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「……あの…ところで、…貴方は…――僕の、こと…どこで、お知りになられたんですか……?」
とユンファさんが悲愁 の伏し目で俺に質問してくる。――彼はここでふと先ほどの俺の発言、彼をケグリのお仕置きから免 れさせるための嘘、俺がその嘘の段取りを話していたなかでチラリと触れた「俺はもともとユンファさんに惚れていた。それは(嘘ではなく)本当のこと。俺は貴方に一目惚れをした」という真実、その「一目惚れ」というところが気にかかった。
そもそもユンファさんは先ほど、何の説明もなく当たり前のように『KAWA's』という単語を口にした。それとはもちろんケグリが経営するあのいかがわしいカフェの店名である。つまりいくら今彼の意識がおぼつかない状態とはいえ、先ほど彼はもはや俺にその店の説明などするまでもなく、あたかも俺がその『KAWA's』という店をすでによく知っている…という認識でその店の名を普通に口にしたのだ。
――それはなぜか?
俺が彼の「ユンファ」という名を知っていたからである。彼ははじめ『DONKEY』のキャスト「月 」として俺と出逢った(と彼は思っていた)が、しかし俺が「ユンファ」という彼の本名を知っているのならば話は違ってくる。――『DONKEY』のキャスト「月」である彼を指名しておきながらにその「ユンファ」の名を知っている客、それというのはまずあの『KAWA's』や『AWAit』での「性奴隷ユンファ」をも知っている客である。
……というような方程式がユンファさんのなかにはあるため、ユンファさんは今、自分の容姿への自己認識が歪んでいる以上に――俺が自分にしたというその「一目惚れ」を心底いぶかっている。
「…“KAWA's”…でしょうか…、それ、とも…“AWAit”…ですか……?」
とユンファさんが目を伏せたまま、恐る恐るとその店の名を口にする。――そう…あのケグリが経営しているその『KAWA's』も『AWAit』も、ユンファさんが性奴隷として客やケグリどもにほとんど無報酬状態で奉仕されられている、そしてその男らに酷い陵辱 や虐待をうけて辱 められている場所である。
……要するにユンファさんは、俺と自分との初対面 がそのケグリの店――自分が性奴隷として奉仕している、調教されている、辱められているその店――でのことであった場合ならばなお、自分なんかの醜い容姿では「一目惚れ」などあり得ないと思っている以上に、その店での自分の惨めな醜態をして「一目惚れだった」などと言っている俺がとても信じられない。
ユンファさんは悲しみと恐怖のあまり辛そうにそのまぶたをきゅっと閉ざすと、その美しい黒眉を悲しげにそっとひそめ、こうたどたどしく俺に言う。
「…ごめん、なさい…。僕、きっと…貴方と、以前…お会いしているんだと…思うんですが、…僕は、覚えて、いなくて……あ、貴方の、こと…――以前、お会いした…どなたなのか…、僕、正直わ、わからなくて……」
「……ん…? あぁ…ふふふ…――そうですね…、俺がユンファさんのその美貌に一目惚れをした日、あの日は確か……、……――。」
俺はふと目を伏せる――それは十一年前の「あの日」。
当然だろうが、ユンファさんにはあの日の記憶は残っていないことだろう。
いや、仮にその十一年前の記憶がわずかでも彼のなかに残っていたとしても、当然あの日の159センチ、彼よりもうんと小柄で細身の少年らしい少年であった十三歳の俺と――まあ全く面影が残っていないなんてことはないにしろ――今の俺、十一年の時を経て成長し体格も男らしく立派になった186センチ、二十四歳の俺とでは(もっとも今彼が認識している俺というのは三十歳のアルファ男だが)、せいぜいこの生まれつきの水色の“アクアマリンの瞳”や、こちらも生まれつきのホワイトブロンドくらいしか完全一致するところがないので、彼が今の俺の容姿を見ただけではまず「もしかしてあの日の…?」ともならない(実際なっていない)。
しかし俺のほうは、十一年前のあの日……俺たちの初めての出逢いはそう、ユンファさんが通っていた高校の、あの夕暮れに染まった図書室にて――いつだって俺は、あの日の初恋の記憶を鮮明に思い出すことができる。
