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俺が先ほどちょっと卑屈になったあのとき、俺の青白い光に満ち満ちたこの両目に一瞬よぎった影――あれは「俺の悪夢」であった。
なお俺のその悪夢というのは比喩であり、しかし厳密にいうと比喩ではない。
その悪夢とは俺が幼少期から今にいたるまで、眠っている最中にほとんど毎晩見ている夢、その悪夢であり――その悪夢の場面、記憶、…それこそは俺が親元を離れるまでに実際に経験してきた現実の記憶、でもある。
……もちろん夢に見るときはその記憶も夢らしく改変されてはいるのだが、あの悪夢とは俺が実際に経験をしてきた現実であり――現実であるのならば悪夢とは比喩であり――、そして俺の夢でもある――夢でもあるのならば悪夢とは比喩ではない――。
また俺がちょっと卑屈になったときにその悪夢の影が俺の目によぎったその理由、それはきっと十一年前、この初恋の美男子月下 ・夜伽 ・曇華 と出逢ったころの俺、すなわち十三歳ごろの俺というのは、今の俺と比較してかなり卑屈な性格をした少年であった。
しかしそれは当然かもしれなかった。
その頃の俺はまだ実家にいた。つまりあの頃の俺はまだ、毎日のように周囲の大人からの虐待を受けていたのである。
あの頃の俺に何一つとして価値はなかった。
俺には生きていて許されるだけの価値がなかった。
……と、あの頃の俺は本気でそう思っていた。
今の俺は自信家であろうと努めているのだった。
たとえば世の中、ことこの「謙遜は美徳」という文化のあるヤマトという国では、自信家を傲慢だとして忌み嫌いがちな風潮がある。
たしかに行きすぎた自信というのは考えものである。自信というものはありすぎれば周りが見えなくなり、無知になり、そして自己研鑽、すなわち努力を怠るようになってしまう。――裸の王様、ある意味では無敵だが、ある意味では誰よりも幸福だが、ある意味ではそう……誰よりも頑固な愚か者となり下がる。
自信というものが健全な範囲を越えてしまえば、それは「くだらないプライド」や「はた迷惑な我儘」になり下がる、ということである。
しかし自信を持つということ自体は悪ではない。むしろメリットとなることも多い。
俺は過去両親をふくめた周囲の大人からの虐待――何をしてもどれほどの努力をしても否定されるなど、毎日のようにされてきた人格否定――のせいで、以前は自己肯定感が低いどころではなかった。
むしろそんなものは無かったといってよい。
それこそ運もあれど、自分の実力で小説家としての華々しい成功体験を得てもなお、以前の俺はつねに無価値感に苛 まれていた。――俺はそうして自分の努力が結果となって報われていてもなお、血の滲むような努力が報われなかった過去に、我知らず自己価値の基準を置いていたのである。
俺は大学生の頃にやっと親元を離れた。
海外の大学に進学をした俺はそれを機に、海外で十条夫婦(モグスさんとユリメさん)と三人で暮らすようになったのである。
……そしてあるとき俺は、勉学と仕事のオーバーワークのせいで倒れてしまった。慣れない環境での生活、英語での勉強をするかたわらヤマト語での執筆、…しかし俺は自分のその過労がどうしても認められず、今は寝込んでいる場合ではない、課題が、仕事が、と看病をしてくれていたモグスさんとユリメさんを跳ね除けて、それらタスクをこなそうと机に向かった。
……しかしそうした俺を見ていていよいよ耐えかねたモグスさんが、椅子にすわった俺の背中に珍しくこう怒鳴ってきた。
“「おめぇはこれ以上何を望むってんだ!」”
そのあと彼は怒りながら更にこう続けた。
……少なくとも仕事や勉強じゃ努力したらしただけ結果を得られてるだろ、その年齢で仕事であんだけの成功をしている、金だって同年代の何百倍自分で稼いでいる、見た目だってこんなに良い、海外の名門大学に進学して、ちょっとやそっと休んだくらいじゃお前は駄目になったりなんかしない。
