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目を伏せたユンファさんがその美しい黒眉を寄せながら、そのぼんやりとした顔にやや怯えたようなこわばりを見せる。
「……どうしよう…僕…、貴方に…レイプ、されなきゃ…いけなかったのに……帰ったら、…お仕置き、…されちゃうんだろうな……」
「……、……」
そうだな…――それは阻止しなければ。
……俺は自分が片耳をあずけるまくらへ二つの瞳を寄せ、しばし考える。――嘘、だ。
俺はふたたびユンファさんのその不安げな顔を見て、慎重にやさしい声色でこう彼に尋ねる。
「……ユンファさんも…“嘘も方便”、という有名なことわざはご存知ですよね」
彼ははたと目を上げ、「はい…」と唐突な俺のそれに少し困惑しながらも頷く。
「…俺、ミステリー小説を読むのも趣味なんです」
と前置きする俺は、あたかもミステリー小説の探偵に憧れている推理好きな男のように、このような推理を彼に披露する。
「…勿論、これは俺の勝手な憶測の域を出ない話ですけれども…――恐らくユンファさんは、貴方のご主人様に“客の俺にレイプをされてこい”…などと命令されていたのではない…?」
「……、…」
ユンファさんの眉目 が恐怖にこわばる。しかし俺はどうしても彼に伝えておきたいことがある。――彼はその紫の瞳を揺らしながら、ふる、ふるとぎこちなくその顔を横に振る。
「いえ、いえ…全部、全部僕の…」
「ええ、そうだったとしても俺は構いません。…これは単なる俺 の 探 偵 ご っ こ ですよ。――ですから、勿論俺は貴方のご主人様を責めるつもりもなければ、ユンファさんを責めるつもりも毛頭ありません。…俺は正義漢 ぶるつもりなどないのです。…」
これはユンファさんをこれ以上苦しめないための俺の嘘だ。
確かにユンファさんに対しては怒りの感情などない、いや、被害者の彼にそのような感情など俺はいだきようもないが――しかし、その実俺はあのケグリに対しては憤慨している。責めるつもりがない? それは俺の真っ赤な嘘だ。――とはいえ、俺がこれでユンファさんにとっての絶対的権威者となっている彼のご主人様のケグリを責めてしまえば、結果として彼を苦しめてしまうことになる。…だから嘘をついたのだ。
俺はユンファさんのその怯え顔をながめながら、毅然 と微笑してこうつづける。
「俺は誰かが楽しんでいるSMプレイの内容に口出しするつもりもなければ、ましてやそれを否定し、糾弾するつもりもない…――好きなものなど人それぞれですから、そんなことは実に俺にとってはどうでもよいことなのです。…更に言ってしまえば、真実さえも俺にとってはどうでもよいことだ。…ただ今に楽しく探 偵 ご っ こ が出来れば…ね」
俺は「ある意味ではこんなのは全部俺の嘘ですから、嘘だと思って聞いてください」とつけ加えてからふと目を伏せる。推理をしている男のふりをしているのである。
「さて……ユンファさんはご主人様に命令をされた…。“変態のマゾヒストである性奴隷として扱われてこい、お前にはレイプされるくらいが丁度よい。決して客のアルファ男に優しくなんかされるなよユンファ。馬鹿なお前は若いアルファ男に優しくされたなら、たちまち酷い勘違いをしてそのアルファ男に惚れてしまうような、チョロい馬鹿オメガなんだから”…――なんてね…。ふふふ……」
「……、…、…」
俺がつと上目遣いに見やった先、紫色の瞳を小刻みに揺らして俺のことを見ているユンファさんは、俺の青白く発光する“アクアマリンの瞳”に疑問の答えを探している。――『なぜ、そこまで、わかるんだろう…?』と。
……俺はふたたび目を伏せた。
「だから貴方はご主人様に膣内射精をされたあと、それが漏れないようにとバイブで栓までされた…。大方、“中出しされた精液を俺に見せつけてこい”――“惨めな土下座をして、マゾの自分を手酷くレイプしてくださいとでも懇願してこい”…――とでもご主人様に命令をされたユンファさんは、その命令をしっかりと守って実行に移した……」
「……あの……」
とそこでユンファさんが何か言いたげに俺に声をかける。