あれは何もかもが黄金 色に輝いているような秋の日の夕方ごろだった。窓辺で黄昏 れていた貴方の美しいもの憂げな横顔は儚げだった。
――鴉 の濡れ羽色の艶美 な黒髪、雪のようにどこまでも白かった艶のあるみずみずしい肌、さまざまに色相を変えたその神秘的な“タンザナイトの瞳”、なまめかしく紅潮していた美少年の頬、獲物を喰らったあとの獣の唇のように妖しい深い赤に染まっていたその肉厚な凄艶 な唇、
……貴方のあたたかい大きな手、その手のなかにすっかりおさめられてしまった俺の小さい少年の手、俺の小さい頭を包み込むように撫でたその生白い大きな手、俺が見上げた筆舌に尽くしがたいその世にも美しいやさしげな微笑、――悪夢を見ていた俺の目を覚まさせた貴方の哲学、貴方の伊達なウィンク、「じゃあねソンジュ、君はフィナーレのダンスも目一杯楽しんで」と言った貴方のかろやかな低い青年の声、
……そして涼やかな伏し目がち、崇高 なる銀狼 の白い美しい横顔は、過去に立ち尽くす俺を置いていつもどこかへ行ってしまう――。
そう……俺たちが初めて出逢った記念すべき日というのは、十一年前のあの日だ。
しかし厳密にいえば――十一年前のあの日、それというのは俺の夢が「正夢 」となった記念すべき日である。
俺たちの本当の初めての出逢い――それは、十二歳の俺が眠っているときに見た夢の中のことである。
十二歳の俺は秋の日のある晩、夢を見た。
――その夢の舞台はユンファさんが通っている高校の図書室だった。しかし、もちろん俺はその約一年後に初めてその図書室に訪れることとなるので、となれば十二歳の俺はその図書室など知る由 もないどころか、そこがあるユンファさんの高校の場所さえもまだ知らなかった。
それもあの日とまるで同じ夕暮れに染まるその図書室で、「彼」はあの日のユンファさんと同じように窓辺でたそがれていた。
その夢の中、十二歳の俺はその図書室に入ってすぐの場所でぼんやりと佇 んでいた。そもそもなぜ自分がよく知らないどこかしらの学校の図書室らしき場所にいるのか、夢の中の十二歳の俺はそこから疑問だった。
まだ蛍光灯のともされていない薄暗い室内、明かりといえば夕陽の褪 せた橙 いろの光しかないその図書室にはまず、出入り口から見て対面の壁ほとんど一面にガラス窓が連なってある。そのガラス窓からは夕焼け空が眺められた。
そして出入り口からやや斜め左には、その窓辺に端が位置する横長の白い机が二列となって置かれていた。その机の下にはもちろんいくつものパイプ椅子が等間隔にしまわれている。なおその椅子は生徒が向かい合って座れるように、長い辺の左右どちらにも椅子がしまわれていた。
そしてその二列目の机から1.5メートルほど開けて、木製の古びた茶色い本棚の側面がずらりと並んでいる。
――「彼」はその本棚の側面を背後に、二列目の机の一番奥、窓辺の席に気だるげに腰かけて頬杖をつき、その窓から外の夕焼け空を眺めていた。
しかし出入り口に佇んでいた俺が一歩この図書室のなかへ踏み込んだなり、カツ、と鳴ったその革靴の底の硬質な音を聞いた彼は、何かしら警戒をしたようにバッと素早く俺のほうへと振りかえり、それに驚いて立ち止まった俺のことを睨みつけてきた。
……その人の迷惑そうな鋭い切れ長の両目は、あからさまに俺のことを威嚇していた。その人の獣のように獰猛な怒りの瞳は赤紫に燃えている。――俺の胸はにわかにドクンッと痛んだ。…その人の怒りの目は気高く美しかった。
――その美少年は他に類を見ないほど美しかった。
俺のことを鋭く射抜くように睨みつけてくる切れ長の目、その上まぶたには彼の美しい黒い前髪が少しかかっている。その人の眉はほとんど前髪にかくれているが、垣間見える凛々 しい黒い眉は精悍 な印象がある。そのシャープな輪郭の細面 は小さい。鼻は高く涼やかだ。ぷっくりと膨らんだ形のよい真っ赤な唇はなまめかしい。彼は十二歳の俺が知る由もない濃紺のブレザーを着ていた。その下の白いカッターシャツの襟もとにはネクタイがない。その襟もとはどこかアンニュイにやや着崩されて、その人の長めの白い首、ながれるような首筋、浮きでた喉仏がちらりと見えていた。
ただしオメガ排卵期に火照っていたあの日のユンファさんと違うのは、この夢の彼の肌は冷艶 な青白さをもっていたことである。
『……、…』
