒を強めてしまった。
「俺…はは、すみません、一人ではしゃいでしまって……その、嬉しかったものですから…本当に……」
「…いえ…、そうじゃないんです……」
ユンファさんは物憂げな虚ろな微笑を浮かべたまま、ほろ、ほろほろとその伏し目からいくつも涙をこぼして、どんどんと片耳をあずける白いまくらを濡らしてゆく。
「…ごめんなさい…本当にごめんなさい…、もう決して勝手にキスはしませんので…、抱いてほしいとももう言いませんし、今はもうそんな烏滸 がましいことは少しも思っておりません…。…だから、どうかお許しください……」
「嫌だ。俺にもっとキスをしてください。…」
と俺が駄々をこねる子どものようにムッとして言うと、彼は「え…?」と弱々しい顔で俺を見る。
「…あの、ですが……」
俺はユンファさんにその続きの「ご迷惑をおかけして」とは言わせない。
「キスは勿論、“抱いて”というのもとても嬉しかったですよ。あはは、正直妄想までするくらい揺らぎました…、ただ…まだ貴方の涙も止まっていないことですし、あれで貴方を抱いてしまってはその…ユンファさんは勘違いをなさりそうだったものですから。――例えば、俺がお情けで貴方を抱いている、だとかね……俺は愛する貴方に、自分の愛を疑われるのは嫌だったのです。…」
俺はここで目を伏せる。
「…しかし今のことで、ユンファさんがどうしようもなくご自分を責められてしまうというのなら…――そうだな……そう…、……」
と俺はあえて話題を反らすため、そういえば…と真横に二つの瞳を向ける。
――先ほど卑屈になったそのときに一瞬過ぎった影、あれは「俺の悪夢」だった。
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