お前は自分が努力して築き上げてきた土台をちっとも信じられちゃいねえ、つまりお前は自分を信じられてねえんだ。
お前はなんだって持っている。人が欲しくて欲しくてたまらないもん、努力したって何したって人によっちゃあ絶対に手に入れられないようなもんをたくさん持っているんだ。もう既にお前は完璧だろうが、これ以上何を望むってんだ、望むなら周りの期待に応えるためだなんだじゃなくて、誰かの幸せのためじゃなくて、まずはおめぇ自身の幸せを望め。おめぇの幸せのために努力すんだよ、間違っても自分が不幸になるまで努力なんざする必要はねえんだ。
お前はよっぽど同年代の子らより先に先に行きすぎているくらい、周りよりもうんと成功している。急ぐな、焦るな、せこせこせこせこもっと頑張らなきゃ、もっと結果を出さなきゃと頑張る必要なんざない。
お前はもう十分すぎるくらい結果を得ているだろうが。今よりもうちょっと肩の力を抜いても大丈夫だ。お前くらいのガキが休まない、遊ばないほうがよっぽど不健全なんだよ。
お前なら今から一週間休んだって、その程度の遅れくらい一日で取り戻せる。ベッドに縛りつけられたくなきゃ、今すぐ自分でベッドに戻んな。
お前はジジイの俺でも羨ましいくらい完璧だよ。
お前が唯一持ってないもんは――自信だけだ。
俺はハッとした。
……俺は周りが見えていなかった。
俺は今にしても二十四歳だが、大学生当時は当然もっと若かった。――その年齢にして、俺はたしかにこの世の中が定めた普遍的な幸福、それのほとんどを手に入れていた。俺は世の人が妬み羨むような幸福をありあまるほどにもっていた。
しかし俺の認識上のそれら幸福は形骸 化していた。
俺は自分のその幸福を幸福として認めてはいた。もちろん自分が幸福な男だとわかってもいた。俺はいつしも表面上は幸福な若い男として生きていたが、しかし俺の内面はいつしも不幸な少年のままだった。
……俺は過去に植えつけられた無価値という自己認識から、理由のない欠乏感に苛まれていた。
もっと頑張らなければ――自分にはあれもこれも足りていないのだから。
……完璧を目指さなければ――そのためには、人より何倍も何倍も努力をしなければ。
ぼくは何にもできないだめな子だから――。
もちろんどれほどの天才であっても努力は必要だ。
たとえばもとよりスタイルが良く美しいモデルたちも、何の努力もなしにあの美貌を保っているわけではない。…世の人が美容のためにと費やしているその何倍もの努力を経て、彼ら彼女らはその美貌を磨き、保っているのである。
しかし、その努力とはあくまでも自分をより良くするためのものであって、間違っても自分を責めるためのものではない。
モグスさんのあの言葉を境に、俺は自己嫌悪や自己否定、自己卑下といった類のネガティブな自己評価をやめようと決めた。俺は自己改革に乗り出した。
言葉とは魔法だ。
……自信を持つためにはまず人から褒められる、というのが一番効果的である。
しかし過去の俺の自信のなさの程度であると、実際にそうだったのだが、たとえ誰にどれほど何を褒められても認められても成果を得ていても、決してそれは俺の自信とはなり得なかった。――潜在意識から「それは駄目な俺に対する評価ではない」と決め込み、その評価を自分自身で疑ってしまっていたせいである。
よって俺が自信を持つためには、まず自分自身の意識が変わらなければならない――。
……となったとき、俺はちょうどあるインターネットの記事を目にした。それいわく、鏡に映る自分を見てほほえみながら自分自身を褒めてやることで自己評価が向上するほか、自然とポジティブ思考にも変わってゆくものなのだという。――簡単にいうと自信がつくということだ。
なるほど。…そして俺はそれを参考に、あえてナルキッソスとなること――ナルシスト、まずは鏡の前で「自惚れが過ぎるほどの自信家」を演じることにした。
鏡よ鏡――この世で最も完璧な男は?