俺という少年の頬にあたたかい恋の炎がともされた。俺は「彼」に一目惚れをした。
……こんなに綺麗な人は見たことがない。
――しかし、彼は依然としてその冷ややかな赤紫の瞳で俺を睨みつけながら、威嚇する低い声でこう尋ねた。
『君は誰』
十二歳の俺は出入り口から動かないまま、なんら臆することもなく無感情でこう答えた。
『僕は九条 ・玉 ・松樹 です』
しかし――俺がそうして淡々と名乗ると、彼はその険しい顔を驚いたような顔に変えながら、急ぎガタリと立ち上がり――その切れ長の目を驚きにおおきく見開き、その明るんだ群青の瞳でじっと俺を凝視したまま、そしてその赤いふくよかな唇を薄くあけたまま、俺のほうへと早足で歩いてくる。
『…ソンジュ…、ソンジュか…ごめん、ごめんね…』
彼は目を丸くしたままこちらへと早足で歩いて来ながらも、おそらく俺を睨みつけてしまったことをそうして謝っていた。
『…………』
……ところが俺はぼーっとした無表情で、何もこたえず、ただその人が歩みよってくるのをぼんやりと眺めていた。――このときの俺というのは今しがた彼に恋をしたばかりの少年ではあったが、その実十二歳の俺にはほとんど感情らしい感情がなかった。というよりかはそれの抑圧を強いられていたために、何もかもを諦めていた俺の感情、このときの俺は――いわばほとんど死んでいたのである。
俺の前に立った彼は十二歳の俺よりも頭一個分は背が高い。俺は顔を上げてその人の驚いた表情を見上げた。
『……、…ソンジュ、…』
彼は俺の目を見下ろしながらその薄紫色の瞳をうるませた。ややあって彼はその黒い秀眉 を曇らせ、鋭利な眉尻を下げて、泣きそうな顔をした。
……しかし彼は俺に微笑みかけた。泣き笑いというような顔で俺に微笑みかけた彼は、身をかがめて俺のことをぎゅっと抱きしめた。
『…やっと会えた…――僕は君のことを、ずっと待っていたんだよ、ソンジュ』
『……、待っていた…?』
と俺はまだ声変わりもしていない少年の高い声で尋ねた。彼は『そうだよ』となぜか感動に感極まったような震えた声で言った。
『…僕はね、君のことが大好きなんだ』
『…………』
僕のことが大好き――?
有り得ない。そんな人いるわけがない。…と俺は一目惚れをした彼に「大好き」と言われても喜ぶより先、まずは否定から入った。
しかしすぐに俺は……いいや、きっとこの人は本当に僕のことが大好きなんだ。と、彼へ皮肉めいた考えを向けた。――アルファで、九条ヲク家に生まれて、僕に取り入れば自分が幸せになれるから――きっとこの人も、僕のことが大好きなんだろうな。
だけれど……この綺麗な人は――誰?
『貴方は誰ですか』
『僕…? ふふ…僕はね……』
とその人は俺の肩を両方そっとその大きな手で包みこむと、腰をかがめたまま背の低い俺と目線を合わせ、その切れ長の目をやさしく細める。
『君の恋人』
『……僕の、恋人…?』
いぶかる俺に、その人は重ねて『そう。君の恋人』と言いながら微笑んでいる。――しかし十二歳の俺は、凍りついた無表情をふるふると横に振った。
『僕恋人なんか要りません。馬鹿みたい』
十二歳の俺は恋やら愛やらに幻滅していたのである。そのとおり「馬鹿みたい」だと思っていた。愛とか恋とかは人を愚かにするだけのものであって、愛するだとか愛されるだとかで身を滅ぼした人も知っている。ましてや自分の両親がまず愛し合ってなどいない。両親が愛し合ってできた子ではない自分もまた、誰にも愛されてなどいない。――恋愛やら恋人やらは自分とは無縁のものだ。そもそも欲してもいない、と、十二歳の俺はそう決め込んでいた。
『そっか…』と彼は寂しそうに笑った。しかし次の瞬間には持ちなおした明るい笑みを浮かべていた。
『じゃあ僕は、まだソンジュに片想いをしている人、だね。あはは…』
『……、…』
俺はその人の爽やかな笑顔から目を伏せた。
やっぱり僕に取り入ろうとしているんだ、と彼に呆れてしまったのである。
『…貴方はどうして僕なんかが好きなんですか。九条ヲク家の次期当主だから? 九条ヲク家がお金持ちで、地位があって、凄いから? それとも、僕がアルファだからですか。』
俺はわざとこうした生意気なこと言った。
自分のことを愛してもいないくせに取り入ろうとする人への当てつけに、俺はしばしばこういった小癪 な態度をとっていたのである。