「……ん…?」
俺はふと目を上げてユンファさんを見た。
俺のことを見据えている彼の紫の瞳は小刻みに揺れ、彼はやはり怯えてはいるが――しかし先ほどのようにその瞳は虚ろに曇ってはおらず、むしろ誠実なまっすぐな目をしている。
「……仰言 る…通り、なんです……」
「……、…」
俺は少し目を瞠 って驚いた。
まさか…――この夢の世界にいるからだろうか、なんと、ユンファさんは今からケ グ リ を 裏 切 ろ う と し て い る 。彼は甚だしい恐怖から痛ましいほどに動悸しながらも、ふと目を伏せてこう話しはじめる。
「……ぼ、僕…その…、今日、今日は…“KAWA's”が閉店したあと、すぐ……、…三人の、ご主人様方と…ご主人様がお呼びになった、その…お客様方に…とにかく、沢山犯して…ぃ、いただいたんです……」
「……ええ…、……」
俺の相づちにユンファさんがコキュ、と緊張をなだめようと唾を飲みこむ。彼は目を伏せたその怯え顔を青ざめさせ、しかしたどたどしくもこう話をつづける。
「い、いつも…なら、ご主人様方のお食事を作ったり…お世話を、させていただいて……そ、それから、仕事に、行くんですが…――今日は、そ、そうではなくて……ご主人様方は、今日は、出前を…取ってらっしゃって、…その…、……」
ユンファさんの青みがかった肉厚な唇がふわふわとその先を言うのをためらって開閉している。というよりか、恐ろしいあまり声が出ないのかもしれない。
「…聞かせてくださって俺はとても嬉しいのですが、…とはいえ、ゆっくりで構いませんから……」
と俺が声をかけると、彼はそれにふと安堵を覚えて「はい…」と小さい声を出して頷いた。――なるほど、彼の瞳に映っている感情が曖昧なので今に気がついたが、…彼は今夢見がちであるからこの話、ともすればケグリを裏切るようなこの話をしてくれているというよりか――俺を愛しているから、この話をしてくれている。…俺はこの暗闇でひそかにニヤける。
もちろん目を伏せているうえにこの暗がりでは俺のそれも見えていない彼は、さらにこうおぼつかない調子で続けてゆく。
「その…それで…それで…貴方の、仰言る、通りの…ご命令を、受けました、…それで…最後に、マグカップに溜めたザーメンを、その…ぉ…おまんこに…入れ、られて……バイブで……今日、此処へ早く、来られたのも……その、いつもより出勤が早かったのは、…本当は……」
「……ええ…、……」
俺がユンファさんの横髪をふわりと押さえ、そのままなで…なでとゆっくり撫でると、彼はビクンッと怯えながら肩をすくめたが、しかし俺のその優しい愛撫に、自分の恐怖に打ち勝つ勇気が出たのだろう。
ユンファさんは恐ろしそうに眉をひそめ、ぎゅっと目をつむりながらも、それでもたどたどしく俺にこう話してくれる。
「あの、…店の、待ち合い室で、ざ、ザーメンで…オナニー…しなければ、いけなかったから、なんです…。おまんこに…ご主人様、たちの…その、ザーメンを…塗りこむような…その…オナニーを……」
「……そう、でしたか……」
俺はなるほど、と思った。
このあとにユンファさんがつづける内容を、俺はすでに予測している。
「ただ…その…そのとき、たまたま…ご主人様と、通話を、…それで、ご主人様にそのことを言ったら…ぉ、お客様の前で…それを、しろ…とのことで……」
「……なるほど、先ほどはそれでね…、……」
と俺は目を伏せる。俺の予測は当たった。
ちなみにユンファさんのいう「そのとき」というのは、彼が『DONKEY』の実店舗(スタッフがこなす諸々の事務仕事のためのほか、指名が入るのを待っているキャストや、予約指名されたキャストが予約時間まで控えるために用意されている店)の控え室にて、何かしらの所用で――恐らくはそのおぞましい自慰を中継するためか――ケグリと通話していたとき、たまたま彼に『DONKEY』のスタッフが彼に声をかけてきた、という場面のことを指しているのだろう。
なお、控え室にいたユンファさんに声をかけたそのスタッフの用件とは、「予約時間よりも早く出勤できないか?(予定よりも早く客である俺のもとへ行けないか?)」というものだったはずだ。