俺だ。
俺は完璧な男だ。何もかもをもっている。
人の嫉視さえもが心地よい俺の自信となる。
何を恥ずかしがることがあるだろう? この世にも美しい顔、この透きとおった海の水のような“アクアマリンの瞳”、この誰もが振り返る手脚の長い長身、この美貌にしてこの若さ、この若さにして築き上げた莫大なる富、名声、この天才的な才能、このクレバーな頭脳、つけ加えて家柄も良くアルファ属で、しかし驕らずストイックな努力も怠らない、誰もが羨む俺という完璧な男――それこそがありのままの俺だ。
そうして「自惚れが過ぎるほどの自信家」を演じはじめた俺だったが、はじめはそれらすべてが俺にとっては「嘘」であった。
俺はしばしば鏡の中にうつる現実、過去の大人たちが作りだした虚構の現実の自分と、鏡の前に立つ本当の現実、夢見る理想の自分とのあいだにほど遠い辛くなるような乖離 を感じた。
その違和感は俺を辱めて苦しめたが、それでも俺は有りもしない(と思っていた)自己の魅力をあえてつくり出すように称賛しつづけ、ポジティブな自己評価を心の中でも口でも独言しつづけた。
――するとそのうちに、その「嘘」はやがていくつかの俺の「真実」となった。
そうして強引にも自信を持とうとしたことは、弱い俺のメンタル改善に役立ったことはまず間違いない。
とはいえ、いまだに「演じている」最中ではあるのだが。完全に克服できたかといわれれば、やはり根本的なところでの俺は自信がない男である。
しかし自身を否定することに依存してはならない。
思うにむしろそのほうが簡単ではあるのだ。…人は誰かの些細な失敗などすぐに忘れられるが、かえって自分の些細な失敗はいつまでも忘れられないものだ。
……しかし自分の不幸にのみすがって生きてゆく限り、人はずっと不幸なままである。
ましてや反省や自責にはある一定のメリットがあるが、しかしその反省とは「次の成功に活かすための改善点」にとどめ置き、決してそれ以上は動かさない。つまり決して自己否定や自己嫌悪には繋げない。
自己否定や自己嫌悪にはメリットがないからである。それらは人の手枷足枷としかならない。
恐れてしまうから、必要以上に緊張をしてしまうからである。すると願望実現のために必要不可欠な行動力が下がるばかりか、現状を俯瞰 して見る鷹 の目を失明してしまう。またそれらはメンタルを乱し、その結果正常な判断能力、ポテンシャルまで乱されてしまう。
……自己否定や自己嫌悪はしていても非生産的な状況としかならないものであり、自分の望む幸福を叶えるにおいての弊害としかならない。
とはいえ――そう言われても難しいことは俺が一番よくわかっている。
しかしどうせ過剰なほどに自責癖のある俺だ。
生まれたときからのことではそれが身に染みついてしまっている。
もちろん必ずしも自責や自省、遠慮というのは悪いことではないのだが――むしろ世の中にはそれが必要な人もいるとは思うが、反対に――、俺のように、それらを控えなければならない人々も存在している。
時として優先するべきは自責や自省によって得られる賢さ、そして遠慮や謙遜によって生まれる他者の幸福などではない。金銭的に余裕のない人が施 しなどできないように、まずは自分自身を幸せにしてやらなければ、誰かを幸せにしてやることなどできない。
――自己評価が低く、気持ちに余裕のない人が最優先するべきは、何よりも自分への「ゆるしと賞賛」による「自身の幸福」である。
自分自身に対して我儘なときがあってもよい。自分を甘やかすときがあってもよい。いつだって自分を愛している人の余裕が誰かを助け、幸せにするのだ。
自信がないのならばなお、…誰かに言われたい言葉は?
その言葉を自分自身にかけてやる。
自分自身を励まし、肯定して、他者から言われたなら自信がつきそうなことを自分自身に言ってやる。
人に責められたそのときに自分まで「お前は全く駄目な奴だ」と自分を責めるのではなく、「それでもお前はよくやった、ベストは尽くした、本当に偉い」とあえて鏡に映った自分の目を見て自分自身を褒めてやる。
――たとえそうは思えなくとも、とにかく自分を褒めてやる。
とはいえ――である。
俺がユンファさんに、自分の「悪夢」の話をしたいその理由――それは――人にはときに卑屈になる、己の不幸に浸りきって陶酔する時間もまた必要だから、である。
現代は自他にポジティブマインドを強いがちだ。
たとえばネガティブな状態に陥っている人を鬱陶しいだとか、人が自分の不幸に陶酔している状態を「悲劇のヒロイン(ヒーロー)」だなどと世の人はしばしば揶揄するが、そうして自分の感情を抑圧する癖を自然とつけてしまう社会構造もなかなかに問題である。