そしてこう言うとほとんどの人は俺のことを軽蔑した目で見た。そのとき人の目は『可愛くない』と言った。しかしその蔑視を俺に向けながらに人は愛想笑いを浮かべ、「いやそうじゃないよ」と絶対にそれを否定した。
『はは…そうだよ。』
としかし彼はおどけた明るい声で言った。
予想外の返答におどろいた俺は、つと瞳だけを上げて彼を見た。彼は明朗 な笑顔を浮かべて俺のことを見ていた。
『……だって、それもソンジュの一部だから。でも……』
俺の両頬をそっと彼の大きな両手が包み込む。その手は少し乾燥してひんやりとしていた。
『勿論それだけじゃないよ。』
と彼は綺麗な笑顔で俺に微笑みかける。
『……、…』
俺はおもわずその人の綺麗な笑顔に見とれた。彼はその笑顔のまま、聡明な目をしてこう言った。
『…もしソンジュが九条ヲク家に生まれていなかったとしても…例えばアルファではなかったとしても、それこそ、君がヤマト人じゃなかったとしてもね…――僕は絶対に、君のことを大好きになったよ。』
『…だから、どうして僕が好きなんですか』
しかし「なぜ好きなのか」というのの具体的な返答を濁されているように思った俺はカチンときて、ここではじめて感情らしい感情をひそめた眉にあらわした。しかし彼は俺のその不愉快げな感情をみとめてもなお、その赤い唇から端整な白い歯列を覗かせて笑い、俺の目をやさしげな薄紫色の瞳で見つめながらこう言った。
『…はは、なあ最後まで聞けって、せっかちなんだな。…勿論ソンジュを好きになった理由は色々あるよ? 例えば君の、誰よりも頑張り屋さんなところ。…それから頭が良くて、気遣い屋さんで……本当は誰よりも優しくて、素直で、健気 で…何より、とっても可愛いところ。…』
『……、…』
俺は口を少し開けて固まった。たちまち赤面していた。
……こういった具合には褒められたことがなかったのである。例えば「さすが九条ヲク家の…」だとか、「さすがアルファなだけあって…」だとか、モグスさんやユリメさんはともかくとしても、こうして俺を等身大で褒めてくれる人など友人にさえいなかった。ましてや俺の目をまっすぐに見つめて何ら後ろめたそうでもなく、この類まれな美人は俺のことを「可愛い」だのなんだのと平気で俺の「好きなところ」を挙げ連ねたのである。
――何より、自分で聞いておいてなんだが、俺の「なんで好きなの」というのはなかば「どうせ好きなところなんかないでしょう(だって取り入ろうとしているだけなんだから)」という、ある意味ではあの小癪な態度の続き、つまり当てつけの続きであった。つまり期待なんかしていなかったところ、思った以上にこの美人が自分の「好きなところ」を嬉しそうに挙げ連ねたので、逆にそれを聞かされている俺のほうが恥ずかしくなってしまったのだ。
……彼は『それから…』と俺の目を優しい薄紫の瞳で見つめたまま、楽しそうな笑顔でさらにこう続けた。
『…僕はソンジュのその顔も好きだな。格好良いけど、その垂れ目が可愛いし、金髪も綺麗だし…目の色も凄く透き通った水色で、まるで海みたいだ。ソンジュは見た目もとっても魅力的だね。――だけど…結局、これは……』
少しもったいつけた彼の、その俺の目を見つめている切れ長のまぶたが、やわらかく深い笑みに細められる。
『――“運命”だからだろうね、きっと』
『……運命…?』
『そうだよ』――彼はかがめていた腰を正し、俺の肩からその両手をそ…と浮かすと、その手とともに後ろへすた、すたと何歩か引いてゆく。
『……ねえ…いつか、また会おうね』
『……え…?』
俺はふと彼を見上げた。
――彼は眉尻を下げ、儚げな微笑をうかべて俺を見下ろしていた。…しかし俺と目が合うと、彼は微笑しながらもその眉を泣きそうに翳らせ、ふっと俺に背を向けようとした。――すると俺はとっさ、何かえも言われぬ凄まじい衝動に駆られてその人の片手をつかみ、ぐっと彼を引き留めた。
……すると彼は少し驚いた顔をして『何?』と俺にふり返った。俺は彼の顔を見上げながら真剣に、しかし自分でも訳もわからないままこう言った。
『――僕と付き合ってください。』
『……、…』
少しだけ彼はきょとんとしていた。
しかしすぐにその人は「はは…」と嬉しそうな笑顔を浮かべ、俺に向きなおると、自分の両膝を両手でつかんでふたたび身をかがめ――そうして彼はまた俺と目線を合わせるなり、まずは俺の目を透きとおる薄紫色の瞳で見つめながらコクンと頷いた。それから嬉しそうに笑ってこう言った。