――俺がその頃にちょうど『DONKEY』へ確認の電話をかけた際、その店のスタッフへ「繰り上げでユエさんを呼べないか?」という打診をしたため、彼にその応否の確認をとる目的でスタッフが彼のいる控え室に訪れたのである。
つまり彼は「(店の控え室でスタッフに早期出勤の打診を持ちかけられた)そのとき、たまたま自分はケグリと通話をしていた」と言いたかったのだ。
……またおそらく彼がそのさい通話中のケグリに「予定よりも早く客(俺)に呼び出された、どうしたらいいか」とうかがったところ、ケグリは「応じろ。そして客(俺)の前で命令のオナニーをしろ」とさらなる指図をした。
おそらくケグリは、そのほうが客の俺がユンファさんに幻滅する可能性が高まると考えたのである。――それだからユンファさんは、ああして恥を忍んで俺の前で自慰をしたというわけだ。
――馬鹿らしいが誇らしいね。
ケグリはどうもあれできちんと自覚はしている。
自分なんかではまず俺に敵 うはずもない、とね。
「それで僕……ぁ、あの…、ごめんなさい…」
「いいえ、貴方のあの姿もとっても色っぽくて素敵でしたよ。…けれども…そうですね…――しかし申し訳無いのですが、俺はやはり今夜、ユンファさんを無理やりに犯すつもりは全くありません。…」
俺は伏せていた目をつと上げてユンファさんを見た。彼はもとより俺の目を見ていた。それはわかっている、というような覚悟を決めた目をしている。彼はケグリからの「お仕置き」を甘んじて受け入れる心づもりを済ませているのである。――しかしその必要はない。
「…ふふ…、そこで…あの“嘘も方便”というのが活きてくるわけです。…是非貴方のご主人様にはこのような嘘を吐 いてください。…」
「……え…? 嘘……」
ユンファさんは俺の提案に目を瞠った。
しかし俺は「そう、嘘です」と微笑みながら続ける。
「…俺はもともとユンファさんに惚れていた。…但 しこれは本当のこと、俺は貴方に一目惚れをしたのです。そして今も尚、俺は惚れた貴方のことを愛している。…しかし…ここからは、貴方がご主人様に吐かなければならない嘘です。…いきますよ…――」
と俺は今のユンファさんでも聞き取りやすく、また理解しやすいようにと極めてゆっくりこう話をはじめる。
「…俺はもともとユンファさんに惚れていた。そして俺は、密かに恋をしていた貴方との、“本当の恋人”としての甘い時間を期待して貴方を指名した。…しかし…貴方の裏切り行為によって、俺は案の定…カンカンに怒ってしまった……」
「……、…」
ユンファさんが目を瞠ったまま素直にコクと相づちに頷いた。どうやら彼は(少なくとも今のところは)俺の言うことに従い、帰ったならケグリに嘘をつこうと考えてくれている。――俺は真剣に彼の紫の瞳を見すえ、ここで念を入れる。
「…さて…失礼。今から俺は嘘の酷い台詞 を口にします。…というのも…ある程度具体的な台詞を貴方にお聞きいただいたほうが、嘘を吐く際の真実味が増すためです。…つまり…俺が今から言う言葉は全てあくまでも嘘の言葉、俺の本心ではないとご理解いただいた上でお聞きください…。わかりましたか…?」
すると、ユンファさんは神妙 な面持ちで「はい…」と頷いた。俺は「では…今から嘘を吐きますからね…」と念を押し、目を伏せて、その「嘘のセリフ」を並べ立ててゆく。
「――“このアバズレが。俺はお前に恋人としてのプレイを求めたはずだ。高い金を払ってお前を指名したというのに、この仕打ちは何だ? 他の男の汚いザーメンをまんこに入れたまま洗いもせず客の俺の元へ来たばかりか、何だよこの太もものメッセージ は。俺のことを馬鹿にしているのか?”」
なおこれを言う俺の声は淡々としている。つまり「棒読み」というやつである。
「…“正直俺はお前に惚れていたが、他の男の汚いザーメンで気持ちよさそうにオナニーまでしやがって、こんな仕打ちをされて怒らない奴はいない、お前にはほとほと幻滅したよ、この淫乱肉便器が。…わかった、そんなにお望みならお前のことをレイプしてやるよ。”――と、俺はユンファさんをレイプしました。そして……」