……確かに自分の不幸を自慢することで自己承認欲求、自己肯定感を満たすなど、そうして自分の不 幸 と い う 幸 福 だけに執着し、不幸というものだけをよすがに生きているという状態はよくない。
かといって自分のネガティブな感情というものは、この問題が山積みになっている現代を生きてゆくにおいて、その大小はともかくとしても毎日直面するものである。――ネガティブな感情をそれとして認めるということもまた、その実とても大切なことだ。
人はよくネガティブになっている人に対して「くよくよするな、気にしなくていい、そんなの些細なことじゃないか」とポジティブになることを勧める。
しかしネガティブな感情を悪だと見なす必要はない。ポジティブマインドを心がけることで自分が楽になれるのならばそれでもよいが、そうではない、とてもじゃないが気休めともならないときには、無理に自分にポジティブを強いる必要はない。
誰だってネガティブになるときはあるのだ。
大なり小なり自分の悲劇に酔うことは決して悪いことではない。…またそれは自分で自分の機嫌を取る、というのの方法の一つでもある。
悲しいと思ったときにそれに浸りきれず、むしろ「悲劇のヒロイン(ヒーロー)」になることを恥じて、下手に自分の悲しみを抑圧してしまうというほうが実は大怪我の元なのである。
それは今のユンファさんもそうだ。――感情というものは疲れと同じで蓄積されるものだから、ある程度は発散の必要があり、その発散においてネガティブに浸る必要があるときもある。
悲しいときにポジティブな曲を聴いて元気付けられるのならばそれでもよいが、もし鬱陶しいと感じるのならば、そのときはネガティブな悲しい曲を聴くべきなのだ。
俺は今でも卑屈になることがある。
それは先ほどのように、過去の悲しい翳りが心に差したとき――でもあるが、ほとんどの場合は夢、今もなお俺が眠っているときに毎晩のように見る夢――悪夢、その悪夢の中にいるときの俺は、今の俺と比べれば驚くほどに卑屈である。
なぜならば、俺が見るその悪夢のシチュエーションとは――大概が実家を離れる以前の俺、その頃の俺が実際に毎日受けていた虐待のその場面だからである。
俺は毎晩夢を見ている――それは悪夢だった。
「…しかし今のことで、ユンファさんがどうしようもなくご自分を責められてしまうというのなら…――そうだな……そう…、……」
俺は真横に二つの瞳を向けていたが、その瞳をふっと伏せた。
「俺も夢の中では、わんわん泣いているのです」
と俺はしずかに話しはじめた。
「…俺は毎晩のように悪夢を見るのですよ。実を言うと俺は、両親や周りの大人に毎日虐待をされる幼少期を過ごしてきました…――俺が毎晩見ているその悪夢とは、殆 どその虐待された場面を再現したようなものです。…そして親元を離れた今でも、俺は殆ど毎晩、過去の現実を悪夢として見ている」
俺にとっては悪夢のほうが尋常だ。
幼少期からずっと見続けている悪夢には、もはや安心感さえある。それだから悪夢を見ているときなら、俺は朝までぐっすりとよく眠れる。
ところが――かえって俺は時折みる幸福な夢、ユンファさんに愛される夢を見ると驚いて飛び起き、それからしばらく泣いてしまう。
しかし、俺が現実において泣くのは幸福な夢である場合で――悪夢の中で生きている俺は、むしろ現実で泣くことを許されなかった反動か、夢の中では臆面もなく声をあげて大泣きしている。
夢の中ではどれほど自分の涙を周りに責められようが、その「泣くな」という言葉をかき消すように、大声で慟哭 しているのである。
……俺も親や周りの大人から、泣くたびに「男の癖に泣くな」だとか、「泣けば済むと思うなよ」だとか、「男が泣くだなんて情けない」だとかと罵られてきた。忌々しいジェンダーバイアスである。
――人の涙にはそういった先入観などあってはならない。男も女も泣いてよいのだ。
「…それで俺、夢の中では泣けるのです…。わんわん泣けるのです…――何故かというと……」
――俺が知っているからである。
「…それは俺が思うに、きっと俺はそれが夢…つまり単なる悪夢であって、それは決して現実ではないということを俺が知っているからだと思うのです。――それこそ夢というものは、例え誰か他の人が登場したとしても…結局は自分が創り出した世界ですから、例え夢の中で誰に何を言われようとも、それは現実の問題にはなり得ないのです」
全てが許される世界――。
夢の中でならば自分のことを自分で許せる。
……もちろんそうではない人もいることだろう。