『いいよ』
『……、…』
俺は目を見開いた。嬉しかったのである。
ただ俺は自分がどうして今彼に「僕と付き合って」などと言ったかもわからなかった。まるで何者かに強いられてそれを言わされたかのようだったが、それというのがもしかすると「運命」というやつなのかもしれない。
ましてや彼に「いいよ」と交際を快諾をされたことは、俺がたちまち赤面してしまうほど確かに嬉しかった。――のみならず……彼は俺の片頬をその大きな手で包み込むと、そっと目を閉じながら……。
『……、…、…』
ちゅ…と可愛らしい小さな音を立てながら、俺の唇に一瞬だけその赤い唇を触れさせた。彼は俺にキスをしてくれたのである。――俺は初めて誰かに、それもこれほどの美少年にキスをされたことで、夢の中ながらも体中を熱くして驚いた。狂喜というほどの喜びが俺の全身をわななかせた。
『……、…、…』
『…はは、可愛い…。じゃあ約束だよ、ソンジュ』
と俺を慈しむように笑ってから、彼は俺のまだ少々短い細い小指を、その男らしい太さのある長い白い小指で絡め取りながら、二人のその手を俺の胸の位置まで上げた。
『…僕たち、絶対にまた会おうね。約束。』
そうして彼は俺の目をやさしい薄紫の瞳で見つめて微笑みながら、「約束」と小指でつながった二人の手を縦にちいさく揺らした。
……しかし俺は『はい…』とその約束には応じたが、これはきっと自分が眠っているときに見ている夢なのだと、そのようにどこかで自覚しているところがあった。このころの俺の現実は悲惨だったからである。――であるので、この「約束」が現実でのものであるのならばまだしも、夢の中で「また絶対に会おうね」と約束をしたところで、俺には彼に会う術がない。
……それだから俺は途端に不安になって、彼にこうたずねた。
『……でも、僕…、…どうしたら僕…また貴方に会えますか…?』
すると彼は、はは、どこか可笑 しそうに目を細めた。彼の赤い唇の端と端にのぞく尖った獣のような白い犬歯が愛らしかった。
『…約束したんだから、僕らは君がどうしていたって絶対にまた会えるよ。…でも…そうだな…――』
なんて彼はいたずらっぽくニヤリとして、悪ぶっていてなお綺麗なその笑顔をくいっと傾けた。
『浮気はしないでよソンジュ。…ふふふ…っ』
『うっ浮気って、…』
しかし俺は彼のそのセリフにちょっとだけ怒った。
浮気をするなよと釘を刺されたのには、どうも自分がそれをするような不誠実な奴だと彼に見くびられたように思えたからである。
『しっしません、僕浮気なんか絶対にしません、…』
と俺はムッとしながら豪語した。
しかし『だっ、だって僕、…』とまではその勢いがあったが、次にはぼそぼそとはにかんだ小声になった。
『…あ…貴方と…け、結婚したい、くらい…だから、ぼ、僕は……』
俺は顔を熱くしながらうつむいた。
――しかし彼が『本当?』と明るい声で言ったので、俺はまたその人のことを見た。彼はニコニコと嬉しそうなあたたかい笑顔を浮かべていた。
『それは嬉しいな。――じゃあまた会えたら…僕たち、結婚しようね。』
それもこの世にも美しい白皙 の少年は、俺との結婚まで快諾してくれた。
俺は有頂天になって興奮のあまり早口になった。このときには俺も笑っていた。
『はい、ゃ…約束、約束ですよ、僕、…僕と結婚して、…結婚、結婚してくれるって、それも約束、…』
と俺は彼の小指をぎゅっと小指で締めつけた。彼は『いいよ』と笑った。
『…はい、約束だ。』
と彼は言ったあと――しかし、とたんにその微笑を寂しげに曇らせた。…その微笑の儚さは俺の胸を締めつけた。
……彼はおもむろに背を正した。そして俺をその儚げな微笑で見下ろしながら、
『…じゃあ…またね、ソンジュ…』
その人の美しい悲しげな切れ長の目は俺を見ながら、その片方からほろ、と輝く涙をこぼした。
『――おはよう』
と彼は眉をひそめながら微笑んで名残惜しそうに言った。
『……え…、…――。』
……そこで俺の目は覚めた。
十二歳の俺はベッドの上でとび起きた。
そして――あれは何て幸せな夢だったろうと、一人でしばらく号泣した。
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