と俺は一旦ユンファさんを見た。
彼が怯えたり傷ついたりしてやいないか、その確認のためである。――しかし幸い彼はその様子ではなく、かえって惚れ惚れと、ぽーっとした幸福そうな顔をして俺の目もとを眺めていたようだが、俺と目が合うなりはにかんで目を伏せた。…俺があくまでもユンファさんのためにこういったことを言っていると、彼はわかっているのである。
……俺もまた目を伏せる。彼を見ながらにはさすがに言えない。
「…ふふ…台詞を続けますね。――“ただ、お前のまんこザーメンだらけで汚いからゴムは着けるからな。挿れたくもないよ、そんな汚いまんこには。お望み通り一晩中お前の体で遊んでやる。俺の性奴隷になるのならクレームだけは入れないでやる。お前は今晩、俺の性奴隷になるんだ。わかったな?”――と…いったような酷いことを、貴方は激昂した俺に言われた…ということにしておいてください。…」
「……はい…」
ユンファさんが素直な返事をしてくれた。
――俺は目を伏せたままこう続ける。
「そう…つまりユンファさんは今夜一晩、俺の性奴隷としてSMプレイを俺に強いられた…――そのSMプレイの内容というのはまあ……例えば全身舐めなどの一方的な奉仕強要、イラマチオ、オナニー強要、ビンタやスパンキング、腹パンなどの暴力……それから淫語強要、“僕は貴方の肉便器です”と騎乗位で奉仕させられながら言わされたですとか、“僕は貴方の性奴隷です、何でもします”と言わされたですとか…“汚いまんこにおちんぽ挿れていただきありがとうございます”、など…そんな感じでよいことでしょう。」
これならば十分あのバカケグリもご満足いただける性奴隷的扱い、かつ一般の男でもまあ思いつきそうなSMプレイの内容であるはずだ。
俺はここでふと目を上げ、微笑しながらユンファさんを見る。彼は目を伏せ、恐ろしいケグリに嘘をつかなければならないという未来に、多少の不安げな緊張をその顔に漂わせてはいるが、しかしということは、俺のこの提案に応じてくれるつもりであるということでもある。
よかった……俺はどうしても彼にこの提案をしておきたかったのである。
「要するに…今夜の“本当の恋人プレイ”は、貴方のご主人様の狙い通りに破綻し…怒り狂った俺は貴方に幻滅したのち、その怒りのまま貴方を乱暴を犯した…、つまり俺は貴方をレイプした…――しかし、そればかりでは俺の怒りは治まらず…店にクレームを入れないというのの代わりに、貴方は今夜俺の性奴隷として、一晩中非情なSMプレイ…すなわち俺への隷属と奉仕を強いられた……」
そして俺はこの提案をこのようにまとめ上げる。
「このような嘘の報告を、貴方のご主人様にされてください。…わかりましたか?」
「……はい、わかり…ました……」
ユンファさんは不安げに目を伏せたままコクと浅くうなずく。俺は彼の顔の前、枕に添えられているその人の手のひら、その小指を小指ですくい上げる。――そしてきゅっと彼の小指に小指を巻きつけると、俺は「はは…」と目を細めて彼に笑いかけた。
「…ご自分を守るためにも、そして俺のためにも…ご主人様には、絶対にこの嘘を吐いてくださいね。約束ですよ、ユンファさん」
「……、…」
ユンファさんはぽーっとした目を上げて俺の目を見ると、屈託のないその紫の瞳で俺の目を見つめながら、ふるえている小指を俺の小指に弱々しく絡め、コクと頷いた。
「……はい…、……」
そして彼はほのかな幸福をその微笑に漂わせた。
そこでチラ、と俺の目に幻覚が見えた。――彼がまくらに添えているその左手、俺と小指を絡めているその左手、その左手の薬指に、銀の光がチラリと光って見えたのである。
……俺は胸の中にあたたかい幸福がいっぱいに満ちてゆくまま、にこっと自然と笑った。
しかし……たちまちその幸福の甘い匂いは消え失せた。
――ふと悲しげに目を伏せたユンファさんが、物憂げな顔をする。
「……あの…ところで、…貴方は…――僕の、こと…どこで、お知りになられたんですか……?」
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