たとえば先ほど悪夢を見ていたユンファさんは、その夢の中でさえ「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っていた。彼は夢の中に登場したケグリに責められていたのだろうが――それはともすると、彼は夢の中で、自分を許せない自分に責められていたのかもしれない。
しかし――「今」という夢の中ではそうなりようもない。……俺は目を伏せたまま更にこう続ける。
「…夢の中ならば…それこそ、どれほど情けない最低な弱音を吐いてしまったとしても、大声で泣き喚いてしまったとしても、また、悲しみに浸って一歩も動けないほど卑屈になってしまったとしても…何だって許されるのです。――夢ですからね。誰に責められることもなく、また自分で自分を恥じる必要もなく…何の我慢も努力も必要がない世界……」
夢の中であるからこそ許されることがある。
俺はそのことをよく知っていた。――男であるからというだけで涙を圧殺される、その忌々しい呪縛の耐えがたい苦しみを、俺もよく知っている。
――俺はここでふと目を上げた。
「……、…、…」
……ユンファさんは俺の顔を悲しげな眼差しで眺めていた。…ぽろ、と下になった彼のまなじりから綺麗な涙がこぼれ落ちる。
「…はは…貴方は綺麗過ぎるよ、ユンファさん……」
貴方はどうかしている。
この神聖な精神をもつ美男子は、これだからあのケグリに付きまとわれているのだろう。――この美人の綺麗な涙を自分だけのものにしたい、自分だけを憐れんでほしい、もとより自分の不幸だけをよすがに生きているあの卑屈な男は、この美しい人の神聖な涙という癒やしが、おのれの人生の傍らにどうしても欲しい。
しかし、悔しいがその気持ちは俺にもよくわかる。
俺は今自分の不幸をさえ愛せそうなほど幸せだ。
……ユンファさんは俺の過去に涙を流してくれたのである。――自分の不幸は矮小化して捉え、ただそれに耐え忍び、そして不幸に酔うことも浸ることもしなければ、泣くことさえ自分には許さないというのに――その一方で、ちょっと聞いただけの他人の不幸にはすぐその清らかな心を敏感に動かし、その不幸に癒やしの慈悲をあたえ、あたたかい涙を流してしまう。
ユンファさんはその悲しげな眼差しで俺を慰める。
「…今も尚、辛かったときのことを毎晩夢に見るだなんて……信じられないくらい…僕が想像も出来ないほど、きっとお辛いですよね……」
「……ふ…、まあね」
思わず呆れてしまうね――彼、この悪世じゃ危険なほどに綺麗すぎる。
俺はユンファさんの黒い艶美な横髪をゆっくりと指で梳 きながら、微笑してこのように話をつづける。
「…ともかく…ふふふ…夢の中というものはある意味で、この世のどのような自由も及ばない…――最上級の自由な世界…、自分が最も自分らしく自由でいられる場所だ……」
……さらさらだ。絹のようである。髪まで美しく、手ざわりまで最上級のそれだ。この美しい髪を毎晩丁寧にブラッシングする幸福を想像すると、俺の結婚の決意は今以上に不動の硬質を帯びてゆく。
「ね、ユンファさん…。例えば俺と貴方は今眠っている…。そして此処は二人が創り出した、二人が見ている夢の世界……此処は俺と貴方、その二人だけが存在する夢の中…――此処には貴方を心から愛し、貴方の涙も悲しみも全てを受け留める俺と、究極の自由を得た貴方しか居ない…――どうです、…是非此処をそうした二人きりの夢の世界、ということにしておきませんか」
「……え…、…夢…?」
とユンファさんが弱々しい顔をして聞き返す。
「そう…此処は夢の中だ…。だから今は何かに耐える必要も、何かを我慢をする必要も…またこれ以上何を頑張る必要もない…――勿論…涙を呑む必要も、まるでない……」
俺は貴方の目を塞ぎたい。
貴方が必死にその両目をこじあけて、その両目で必死に見続けている貴方の現実、その虚構の現実から貴方の目を覚まさせるための「ある魔法」――それを貴方のその美しい両目にかけるために。
「…ということで…。俺がユンファさんの目に、“ある魔法”をかけてあげましょうね…、……」
……俺は肘を立ててなかば上体を起こすと、頭を沈め――ユンファさんの濡れている上まぶたに、ちゅっと口づけた。…彼はその涙目を細めたが、俺はさらにその人の目もとに片手をかぶせる。
「…次に俺のこの手が貴方の目元から離れたとき、貴方は自由な夢の世界に居ます。――ふふ…この魔法はね…? 貴方が俺と二人っきりの夢の世界へ行くための魔法なのです…――。」
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